▷ 映画評:カート・ウィマー監督『リベリオン』(2002年/アメリカ映画)
Wikipediaによると「近未来SFガンアクション映画」ということになるらしい。まったく、そのとおりである。
この作品も、先日ご紹介したSFアクション映画『クローン』(2000年/ゲイリー・フレダー監督)と同様、ネットニュースで紹介されていた、YouTubeの映画オススメ動画「最高に面白いSF映画TOP10」で紹介されていた作品である。
しかしながら、個人的にはそれだけではない。
もう20年も前になるだろうか、本作は、映画マニアが嵩じて映画館で働いていた年下の友人が、当時しきりに絶賛していた作品として、私の記憶に残っていたのだ。
たぶん、その頃にネット検索もしているはずで、ポスターにはたしかに見覚えがあった。

また何よりも忘れられないのは、タイトルではなく、本作に登場した〈GUN=KATA〉(ガン=カタ)という、拳銃操法の名称である。
ここで言う「カタ」とは、文字どおり、空手や拳法などにおける基本動作、つまり「型」のことで、ここでは日本語がそのまま使われている。
そして私は、子供の頃に空手を習っていたことがあるので、この「型」という言葉が強く印象に残っていたのだ。
で、この〈ガン=カタ〉がどのようなものなのかというと、作中人物の説明によれば、次のようになる。
『数千年に渡るガンファイトの研究は、遂に射程・軌道の予測可能な要素の抽出に成功。
敵対者が幾何学的な配置であるならば、その動きは統計データから予見できる。
ガン=カタでは銃を総合的に活用する。
最大限の殺傷効果を生む位置を維持し、最も効果的な射撃を可能にしつつ、敵の銃撃は、データから位置と弾道を予測し、回避することができるのだ。
ガン=カタを習得すれば、攻撃能力は少なくとも120%、防御面では63%向上する。
ガン=カタを極めた者は、敵対者にとって脅威の存在となるのだ』
つまり、最も科学的かつ効率的な、実践的拳銃格闘術とでも呼ぶべきものなのだが、その見た目はというと、空手や中国拳法の型にそっくりで、ただその両手に銃を持っておこなうところが根本的な違いなのである。
で、この〈ガン=カタ〉は、見た目にはとてもユニークで、カンフー+ガンアクションそのまま。しかし、普通の拳銃操法と大きく違うのは、接近戦も可能だという点である。


普通のガンファイトのように一対一で離れて向き合うとか、物陰に隠れて遠くから撃ちあうというのとは違い、まるでカンフーアクションのように、相手が至近距離にいても拳銃を使い、多人数の敵をもなぎ倒す。
単に「射殺する」だけではなく、銃をヌンチャクやトンファーのような接近戦用の打突武器としても使うのである。
しかしながら、たしかにユニークであり、格好は良いのだが、やはり、あまり現実的なものではない。
あくまでも映画的な「見た目のカッコ良さ」優先だから、現実性は、目を瞑らなくてはならない。「そういうものなんだ」というつもりで見なければならない、そんな映画的な「お約束」だと言えよう。
上の設定だと『攻撃能力は少なくとも120%、防御面では63%向上する。』とのことだが、そんな程度では、周囲を囲まれて銃で撃たれたら、弾道計算もへったくれも、とにかく弾丸を避けるいとまなど無いというのは、あまりにも自明。
けれども、本作の主人公ジョン・プレストン(クリスチャン・ベール)は、この〈ガン=カタ〉の達人だという設定で、銃器を持った10人以上の敵に周囲を囲まれながらも、敵に撃ついとまも与えないまま、全員撃ち殺してしまうというのは、どう考えてもあり得ない強さのである。
でも、カッコよければ、一一これでいいのだ。




そんなわけで、本作はどんな映画かと言えば、要はこの〈ガン=カタ〉というユニークな拳銃操法による、スタイリッシュなガンアクションを見(せ)るための作品である。
まただからこそ、最初に書いたように、まさに「近未来SFガンアクション映画」であり、それ以上でもそれ以下でもない作品。
ハッキリ言ってストーリーなどは、このアクションを盛るためのものでしかない。
だから、本作の世界設定やストーリーだけを説明すると、どんなに酷い作品かと思われてしまうこと間違いなし。
それで、ストーリー紹介は後回しにしたのである。
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21世紀初頭、第三次世界大戦が勃発して世界が疲弊し、もういちど戦争が起これば、つまり第四次世界大戦が起こったならば、人類は確実に滅びてしまう。
そんな瀬戸際に立たされて、人々は「戦争を起こさないようにするには、どうしたらいいのか?」という難問に真剣に向き合った結果、ある解答にたどり着き、それに基づく社会を作り上げた。
一一と、そんな世界設定なのだが、その「解答」とはどのようなものだと、あなたは考えるだろうか?

なんと、その「解答」とは「人間から感情を無くせば良い。感情が無くなれば、誰も戦争なんかしようとは思わない」と、そんな飛躍しまくった極論だったのである。
それで、ファーザーと呼ばれる絶対的国家指導者は、人々が「感情」を揺さぶられることのないように、あらゆる芸術や娯楽を禁止し、ただ社会に役立つことだけをするよう要求し、さらに、知性は鈍らないが感情を鈍麻させる薬物の定期的な投与を義務化したのである。
人々は、あくまでも理性的に判断して行動し、感情に動かされることはない。だから、たしかに社会は平穏になったのだが、言うなればそれは「ゾンビの平和社会」みたいなものであり、そんな非人間的な「全体主義」社会が出来上がってしまったのである。
しかし、当然ことながら、いくら平和ではあっても、愛することもなければ怒りも知らない、感動することすら禁止されたような社会では、生きている価値も意味もない。
文字どおり、ただ「生体ロボット」のように生かされているだけなのだから、当然のことながら、そんなのは御免だと、レジスタンス活動をする人たちも出てくる。
そこで当局は、そうしたレジスタンスを狩り出すために、〈ガン=カタ〉を修めた特別捜査官たる「グラマトン・クラリック」を使って、レジスタンスの摘発・処刑を行なっていたのである。
で、そのクラリックの中でも最も優秀だったのが本作の主人公である、ジョン・プレストンたったのだ。

しかし、ある時、ジョンの妻が「感情違反者」として逮捕処刑されてしまう。
だが、ジョンや子供たちは、そのことで悲しみや怒りの感情を露わにすることはできない。それがまた罪となるからだ。
その後、ジョンの相棒クラリックであるパートリッジも、レジスタンスと内通していたことが判明し、ジョンの手で射殺されることになる。
だが、そうしたつらい経験を経る中で、ジョンは「感情を殺して生きる平和な社会」というものに疑問を感じるようになり、ある時から、義務化されている感情抑制剤の投与をやめて、自分の職務やレジスタンスたちの考えと向き合うようになる。
そしてついには、レジスタンスの方に寝返って、絶対権力者ファーザーの妥当に立ち上がるのだ。
一一と、こんな具合に「至極ありがちなストーリー」でしかなく、本作がこれだけの作品なら、見る価値などまったくないと、そう断じてもかまわないだろう。
だが、それにもかかわらず、本作が娯楽映画として、それなりに楽しめるのは、〈ガン=カタ〉によるオリジナリティあふれるスタイリッシュなアクションの魅力がまず第一にあり、それだけではなく、その絵作りもシャープでスタイリッシュだし、しぶいゴシック調の街や建物などの美術設定がまた、とても私の趣味に合った。
ナチスドイツの残した、その権力を誇示するかのような豪壮な建築物をそのまま利用して、変にSF SFし過ぎない、迫力のある「近未来の全体主義国家」を、見事にビジュアル化していたのである。



また、〈ガン=カタ〉と同様、東洋趣味が適度に盛り込まれており、それが白黒のモノトーンで統一した服装設定なども、低予算を補ってあまりあるスタイリッシュなものに仕上がっている。


つまり本作は、見た目において極めてスマートな作品となっており、何も考えずに、ただボーッと見ていて、とても楽しい作品に仕上がっているのだ。
もちろん、私はどちらかと言えば「内容重視」派だから、この作品を見ても、「せっかくここまでスタイリッシュに作れるのなら、もう少し中身をどうにか出来なかったのか」という気持ちもないわけではない。
けれどもやはり、こういう作品も「あって然るべき」だと思うのだ。
本作は、宣伝に金をかけられなかったために、公開時は話題になることもなく短期間で打ち切られてしまったのだが、にもかかわらず、DVD化された後、口コミによってカルト的な人気を勝ち得た、そんな宣伝力に頼らない実力派作品であり、確かにそれだけのことはある作品なのだ。
かの名作『遊星からの物体X』(1982年/ジョン・カーペンター監督)と同じようなパターンで、その評価を勝ち得た作品なのである。
「カッコいい」だけのアクション映画。一一そう言ってしまえばそれまでなのだが、しかし映画にとって、「カッコいい」というのは何よりも重要な要素である。
「カッコいい」とは「魅力的だ」ということであり、逆に言えば、どんなに中身があっても、魅力のない作品は、間違いなく失敗作だからである。だから本作は、これでいい。
文学の世界でも、純文学もあればエンタメ小説もあるように、映画だっていろいろなものがあってこそ、私たちはそれを楽しみことができる。
また、それが文化というものだろう。
映画というジャンルにおいても、全体主義だの原理主義だのといったものには、警戒すべきであり、狭隘な理想や綺麗事を押しつけようとする者には、十分な警戒が必要なのである。
じっさい、最近そんな「縛りが多すぎる」と感じることはないだろうか?
ならば、それに易々と服従するのではなく、本作のタイトルが示すように、「反逆せよ!」ということなのだ。

(2026年5月21日)
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