▷ 書評:エリック・ホッファー著(柄谷行人訳)『現代という時代の気質』(ちくま学芸文庫)
エリック・ホッファーは、「沖仲仕の哲学者」と知られた人だ。
つまり、典型的な肉体労働者であり、その中でも「社会の底辺」視された部類の労働者でありながら、しかし独学によって、自身の哲学を確立した、異色の哲学者である。

当然それは、知的労働にしか従事したことのない哲学者、ある意味では、肉体労働に「負い目」を感じ、ひそかにコンプレックスを抱えているような学者=哲学者たちには持ち得ない視点から、この社会の本質を剔抉した哲学者だと言えるだろう。
要は、学者=哲学者たちが、できればその存在を無視し軽視し、その価値を認めたくないタイプの哲学者なのだ。
では、私の場合はなぜ、そんなエリック・ホッファーに興味を持ったのか。
それは、私自身が高卒者であり、大した学歴を持たないまま社会人となった人間だから、ではない。
高卒というのは、大卒が当たり前になった今の時代には「低学歴」に分類されるのかも知れないが、「高卒程度の学力」とは、専門職さえ望まなければ、社会人として働き、社会を渡るためには十分なものであり、決してコンプレックスを感じなければならないようなものではない。
「大卒という肩書き」による「社会的な特権(優先権)」さえ求めなければ、十分な知識と基礎教養を与えてくれるものなのである。
その点、ホッファーの「無学歴」というのは、「高卒」のような、生ぬるい話ではないのだ。
3歳で失明して15歳のときにいきなり視力が戻ったという人なので、一度も正規の教育を受けることなく、生きんがために肉体労働者となり、言うなれば「趣味の読書」によって、文字どおりの哲学者になったという、今の言葉でいえば、ハンパない「本物」なのだ。
大学で哲学を研究しているから、自動的に「哲学者」です、と名乗っているような、大学システムが生み出したそれとは、訳が違うのである。
つまり、高卒の私は、高卒であるがゆえにこそ、ホッファーには親近感が抱けないのだ。
なまじ「学歴」があるから、ホッファーのような、実力派の無学歴者は煙たい。
なぜなら、むしろ私の方こそ、学歴なんてないのに「実力」はこうだぜと、そう自慢したいタイプだからだ。
例えば以前、笠井潔が「最強の高卒」なんぞと冗談めかして名乗った際には、私は、それに対して「笠井は、大学を除籍になったおかげの高卒だが、こっちは一度も大学には行ったことのない、純粋な高卒だぞ」と、そう自慢して見せもしたのである。
そんなわけで、ホッファーに対するこうした劣等感は、「労働者」という側面においても同じだ。
私は、交番のお巡りさん(警察官)を、40年勤め上げた人間だから、言うなれば生涯「現場の人間」だった。
本署にいて、部下を管理し、部下に指示を出すのが仕事だというような「非肉体労働」ではなく、街中で泥棒を捕まえ、交差点に立って反則切符を切るという、肉体労働をしていた人間なのだ。
しかしながら、私のそんな「街頭労働」を「肉体労働」だと言い張る自信までは持てない。
街頭に出るのが仕事だったとは言え、いかにもお役所らしく半分は事務仕事をせざるを得なかったからで、沖仲仕のような、純粋な肉体労働者と比較してしまうと、やはり半分以上は「知的労働」だと言わざるを得ない仕事をしていたためである。
そんなわけで、純粋な「肉体労働者」であるホッファーは、その側面においても、いささか煙たい存在なのだ。
で、そんな私が、どうしてエリック・ホッファーに興味を持ったのかというと、それは若き柄谷行人が、若き中上健次に「エリック・ホッファーを読め」と奨め、その奨めに応じた中上は、ホッファーを読んだだけではなく、沖仲仕の仕事まで始めたという逸話を知ったからである。
私は、中上健次を1、2冊しか読んでおらず、決して良い読者ではない。
ただ、中上健次というと「被差別部落の出身」であり、その「いかつい」容貌に恥じない乱暴なところのある人だとは知っていた。
つまり、中上に「殴られた」とかいった、作家や編集者の証言にまつわる噂話くらいは聞き知っていたのである。
ところが、中上健次という人を愛した柄谷行人の目を通して見ると、また違った中上健次像が見えてくる。
中上健次というと、まるで生まれ持った本能的なところで小説を書いていたかのような印象を与えるけれども、そうしたことは、じつは多分に、自己演出的なものだった、という事実だ。
つまり、中上は、見かけによらず「繊細で傷つきやすく」「勉強家」であり、決して「肉体(一辺倒)の人」ではなかった。
「肉体(一辺倒)の人」ではなかったからこそ、ホッファーを真似るようにして、わざわざ沖仲仕にまでなったのだ。
そのことで、少しでも肉体における思考を身につけ、「知識人」的な「教養」と一線を画そうとした、そんな「いかにも知識人的」なところのある人だったのである。
したがって、彼の非知識人的な「乱暴さ」も、多分に自己演出的なものであり、「俺は、そこいらの小説家なんかとは訳が違うんだ」というアピールのために、わざわざなされたパフォーマンスの側面もあったのである。
では、柄谷行人はなぜ、中上健次にエリック・ホッファーを読めと奨めたのかと言えば、それは無論、中上健次という人には、そういう「肉体の思考」というものが十分ではないと、そう感じていたからであろう。
そこ(肉体)から出たものでないと「本物の小説は書けないぞ」と、そんな思いがあったはずなのだ。
勉強家であった中上健次は、言われなくても、いろいろと本を読んで勉強をしてはいた。
けれどもそれは、当たり前に「知的」な勉強に止まっていたからこそ、柄谷は「本物の小説を書きたいのなら、お勉強だけではダメだ」ということを教えるために、中上健次にホッファーを奨め、ホッファーを読んだ中上健次は、柄谷の意図を理解したからこそ、読むだけではなく、厳しい肉体労働を体験しなければ意味がないとそう考えて、愚直に沖仲仕の仕事に就いたりもしたのではないだろうか。
まるで、哲学者のシモーヌ・ヴェイユが、わざわざ「工場労働」に就いたのと同じような愚直さで。
そんなわけで、非肉体派の私としても、一度はエリック・ホッファーと対決しておかなくてはならない、と言うか、逃げ回っていてはいけないという気持ちはあった。
だが、それを実行には移せないままズルズルと来たのだが、先日読んだ柄谷行人の『回想録』で、柄谷自身の翻訳したホッファーがあると知り、これは良い機会だと、本書を読むことにしたのである。
○ ○ ○
さて、本書『現代という時代の気質』では、いくつかの問題が語られており、「目次」的には、次のようになる。
Ⅰ 未成年の時代
Ⅱ オートメーション、余暇、大衆
Ⅲ 黒人革命
Ⅳ 現代をどう名づけるか
Ⅴ 自然の回復
Ⅵ 現在についての考察
これだけを見れば、一見バラバラな内容のように見えるだろうが、当然のことながら、ホッファーの問題意識は一貫しており、これらに通底する問題意識と哲学を持っていた。
それは、今どきの「なんでも評論家」的な自称「哲学者」などによる自称「哲学」などではなく、自身の人生経験(体験)に深く根差した哲学なのだ。
目次に掲げられたようなテーマに関するホッファーの問題意識を、ごく大雑把にまとめて言うならば、それは「現実に即さない、観念的な知的未熟性の横行する、現代という時代の危うさ」とでもいったことになるだろうか。
だから、ここでホッファーは、特に「未成年」や「黒人革命」「自然の回復(自然回帰指向)」などには厳しく、一般的には意外なことだろうが、「オートメーション」などには肯定的なのである。
なぜ「未成年」に批判的なのかと言えば、それは、現実を知らない「未成熟」のゆえに観念的で、その性急ゆえに極端に走るものだからだ。
また、彼が「黒人革命」すなわち、アメリカにおける「黒人の公民権運動」にも批判的であったのは、その運動が「黒人が黒人であること」のためになされるものではなく、アメリカナイズされた「白人並みの権利」を求めるものに止まっていたからである。
人としての権利を求めるのは当然なのだ。だが、そのときに考えられている「人」というのが、所詮は「西欧中心主義」的なものであり、言うなれば「白人的価値観」に依拠する偏頗なものでしかないのだが、そのことに無自覚な「人権獲得運動」に対し、ホッファーは、そうした「偽物」性や「密通」性にこそ苛立ち、そこを批判していたのだ。
『 端的に事実をいえば、私が生涯をともに暮し働いてきた人々、南部以外の人口の約六十パーセントを占める人々は、黒人に対していささかの罪悪感も抱いていないのだ。われわれの大多数は十代のうちに生計を立てるために働きはじめ、そして生涯貧しかった。われわれの大半は初等教育を受けただけである。われわれの白い皮膚はわれわれにいかなる特権もいかなる恩恵ももたらしてくれなかった。二十年以上ものあいだ私は黒人たちとともにカリフォルニアの畑で働き、ときには黒人の経営者のためにも働いた。次の二十年間をすごしたサンフランシスコ埠頭には、白人と同数の黒人の沖仲仕がいる。私とおなじ肌の色の人間は世界がわれわれに借りがあるなどとは感じないし、われわれのほうで誰か一一白人、黒人、黄色人種一一に何ひとつ借りがあるとも感じていない。われわれは黒人もわれわれの有するあらゆる権利一一投票権、われわれに開かれているどの組合にでも参加する権利、どこなりと好きなところで生き、働き、学び、遊ぶ権利一一をもつべきだと信じている。だが黒人はわれわれに特別な要求をつきつけることはできないし、われわれに対して正当な苦情をもちこむこともできない。彼らがわれわれのためにわれわれの仕事をしたことなどたしかにないからだ。彼らの手よりもわれわれの手のほうが節くれだち、働きつぶれており、われわれの顔のほうがしわが深く、やつれている。たとえボールドウィンが百人寄っても、毎朝われわれの周旋所にやってきて大声をあげ、冗談をいい、飲み食いする黒人の沖仲仕たちが、悪夢やみじめな子供時代の記憶につきまとわれているとか、奪され、無力化され、貶められ、圧迫され、辱しめられていると感じているとかいったことを私に信じさせることはできない。周旋所でみられる歪んだ顔、まるめた背、陰気な曲がった姿形は黒人のものではない。』(P67〜68)
これは、私が女性に対してほとんど負い目が無く、むしろその擁護者の側だと自負しているところと似てはいるだろう。
だが、その「負い目の無さ」は、私などよりはるかに徹底した、現実的根拠に裏付けられたものなのである。
ともあれ、黒人による「人権運動」にさえ批判的であったエリック・ホッファーは、一般的な意味では「保守派思想家」だということになるだろう。
そう呼んでも、それはそれで決して間違いではない。
しかし、そんなホッファーを、若き日には左翼学生運動に身を投じ、また世に出てからも「左翼リベラル」と見られてきた柄谷行人が、どうして若い頃にはすでに、その重要性に着目し得ていたのであろうか?
それはたぶん、物事の本質や、それを考える「哲学」や「文芸批評」においては、「政治的なレッテルとしての左右」など、まったく本質的なものではないと、そのように考えていたからであろう。
つまり柄谷は、「地に足のついた思想」であることを大前提とした上で、さらにそこを掘り進めた結果、「難解」な思想を語る人とならざるを得なかったと、そういうことなのである。
したがって、その駆使する言葉だけを見て、柄谷が「フランス現代思想」的に「観念的」だとするのは、あまりにも安直な誤認なのだ。
むしろ、そんな浅はかなことを言う者にかぎって、学者的あるいはオタク的な、裏返された権威主義の持ち主なのである。
そんなわけで、本書『現代という時代の気質』で語られる哲学とは、私たち「読書家」の陥りがちな陥穽を、鋭く指摘するものだと言えるだろう。
実際、本書の中心にあるのは「知識人」批判なのである。
それにしても、ホッファー自身が「知識人」であるのに、そんな彼の批判する「知識人」とは、一体どのような「知識人」のことなのであろうか?
それは先に述べたとおり「未成年的な(未熟ゆえの)観念論者」だということになるだろう。
「知識人」であること自体に価値を見出し、その点において自己実現を図ろうとしているような人間のことを、ホッファーは「知識人」だと「否定的に定義した」のである。
また、これは与那覇潤が言うところの「専門家」のことでもあろう。
知の権威において、ヘゲモニーを握ろうとするような類いの「知識人」を、ホッファーのそれは指していたのではないか。
ともあれ、柄谷行人による本書初版の「解説」に引用された、ホッファーの別著『波止場日記』の文章、ホッファーの述べた「知識人の定義」の部分を、ここに孫引きしておこう。
『 ここで、知識人という言葉で何をさしているかを述べておきたい。私のいう知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神授の権利をもっていると思っている人たちである。知識人であるためには、良い教育をうけているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである。
知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである。民主的な社会においては、人は干渉をうけず、好きなことができるのであるが、そこでは典型的な知識人は不安を感じるのである。彼らはこれを道化師の放埒と呼んで(※ 民主的な自由と平等を馬鹿にし、否定して)いる。そして、知識人重視の政府によって迫害されている共産主義国の知識人を(※ 重視されていればこそ、迫害されもするのだと)羨むのである。(『波止場日記』)』
(P175・「E・ホッファーについて」より。(※)は、引用者による補足)
つまり、ホッファーが言うところの「知識人」とは、「本物の知識人」ではなく、言うなれば「自分を知識人(=特別な存在)だと思っている人」のこと、そのような自負を持ってそのように「自己規定」し、人からもそのように「特別扱い・先生扱い」されたい人のことなのだ。
わたし流に言い換えれば、「自称・知識人」のことなのである。
私が、大学教授などの「学者」を批判する際に使う、例えば「自称フェミニスト」などと、これはまったく同じことなのだ。


ただ、ホッファーにすれば、そちらの方が大半なのだから、そちらをこそ「知識人」と呼んだのであろう。
ホッファーは、私のような「理想主義者」とは違って、徹して「べき論」では語らない。それは「現実」ではないからである。
ただし私も、その点に関しては、いつもシオドア・スタージョンの言葉を引いて補足をしてはいる。
『SFの9割はクズである。ただし、あらゆるものの9割もクズである。』
したがって、「知識人」の9割はクズであり、9割は「自称・知識人」にすぎないと、そういう認識なのだ。
ともあれ、いつの世にも、「偽物」でしかない「自称・知識人」が、その「偽物」性のゆえにこそ「我を知識人として遇し、尊重せよ」という気持ち(欲望)から、
『知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。』
と評されるような「承認欲求」を振り回されて、恥ずかしげもなく、「知識人」自己アピールをする。
そして、かえって本物の「知識人」の方は、彼が本物であるがゆえに、貧乏くさくそんなことを自己アピールしたりはしないのだ。
その必要性など感じないからだと、ホッファーは、そう説明しているのである。
『 知識人の時代は驚異やパラドックスにみちている。たとえば、知識人が支配する社会では、その雰囲気は詩人や作家や芸術家が仕事をするには理想的であろう、と人は思いがちなものである。ところが現実にわれわれが見いだすのは、支配的知識人のヒエラルキーは創造的個人を妨害し、窒息させさえする傾向にある、ということである。このパラドックスの原因は、知識人が権力につくとき、采配をふるうのは彼らの中でも才能の乏しい者であるのがつねだということにある。真に創造的な人間は権力の奪取、行使、そしてなかんずくその保持に必要な気質を欠いているように思われる。もしヒトラーが偉大な画家か建築家の才能をもっていたら、レーニンやスターリンが偉大な理論家の素質をもっていたら、ナポレオンやムッソリーニが偉大な詩人か哲学者になる能力をそなえていたら、彼らは権力に対する満たされぬ飢えを育てなかったかもしれない。ところが、文学的あるいは芸術的偉大さを渇望しながら才能を失いている人々の陥りやすい傾向のひとつは、他人の創造性に干渉することである。彼らは(※ そのケチな嫉妬心から)才能のある人間、すぐれた人間に対して自分の趣味やスタイルを押しつけることに醍醐味を味わう。』(P92〜93)
ここを読めば、私の言う「自称フェミニスト」である「似非フェミニスト」が、まさにこのとおりだということに気づかされるだろう。
彼(女)らは、自らが「平等という真理」を独占している「裁定者=裁く者」だと思い上がっている。
だから、すべての人を、自身のイデオロギーに従わせようと、その「権力」を振いたがる。
なにしろ、自己認識的には「真実」の側の人間であり、その意味では「特権階級」なのだから、意見を異にする者とは、「同じ人間」ではなく、「明白に誤った人」でしかない。要は「悪」そのものなのだ。
だから、「話し合い」など必要はなく、ただ力づくででも「自分たちの正義」に従わせれば、それで良い(結果オーライだ)と、そう考えてしまうのだ。
しかし、こうした考えは、あまりにも拙劣に過ぎる誤りだ。
戦争という殺し合いが、いつでも「こっちが正義で、あっちが悪だ」という、単細胞な二元論的決めつけによって始まるものだということを、彼らは知らないのだろうか?
いや、そうではない。
彼(女)らは、「自分たち知識人は、間違えない」と、そんな「傲慢」に囚われているだけなのだ。
だからこそ、「対等な立場での話し合い」すら出来ないのである。
『汝、人をさばくなかれ。(自分自身が)裁かれないためなり。汝らが人を裁くその裁きにおいて汝自身もまた裁かれ、汝が人を量るその秤で、汝ら自身にも裁きが量り与えられるであろう。」
(「マタイによる福音書」7章1-2節)
しかし、そうした「あやまち」の典型的な事例が、彼(女)ら「自称・フェミニスト」たちによって「女性差別者」認定された歴史学者・呉座勇一に対する、かの「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」なのである。(以下、オープンレターと略記)
呉座の女性差別的な「陰口」に対し、それを伝え聞いた当人である、武蔵大学の教授で、自称「フェミニスト」である北村紗衣は、千数百人もの賛同署名を集めた「公開状」たるオープンレターをネットに公開し、その影響力において、呉座に対し、二度にわたる「公開謝罪」を強要した上、その職までも奪うという「(社会的)キャンセル」を行った。
つまり、北村紗衣とその仲間のフェミニストたち(オープンレターズ)は、「議論」したかったのではなく、自らの「絶対的な正義」を、力づくで、「論敵」に対して強制したかっただけ、「力」を振いたかっただけなのだ。
「議論」だけなら「一対一」で出来るのだが、自らの「正義」を「力づくで押しつける」のが目的だったからこそ、さほどの政治的権力を持たない、いち大学教授でしかなかった北村紗衣は、「#MeToo」運動に倣い、「数の力」に頼んだ。
つまり、徒党による「声のでかさ」によってヘゲモニーを握り、マイノリティとなった呉座勇一を、問答無用にねじ伏せて見せたのである。
だが、こんなことを北村紗衣がするのは、ホッファーの言うとおり、そして私の言うとおり、北村紗衣が個人としては「無能」だったからに他ならない。
『知識人が権力につくとき、采配をふるうのは彼らの中でも才能の乏しい者であるのがつねだということにある。』
一対一では「議論」に勝てないから、徒党にたのんで、「数の力」で勝とうとする。
あるいは、相手の言葉尻を捉えて「名誉毀損の民事訴訟」を提起して、「法権力」を利用すること(スラップ裁判)で相手をねじ伏せる、といったことをするのである(対・山内雁琳訴訟)。
また、だからこそ北村紗衣は、自分の方から進んで私を批判しに来たくせに、私が反論して「さあ、議論しようぜ」と返した途端に、だんまりの「ノーディベート」を決め込んだのである。
なぜなら、私の場合はすでに隠居の身だから、呉座勇一や山内雁琳の場合とは違い、失うべき「社会的な立場や肩書き」といったものが、もともと無かったためだ。
言い換えれば、北村紗衣のやり口とは、いつだって「論敵の(社会的)キャンセル」だったのた。
だからこそ、その手法が私に対しては使えないと気づいた途端、臆面もなく、尻に帆かけて逃げ出したのである。
事実、山内雁琳の場合は、その地位の保証されていない、いち「助教」でしかなく、その職を失うわけにはいかなかった。
だからこそ北村紗衣は、「やりとりの中身の是非」を争うのではなく、山内の発した「単語」の中身が事実であろうとなかろうと、「名誉を毀損した」という事実において、「賠償金」を支払わせることにより山内を痛めつけ、その口を封ずることにしたのだ。
理屈において敗れたから、山内の方が黙ったのではなく、生活の糧を奪われるのが「怖しい」から、裁判以降、(地方新聞社のご令嬢で、裁判費用になど困らない)北村紗衣を「名指しで批判する」ことが出来なくなったのだ。
北村紗衣が、山内雁琳の口を封じて、批判できなくした、のである。
一一これが「似非知識人」の好んでよくする、「権力利用(濫用)」というものなのだ。
「知識人」としての能力が低いからこそ、知識人としての誇りも自制心もなく、権力に依り頼むことで、論敵を潰しにかかるというのが、北村紗衣ひとりに限らない、ホッファー言うところの「知識人」、私が言うところの「似非知識人」の、常なのである。
実際、アマチュア批評家・椿カヲル子氏に批判された、准教授で評論家でもある石田美紀は、こんな反論をして見せている。
『石田美紀4 2009-09-18 12:27
・「本書(※ 石田の著書)は世に出てしまい、「京都大学博士(人間・環境学)」で「新潟大学人文学部准教授」である人物の書いた、権威ある研究として流通しています」
(※ 椿カヲル子による批判文からの引用部分)
まずは、いまどき「大学教員=権威」という図式が成立すると信じておられるところに困惑しております。そもそも大学教員というのは一職業分類にすぎません。
言うまでもなく、文系の博士号が現在の実社会ではまったく意味がないどころか、足をひっぱっていることは周知の事実です。もしご存知なければ、水月昭道『高学歴ワーキングプア』などをお読みください。
そもそもの発端となった(※ 批評誌)「コーラ」プロフィールにおける三島の特攻隊の箇所でも、(※ あなたは)私、英文の教員(私はこの方が誰か分かりませんが)、石田仁さんといった「大学教員」を痛烈にあてこすっておられますが、三者が生計を立てる際に現在選んでいる「大学教員」という職種についての面罵だと判断します。これは悪質な個人攻撃であり、あるいは職業蔑視ともいえるものです。』
そうなのだ。
石田美紀が自己申告しているとおり、大学教員だから、当然「知識人」なのだと威張ってみても、それだけでは、社会的に高い立場にあるわけではない。
だが、だからこそ逆に、大学教員であれば「知識人」であり、「知識人」であれば、少なくとも知的な部分においては「特別な存在なんだぞ」と、そう威張らないではいられないのだ。
「金はなくとも、頭の出来は、お前らとは違うんだ。だから、ありがたく私の話を聞け」と、そう言いたくてたまらない。
ホッファーが言ったところの、
『知識人は(※ 人々に黙って)傾聴してもらいたいのである。彼は(※ 人々に一方的に)教えたいのであり、(※ 人々から)重視されたいのである。(※ そんな)知識人にとっては、自由であるよりも、(※ 人々から)重視されること(※ 特別扱いされること)の方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ(※ 特別に重視されるがゆえの)迫害を(※ こそ)望むのである。』
一一ということなのだ。
つまり、自ら語ったとおり、北村紗衣は、本物のフェミニストになりたいのではなく、「セレプリティ・フェミニスト」になりたかっただけなのだ。
要は、三流学者にふさわしく、社会的に成り上がって(リーン・インして)、世間から「チヤホヤされたい」だけだったのである。
だからこそ、自身の「極端な正義」を、他の人にも性急に強制しようとする。
「フェミニズム」という「錦の御旗」を掲げてさえいれば、それでもう問答無用であり、自分たちに逆らうの者は、即「悪」なのだから、その意見に耳を傾ける必要などはなく、力づくで排除抹殺(キャンセル)すれば良い。
一一そんな考え方なのだ。

これは、オープンレターズの主導で昨年設立された「現代フェミニズム研究会」でも、まったく同じことであり、その設立趣意書に「反差別に取り組む我々に異論を唱えるような者は、即ち差別者であり、議論の相手ではない。だから、フェミニストを名乗っていても、当会への入会も認めない」などと、臆面もなく謳えるのである。
だが、世間の人々は、こういう「わかりやすく単細胞な主張」をこそ、ありがたがる。
「こっちが白で、あっちは黒」だと決めつけてもらった方が、「灰色」だの「青色」だの「赤色」だのの「白でも黒でもない」存在について、「自分の頭」を使って考える(頭を悩ませる)必要がないからだ。
「フェミニストの敵とは、即ち、存在してはならない悪人である」
と、これほど「わかりやすい主張」もないのだが、一一しかしそこで「いや待てよ。そんなに単純な話なのか?」と、そういったんは立ち止まって考えるということが出来ず、煽られるがままに突っ走ってしまうのが、エリック・ホッファーが言うところの、「未成年」の特徴なのだ。
したがって、本書『現代という時代の気質』とは、ホッファーが生きた時代だけのものではなく、今なお「今ここ」における「現代という時代の気質」に他ならないのである。
柄谷行人が、本書(文庫版)の帯に、
『ホッファーの省察は今日まさに、有効である』
と書いているのは、そういう意味なのだ。
ホッファーは、本書の序文冒頭で、次のように語っている。
『 序
ひとつの時代の中心をなす問題を知ることは、気まぐれな出来事や予見しえない危機のうねりをくぐって、連続的なものを見出すことである。私の想定では、現代の主要な困難と課題は後進性から近代性への、従属から平等への、貧困から富裕への、仕事から余暇へのドラスティックな変化である。これらはすべてきわめて望ましい変化、人類が幾千年もの間祈り求めてきた変化である。しかし、いかに望ましかろうと、ドラスティックな変化は人類がかつて経験した中で最も困難で危険な経験であるということもあきらかになりつつある。われわれは、習慣を断つことは骨折することよりも苦痛で損傷が大きいこと、そして価値を分解させることは原子を分解させるのと同じく致命的な死の灰を降らせるかもしれないことを発見しはじめている。』(P7)
私たちが克服すべき『現代の主要な困難と課題』とは、ホッファーの言うとおりで、『後進性から近代性への、従属から平等への、貧困から富裕への、仕事から余暇へのドラスティックな変化』であろう。
したがって、当然のことながら、「女性の権利の獲得拡大」や、トランスジェンダーなどの「性的マイノリティの権利」の獲得拡大も、当然『これらはすべてきわめて望ましい変化、人類が幾千年もの間祈り求めてきた変化』なのである。
だが『しかし、いかに望ましかろうと、ドラスティックな変化は人類がかつて経験した中で最も困難で危険な経験であるということもあきらかになりつつある。われわれは、習慣を断つことは骨折することよりも苦痛で損傷が大きいこと、そして価値を分解させることは原子を分解させるのと同じく致命的な死の灰を降らせるかもしれないことを発見しはじめている。』一一私たちもまた、それを目の当たりにしている。
なぜ今日、フェミニズム対して、あるいは、フェミニストに対しての「逆風」が、これほどまでに表面化し始めたのか?
それを、もっぱら「被害者の視点」から「バックラッシュ」だなと名づけることで、「当方には、なんの落ち度も(反省すべき点も)ありません」と、そんなふうに自己正当化するのは、はたして問題の無い態度なのだろうか?
だがそれは、ホッファーも言うとおり、いかにそれ自体が正しかろうとも、それが「ドラスティックな変化」を伴うものであったのならば、人びとがそれによる『習慣を断つことは骨折することよりも苦痛で損傷が大きい』という事実を、実感し始めているが故のことなのではないのか。
当然のことながら、それがいかに正しいことであろうとも、
「さあ、それでは、これまでの習慣はここでぜんぶ捨てて、今からこれでやって下さい。それを受け入れられないのなら、貴方は反社会的な悪人だということにしかなりません。したがって、悪人として社会からキャンセル(抹殺)されたくなければ、私たちが示した正義に、今ここで、ただちに従ってください」
などと言われて、「はい、そうですか」と従うわけにはいかないのである。
たとえそれが「間違った習慣」であったとしても、それがそれまで「当たり前」だったのであれば、それを変えるには、それ相応の「時間」が必要なのだ。
「理屈はこうなのだから、うんもすんもあるものか。さあ従え」というような考え方は、人間の現実を無視した、いかにも「観念的」な「未成年」の思想であり、「思想の暴力」なのである。
例えば、中国の文化大革命時における「紅衛兵」たちの、それ(理想主義)のようなものなのだ。
無論、私たちは、常に変わる必要がある。
だが、人は「理屈」のみにて生きるにあらず。
いくら「良薬」だと言っても、いっぺんに大量摂取させれば、それは「毒」にもなり、その患者を殺すことにもなるのだという現実を、私たち「大人」は、理解していて然るべきなのである。
何事も最後は「そこはそれで、それなりに」という、いささか生ぬるくはあれ、変わり身の早くはなれない「他者」への配慮が必要なのだ。
また、実現されたユートピアが、しばしばディストピアであるように、「実現された理想」とは、そもそも語義矛盾であり、もはやそれは、理想などではあり得ないのである。
(2026年7月20日)
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