▷ ドラマ評:桑原亮子 作・鈴木航 演出『手塚治虫の戦争』(NHK)
手塚治虫は「マンガの神様」と呼ばれた人だ。
若い人にはピンと来ないかも知れないが、手塚治虫ほど、息長く幅広く膨大な作品を残した漫画家は、少なくとも日本には、ほかに一人もいないだろう。
海外にも、そうはいないのではないか。
無論、日本のマンガが、まだ世界に出る前の作家だから、今の人気漫画家に比べると、「累計何百万部売った」とか「何億円稼いだ」そういう部分では、手塚をはるかに上回る作家もけっこう出てはいるだろう。
だが、それは端的に言って、時代の違いであり、「市場規模」の違いでしかなく、作品の質の違いでもなければ、無論、作家としての才能の違いでもない。
今の売れっ子作家が、「累計部数(稼ぎ)」や「海外での知名度」で手塚治虫をはるかに上回りっていると言っても、そのことをして「手塚を超えた」と評したらなら、誰よりもその漫画家自身が「とんでもない。畏れ多いことです。私なんか足元にも及びません」と、謙遜ではなく、その創作的な実績において、そう認めることだろう。
そうでなければ、よっぽどの馬鹿か、思い上がっているとしか思えない。
だから、漫画ファン(読者)の方も、漫画作品の価値や、漫画家の価値というものを「累計部数」や「知名度」などで判断するような、そんな愚かなことはしないように注意しなければならない。

今の「高度資本主義消費社会」においては、駄作でも凡作でも、ひとまず「売れたもの勝ち」なのだ。
なにしろ、出版社というのは、趣味で本を刊行しているのではなく、「金儲け」をするために本を作って売っているのだから、どんなに素晴らしい作品であっても、売れなければ困る。話にならない。会社が倒産してしまうし、社員が路頭に迷ってしまうからだ。
無論、可能であれば、「良い作品をたくさん売りたい」と、そう思ってはいるだろう。その努力もしている。
だが、良い作品というのは、そうそう右から左に出てくるものではないし、こうすれば必ず良い作品になるという方程式もない。そんなものがあれば誰も苦労しない。
だから、ひとまず駄作は刊行しないとしても、凡作も数のうちとして刊行しなければならない。傑作が出てくるまでは本を出さないなんて言ってたら、出版社は潰れてしまうからだ。
だから、そこそこの作品をコンスタントに刊行しつつ、そうしている中で傑作が出てきて、それが売れたら万々歳というのが、出版社の商売というものである。
そうしたなかでたまさか出てきた傑作を、当然のことながらプッシュして売ろうとする。それは当然の努力である。
良い作品を売れないようでは、出版社としての責務を果たしているとは言えないからだ。
しかしながら、そうした傑作が出てきた時だけ、プッシュすれば良いのかというと、無論そうではない。
滅多に出てこない傑作だけが売れたって、それだけでは出版社はやっていけない。
つまり、そこまでの傑作ではなくても、出した本なら、それはそれなりに売れてもらわないと困る。最低限、元は取れないと困るのだ。
なら、どうするのかというと、当然のことながら、宣伝をする。その作品の存在を知ってもらわないことには話にならない。
そして宣伝をする以上は褒める。いくら欠点があったって、その欠点を宣伝するようなことは出来ない。
その作品の美点に絞って、そこを少々誇大(語義矛盾?)に宣伝するのだ。
実際は「80点」の作品だと思っていても、売り出す時は「100点」の作品だとか、「150点」の作品だと言って売り出す。
本当は、そんな「嘘」などつきたくはないが、遠慮してると他社との「宣伝合戦」に負けてしまうので、よそに負けないように宣伝しようとすると、いやでも大袈裟になってしまい、やがてはそれが「当たり前」になってしまうのだ。
喩えて言えば「軍拡戦争」みたいなものだ。
武器がだんだん大袈裟なものになっていって、誰のためにもならない「読者の価値観殺しの兵器」になっていく。いや、そうなっている。
その結果として、「大傑作」も「凡作」も、等し並みに「大傑作」だと宣伝されてしまうことになる。
だからあとは、読者が自分の目で、個々の作品を実見して確かめるしかない。
だが、これだけ出版点数が多いと、すべての作品を自分の目で確かめることなど不可能だから、いやでも「世間の評判」を参考にせざるを得ない。
出版社の宣伝は当てにならなくても、読者(あるいは、インフルエンサーなど)の評判たる「世間の評判」なら、それなりに信用できそうだからである。
だが問題は、そうした「世間の評判」も、出版社の宣伝によって作られるという側面がある。だから難しい。
インフルエンサーだと、企業に媚びることで、利益誘導を目論むことすらあるだろう。
そもそも、大出版社と弱小出版社とでは、宣伝にかけられる費用の桁が違う。
そのため弱小出版社などは、インターネットなどで、せっせと情報発信するくらいしかできない。
大出版社みたいに、原稿料を払って、いくつも推薦文を書かせたり、作品をテレビアニメ化して、そのテレビコマーシャルをバンバンうって、一一なんてことは出来ないのだ。
だから、せっかくの良い作品が埋もれてしまうこともあるし、そこそこの作品が「売り方」と「大量宣伝」によって、それなりに売れてしまうこともある。
つまり、決して作品の出来と売り上げとは、必ずしも比例するわけではないのだ。
だがそれは、ある程度は仕方のないことだろう。
どんなジャンルにおいても、作品がその質に準じて売れるというわけにはいかない。
なにしろ、正直者が馬鹿を見ることの少なくないのが、この現実の世界なのだから、正直者や努力した人が報われないのと同様に、傑作が報われないことも、ままある。
それは、理不尽かもしれないけれど、現実の社会とは、そういうものなのだから、たしかに仕方のない部分はあるのだ。
だが、そうした理不尽さは、可能なかぎり縮減されるべきだということに異論のある人は、そう多くはないはずだ。
努力をしている人ならば当然、努力の報われる社会を望むし、ズルをする人だって、人前では、私はズルをしてでも金儲けができればそれで良いだなんて、正直には言ったりはしないからだ。
そんなわけで、良い作品がきちんと評価される世の中を作るために、仕方がないでは済まされないし、済ませてはならないのは、消費者の方が「宣伝」に毒されきってしまうことではないだろうか。
「良い作品だから、これだけみんなが褒め、売れてもいるのだろう」と、そう単純に思い込んで、「売れている作品」「話題の作品」が「傑作」だと思い込むようになっては、まずい。
そうなると、宣伝費のある者が「勝ち」になってしまうからだ。
しかしながら、「大量宣伝」に惑わされないで、自分の目で、作品を評価するというのは、それほど容易なことではない。
まあ、それが可能な人は100人に1人くらいだと思って差し支えない。つまり「私には見る目があって、宣伝になど騙されない」なんて思っている人の大半は、実はすっかり騙されており、その自覚がないだけである。
「SFの9割はクズである。ただし、あらゆるものの9割もクズである。」
(シオドア・スタージョン)
嘘だと思うなら、ネットに上げられている書評を見てみるといい。
独自の視点で作品が語れている人が、一体どれだけいるだろう?
どこかからパクってきたような評価や、芸もなく決まり文句の褒め言葉を並べているだけのものが、9割以上だということがわかるはずだ。
しかし、それにしてもどうして、多くの人の価値観というのは、こんなにも「似たり寄ったり」なものになってしまうのだろうか?
それは、人間の価値観というのは、基本的には、他人の価値観(欲望)の反映でしかないからだ。
平たく言うと、他人が欲しがるものを自分も欲しくなる。他人が褒めているものなら、それが良いものに見えてしまう。
つまり、価値観というのは、「学習」によって作り出されるものだから、自覚的に「平均的な価値観」というものを疑うことをしないかぎり、その人は確実に「平凡な価値観の持ち主」にしかなれないし、なりようがないのだ。
だから、その当然の帰結として、普通の人なら「みんなが、良い作品だと言っているものが、良い作品なんだ」と、そういうことになってしまう。
逆に言えば、「みんなはこんなのが好きかも知れないけど、私はそうは思わない(そうは感じない。なぜならば)」とか「みんなはこの作品の良さがわからないようだけど、私はこの作品が素晴らしいと思う(なぜならば)」と、そのような「価値観」と「評価」を持てる人は、滅多なことでは育たない。
それは、当たり前にしてて、勝手に育つようなものではない、「才能」なのである。
そんなわけで、大量宣伝の時代には、おのずと「価値観」も画一化させられてしまう。
情報の少なかった時代よりも、むしろそうなりやすい。
昔のように、いろんな場所(地方)で、その場所特有の情報に接して育つなら、その場所独特のさまざまな価値観や感性も育つだろう。
だが、インターネット社会の現在では、どこでも誰でも、同じような情報に接することが出来るようになる。
しかし、どんな情報に接することも可能だと言っても、人間の持っている時間は限られるのだから、結局は、いちばん目立つ情報ばかりに接することになりがちだ。
つまり、宣伝力のあるやつの情報ばかりに接してしまいがちであり、だからこそ価値観や感性が画一化してしまうのだ。
無論、そうではないマイナーな情報を探せば良いというようなものだが、そもそも「情報の多様性が、豊かな価値観形成には重要だ」なんてことを考えられる人というのは、それ以前に、画一化された情報だけではなく、それ以外の情報にも接しているからこそ、そのように考えられるのだ。
つまり、このようにして、情報格差はどんどんと開いていっているのが、現在の過剰情報社会なのである。
大半の人は、右向け右と言われたら、右を向いていることしか知らない人たちとなり、「俺は左を見たい」などという、自分の意見や価値観を持つ人は、少数例外となってしまう。
したくてもできないのではなく、そもそもそうした発想が出てこない人間になってしまうのだ。
そんなわけで、もう大半の人のは、自分の「価値観」というものをそもそも持ってはいないのだから、その持ってもいないもので判断することなど、出来ないのは当然。
つまり「売れている本(話題の本)が傑作だ」と、そう自動的に判断し、そう思い込めるような人間になってしまっているのである。
さらに言うと、その範囲の中で、我こそは理解者だとアピールすることで、マウントを取ろうとするために、さらに情報の偏りは加速する。
一一さて、ここまでは、ドラマ『手塚治虫の戦争』とは関係のない話を延々と書いてきたのだが、その理由とは、こうだ。
いま現在の価値観だけで、手塚治虫を評価するというのは、いま現在の価値観しか持っていない人間、右しか見ることの出来ない、視野の狭い人間のすることだ一一と、そういうことである。
そんな目先の欲望だけに振り回されている時代なんだから仕方がないと、そう言ってしまえばそれまでなのだが、少なくとも「天才」というのは、時代に縛られることなく、時代を超えてしまうものなのだ。
そして、その実例こそが、「戦争の時代」にも縛られず、その夢を手放さなかった天才、手塚治虫その人なのである。

しかし、こう書くと、「でも、今の私たちの感性からすると、手塚治虫の絵柄は、やっぱり古いとしか思えず、その点で読む気になれない」と、そう言う人もいるだろう。
まあそれは、事実であり偽らざる実感ではあろうと思う。
たしかに手塚治虫の絵には、確実に時代が刻印されている。
けれども、それはどんな作品だってそうなのだ。
現在の目で見れば、最先端の洗練された絵柄であっても、100年後には、手塚治虫と「同時代の絵柄」だと評価されることになるだろうし、その頃の価値観からすれば「かえって手塚治虫の方が、新しい」と言われるようになるかも知れない。
美術絵画の世界を見ればわかるとおり「古い作品の方が、かえって新しい」なんてことは、よくあることなのだ。
一一無論、そんな「未来の評価」が必ずしも正しいわけではないとしてもだ。
では、そうした「時空」を超える作品の価値とは、いったい何なんだろうか?
それはたぶん、わかりきっていてつまらない話だけれども、しかし、実行するとなると困難な「普遍的な人間の問題を描く」ということなのではないだろうか。
「今」ウケるだけではなく、100年後の人や200年後の人の胸をも打てる作品。それこそが究極の傑作であり、「普遍的な名作」ということになるのではないか。
「流行」を追ったり、「新奇さ」を求めれば、それはその時にはウケたとしても、すぐに古びてしまって、顧みられなくなってしまう。
「流行」や「新奇さ」は、どんどん移り、すぐに古びてしまうからだ。
例えば、10年前の人気作家で、今も残っている人は、2人といないだろう。
無論、「その時に売れさえすれば、将来まで作品が残らなくてもかまわない」という考え方もあるだろう。
漫画も商品なのだから、いくら100年後に高く評価されても、今ぜんぜん売れないのでは困ってしまう。
例えば、ゴッホがまさにそうだった。
彼は、生前は「売れない画家」だったのだ。死んでから高く評価されるようになって、馬鹿みたいな値段で取引されるようになった。
それは、ゴッホ個人にとっては、やはり不幸なことではあったはずだ。
やはり、売れるのなら、生きているうちに売れて欲しかったはずなのだ。
しかし、ゴッホ自身は「とにかく売れれば良い」とは思っていなかったはずだ。
彼は、まず「良い絵」が描きたかったはずだ。そして、その「良い絵」とは、他でもない、自分が「良い絵」だと満足できる絵だったはずなのだ。
いくら弟のテオが「良い絵だと思うよ」と言ってくれたとしても、自分として満足のいかない作品では、当然、満足することはできない。
だから、まずは自分の満足できる作品を描けるようになりたい。
そうなった上で、人からも高く評価される絵であって欲しいと、そう願ったはずなのだ。
つまり、まずは自分の美意識であり、次に人にも認められると、そういう順序であって、その逆ではなかったはずだ。
だが、今の、高度資本主義経済の社会では、自分が不本意な作品であっても、ひとまず売れれは良い、ということになりがちだろう。
編集者から「あなたが描きたいようなそんな作品、今どき売れませんから、このネタでお願いします」と言われてしまうと、それを断ることができない。
売れっ子ではない自分には、選択肢などない。わがままなど通せない。そんなことを言えば、もう描かせてはもらえなくなるかもしれない。
「あなたの代わりなら、いくらでもいる」と、そう言われてしまうのが怖い。
だから、いやいやながらそうした注文に応じてしまい、そうしているうちに、多くの漫画家たちは、自分の作品を世に問えないまま消えていくのである。
そこを乗り越えられる「幸運」な者など、もとよりごく限られているのだ。
だが、手塚治虫は、そうではなかった。
彼は膨大な作品を描いたけれど、いやいや描いた作品など無い。
もちろん、思い入れの差はあっただろうが、どんな作品であろうと、「自分の作品」として、良い作品に仕上げようとして努力したことに違いはなかったのだ。
○ ○ ○
このドラマの冒頭は、手塚治虫が好きなアニメの制作に乗り出した結果、その出費によって虫プロ(商事)の経営が傾いてしまい、労働組合から吊し上げをくらっている、労使交渉のシーンから始まる。

当然、この頃すでに手塚治虫は「漫画の神様」であり、いくつもの漫画雑誌に連載を掛け持ちする売れっ子だった。
だが、その一方で「手塚の漫画は、もう古い」などと言われ始めてもいた。
手塚治虫の「漫画の天才」たる所以は、「これしか描けない」ではなく、「あらゆる作品」を自ら進んで描いてみせた点だ。
編集者から求められるまでもなく、描きたい作品が次から次へと浮かんで来たし、若い新進漫画家の作品と比較されて「さすがの手塚治虫も、こういう作品は描けないだろう」と言われると「いや、描けますよ」と言って描いてみせた。

手塚治虫は「神様」とまで呼ばれた人でありながら、決してその立場(従来のパターン)に安住することはなく、才能がある新人作家、人気のある新人作家やその作品などがあると、その作家や作品をライバル視して、同じ土俵でそれを超える作品を描こうとした。
手塚治虫が、新しい才能が登場するたびに激しい対抗心や嫉妬心を燃やしたというのは有名な話だ。
例えば、1980年代に『童夢』や『AKIRA』で一大ブームを巻き起こした大友克洋に対してもそうだった。手塚は、自分の子供のような年齢の大友克洋を、決して侮りはしなかった。
まだ新人だった頃の大友克洋は、初めて会った神様・手塚から「あなた絵がうまいですね。でも描こうと思えば僕にも描けるのですよ」と言われたというのは、あまりにも有名な話だ。
おとな気ないと言えばそれまでなのだが、心から「こいつ、上手い」と思えばこそ、次の瞬間には「でも、負けはしない」とそんな闘志が湧き上がってきて、それを抑えられないほどの作家魂を持った人。それが手塚治虫という人だったのである。
手塚治虫という人は、日頃は「温厚な人格者」だったのだけれど、しかし、それだけの人ではなかった。
漫画(創作)に関しては、まさに「鬼」だったのだ。「漫画でだけは、誰にも負けないし、負けはしない」とそんなふうに「燃えた」人なのだ。
だからこそ、いろんな漫画を描いた。自分に描けないものはないと、そう思っていたから、あらゆるものに挑戦した。
一一だが、それを何十年も続けていれば、新しいものを見つけること自体が困難になってくるし、その意味で、否応なくマンネリの罠にも陥ってしまう。
「手塚の漫画は、もう古い」と陰口され出したのは、そんな時代だったのであり、それは誰よりも、手塚自身がよく知っていたことだからこそ、彼はもがき苦しんでいたのである。
本作ドラマ『手塚治虫の戦争』では、『少年キング』の担当編集者であった黒川が、新作のアイデアに懊悩する手塚に「先生が描きたいものを描いてはどうですか」と言い、後では「先生、その頃のこと(戦争体験)を描きたいのではないですか? それなら、それを描いてください」とすすめるが、手塚は当初それを断る。

その理由は、「戦争体験の漫画なんて、読んで楽しいようなものじゃない。誰が、そんなものを読みたがりますか。そんなものを連載したって、すぐに打ち切りになるのが、関の山です。それに僕はプロなんです。自己満足ではなく、多くの読者を楽しませる作品を描かなければならないんです」と、そう答える。

しかし、別のところではこうも言う。
「そんなこと(戦争の悲惨さ)は、これまでに何度も描いてきた。でも、それで世の中が少しでも変わったわけではないじゃない(ならば、今更それを描く意味があるのか)」と。
つまり、それまでの手塚は、自分の戦争体験をそのまま漫画にはしなかったけれども、いろんな作品の中で、そうしたものを描いてきたということなのである。
手塚にとっては、戦争体験は切実なものであり、それを描くということは、単に「漫画を描く」ということではなく、漫画を通して「戦争の無い世の中」にするために働く、ということだったのだ。単なる「戦争反対」ということではなく、もっと切実なものだった。
だからこそ、自分個人の思い出を語って満足するようなものでなかったのである。
だが、結局のところ虫プロが倒産して、その整理作業をしていた際に、戦時中の中学生時代に描いた作品の原稿が出てきて、手塚は、その頃のことをありありと思い出すことになる。

そして、借金を返すために、またバリバリと作品をいくつもかけ持ちで描いていた時に、その頃の思い出を題材にした自伝的な作品を描くことにする。
一一それが、『少年キング』に掲載される、『紙の砦』だ。

本作ドラマの「あらすじ」は、次のとおり。
『 1973年、東京。漫画の神様・手塚治虫(高良健吾)は、会社の倒産と少年誌の連載打ち切りによって一転、どん底へと転落する。多額の借金と世間の「終わった」という評価に追い詰められ、創作への自信すら失いかけていた。そんな手塚の脳裏によみがえるのは、戦時中――漫画を描くことすら許されなかった少年時代の姿だった。』
このドラマは、虫プロの倒産から『紙の砦』の完成までの現実の手塚治虫(高良健吾)を描いたパートと、『紙の城』と『ゴッドファーザーの息子』という2本の自伝的作品を下敷きにした「回想パート」が交互に描かれるという、オリジナル作品である。
回想パートの方では、手塚は『紙の砦』の主人公である大寒鉄郎(原田琥之佑)として、登場する。

原作となった、『紙の城』と『ゴッドファーザーの息子』のそれぞれのストーリーは、次のページをご参照願いたい。
本作で特に印象に残るのは、戦争末期、世の中が戦争一色になって、漫画を描くことなど非常識も甚だしいと、それが許されなくなっていた時代に、それでも漫画を描き続けた、手塚治虫の執念のようなものだ。
授業中にこっそり漫画を描き、それを教師に見つかって「今、そんなことをしているような時か。兵隊さんは今日もお国のために、命を賭して戦って下さっているというのに」と叱責され、クラスメイトからは変人扱いで、せっかく描いた漫画の原稿を紙飛行機にされて、教室の窓から放られたりする。
あるいは、学徒動員で通っていた工場でも、こっそり作業を抜け出し、人目を盗んで漫画を描き、それがバレて「非国民」呼ばわりされ、袋叩きになって原稿も破り捨てられる。


たしかに大寒鉄郎、つまり手塚が、三度の飯より漫画描きが好きだというのはわかるのだけれども、しかしここまでやるのは、やはり尋常なことではない。
普通は、そこまではやらないし、出来ないのだが、どうしては、手塚はそこまでやったのだろうか。
それは、その頃すでに、手塚にとって漫画を描くことは、生きることそのものであり、生きる意味であったからだ。
漫画が描けないくらいなら生きている意味がないと、そこまで思っていたのだ。
すでに日本本土が空爆に遭うようにあり、自分自身いつまで生きていられるかもわからない状況であったればこそ、いま描かないわけにはいかなかった。明日という日の保証など無かったから、人からなんと言われようと、手塚は漫画を描き続けたのである。

つまり、そんな手塚だからこそ、「漫画の神様」とまで言われるようになっても、人に遅れをとることは、我慢ならなかったのだ。
手塚治虫にとっては、漫画は、単に稼ぐための仕事でも、世に出て名声を博すための手段でも、ましてや「趣味」などでもなかった。それらすべてを含んでそれ以上の、自分にとっての「生きる意味」だったのである。
だから手塚治虫の漫画は、人を楽しませようとして描かれたものであっても、ただそれだけのものではない。
その根底には、自分の人生そのものが賭けられているのだから、決して単なる「娯楽作品」では済まないのだ。そこには否応なく「人間存在」そのものが込められており、だからこそ手塚治虫の漫画は、その意味において非凡であり、普遍的なのである。
このドラマのラストでは、学徒動員先の工場が空襲を受けた際に顔を重い火傷を負った、大寒鉄郎の憧れの人である京子さんと鉄郎の二人が、終戦になったことを知り、淀川の河川敷へやってきて、そこから対岸を眺めるシーンがある。


以前、空襲による対岸の火事を呆然の眺めた場所だったが、今回は陽の落ちかけた対岸の家々に、一つまた一つと窓の明かりが灯り出すのを見て、鉄郎は戦争が終わったことを実感する。
それまでは、灯火管制のため、窓から光が外に漏れないよう、すべての窓に覆いが掛けられていたのだが、それが外された証拠だったのである。
それを見て鉄郎は、「これで(誰に気兼ねすることもなく)思う存分、漫画が描けるぞ!」と歓声を上げるのだが、その鉄郎が振り返った先に立っていた、まだ顔半分を包帯で覆っていた京子は、そんな鉄郎の様子に微笑みを返しながらも、静かに首を横に振るのである。


つまり鉄郎は、終戦によって、思う存分漫画が描けるようになり、漫画家への夢を追えるようになった。
けれども、京子の場合は、戦争は終わっても、顔に火傷を負ったせいで、宝塚大劇場の舞台に立つという夢を、永遠に断たれていたのである。
京子だけではない。このドラマで描かれた、鉄郎の理解者である友人たちも、出征して二度と帰らぬ人となっていたのだ。

つまり、手塚治虫の漫画とは、彼らの分まで生きて、彼らの分まで夢を叶えるものでなければならなかったのだ。
自分一人の夢の実現で満足するわけにはいかなかった。
一一それが、手塚治虫の漫画であり、「手塚治虫の戦争」というものだったのである。
もちろん、このドラマは、あるいは原作漫画に描かれたことは、半ばフィクションではあっただろう。
だが、そこに込められて、思い出の中の人たちへの想いは、本物だったはずだ。
そして、それが本物だったからこそ、手塚治虫の作品は、成功作も失敗作も、本物の作品だったのであろう。
手塚治虫が「漫画の神様」になったのも、彼が自分一人ぶん以上の想いを背負って、漫画を描いていたからなのだろう。
彼は、普通に一人前の漫画家に止まることの許されない人だったのだ。
だからこそ、人間離れした執念を持って、人間離れした仕事を残したのだはないだろうか。
彼の漫画は、自分のためだけのものではなく、戦争によって夢を絶たれた人や、無念の死を遂げた人たちへの、絶やすことの出来ない、彼なりの「祈りの供物」だったのではないだろうか。

(2026年9月3日)
○ ○ ○









コメントを残す