ナタン・ドゥヴェール 『反世界【アンチモンド】』: いかにも現代のフランス文学

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▷ 書評:ナタン・ドゥヴェール『反世界【アンチモンド】』(早川書房)


なにが驚いたと言って、それはもう本書の値段である。税込み価格で4,070円なのだ。

私の場合、ブックオフオンラインで買ったから、定価よりは数百円安かったが、今年の5月に刊行されたばかりで、その1か月後くらいに購入したため、ほんの数百円ほど安かっただけだ。

ブックオフの場合、刊行間もない本だと、普通は税抜き価格より百円ほど安いだけ。
だから本書だってその程度のことで、たぶん購入価格3,500円くらいだったと思うのだが、「4,000円の本が3,500円なら、まあいいか」と考えたのだ(ちなみに今日現在は3,355円)。

もちろん、普通なら、4,000円超えの新刊小説など滅多に買いはしないのだが、本作の場合は、珍しい「フランスSF」だという点に興味を持ってしまった。
正確には、フランスSFの訳書というのは「珍しいはずだ」と、そう思ったのだ。

詳しくは知らない。おおよその印象でしかないのだが、あまり日本では耳にしない気がしたし、フランス本国ではそれなりにSFが書かれていたとしても、英米の作品に比べると、日本での翻訳は、ずっと少ないんじゃないか。

フランスでSFというと、ちょっと幻想文学寄りになって、英米のSFで育った日本のSFファンの好みには合わないから、それで翻訳が少ないのではないかと、そんなふうに考えたのだ。

一一つまり、そう思っただけ。
あくまでも、私個人の印象論であって、購入前に、わざわざ調べたというわけではないし、読了後の今も、すこしでも調べた上で、このように書いているわけではない。
あくまでも、なぜ買う気になったのかの説明をするために、購入前に「考えていたこと」を紹介しているだけなのだ。

で、話を戻すと、私がこのような「印象」を持つのには、それなりの理由もないわけではない。
まあ、それは当然のことだろう。それなりの印象形成要因的なものはあったのだ。

それは、私がミステリマニアで、翻訳ミステリも多少は読んでいたこと。加えて、幻想小説ファンでもあるので、そっちではフランスの幻想小説やエロティシズム小説をそれなりに読んでいたためである。

つまり、ミステリ(ミステリー小説)の世界では、私の好きな「本格ミステリ」が強いのは、圧倒的に英米であり、フランスの印象は薄い。フレンチミステリと言えば、論理的な謎解きミステリ(本格ミステリ)よりも、人間心理に重きをおいた作品が主流だったと言っても、まあ大筋で間違いではないはずだ。
無論これは、私が若い頃、数十年も前の話であって、近年のことはよく知らないが、それでもまあ、大筋ではそんなに変わっていないだろうとそう考えたのだ。


また、幻想文学のファンとして、さらには、フランス文学者であり作家でもある澁澤龍彦のファンとして、澁澤が紹介したフランスのエロティシズム文学も多少は読んだ。

その結果わかったのは、澁澤龍彦が紹介するようなフランスのエロティシズム小説は、普通のポルノ小説、つまり日本のポルノ小説などとは違って、やはり「文学」なのである。

つまり、男性読者の劣情を唆るだけの作品ではなく、エロティシズムというものに、人間存在の本質を見るような、一種の哲学性の込められているのが、フランスのエロティシズム小説であり、その中でも「傑作」と呼ばれるものを、澁澤龍彦などが、わざわざ日本に紹介したのである。


また、事実そうした作品は、フランスではしばしば、著名な小説家や哲学者が、変名で書いて地下出版したりしていたものなのだ。
フランスでは、哲学と文学が密接に絡み合っていたためであろうと推察される。

ジョルジュ・バタイユが当初「オーシュ伯」名義で刊行した『眼球譚』

美術の世界でもそうだ。
日本では「キワモノ」扱いにされるような、エロティシズム絵画が、フランスではウケたりするのである。

(林良文「わが祖国」)


だから、フランスのエロティシズム文学を、ポルノ小説だと思って読むと失望させられることになる。平たく言うと、わかりやすくスケベな小説ではないのだ。

もちろん、性行為についての描写はたくさんあるのだが、それはどこか「観念的」なものであって、情に訴えるものではない。つまり、劣情を唆るような作品ではない。

例えば、日本のSM文学の傑作、団鬼六『花と蛇』みたいに、麗夫人が「ああ、いけませんわ。そんなそんな…」なんて感じて、色っぽく悶えてくれたりはしない。

(私が読んだのは角川文庫版)

そういう描写も、セリフも少なく、どちらかと言えば、客観的で乾いた事実描写が中心であり、セリフも少ないないのだ。
その意味では、即物的な客観描写に終始する作品が少なくない。

例えば、澁澤龍彦が本格的に翻訳紹介し、その翻訳作品の「猥褻性」が問われて刑事裁判にもなった(そして有罪にもなった)おかげで、日本でも知られるようになった、マルキ・ド・サドの小説などは、まさにそんな感じ。つまり即物的な、変態セックス描写のオンパレードであり、日本のポルノ小説のような、親しみが持てない。

サドの場合は特にそうなのだろうが「人間の本質って、結局、こんなもんなんだよな。そうだろ、おい」と、そんな具合に突きつけてくるような感じがあって、いわゆる「ユーザーフレンドリー」な作品ではないのである。

(マルキ・ド・サド著・澁澤龍彦訳『ソドム百二十日』。イタリアの著名な映画監督パゾリーニが同作を映画化した際の表紙カバーと帯。フランスとイタリヤは、同じカトリック国として何かと繋がりがあるように思える。禁欲を強いる宗教戒律のある自由主義国ほど、屈折したエロティシズム作品が生まれやすいようだ。スペイン出身の、ルイス・ブニュエルの作品もそうである)


で、何の話をしているのかというと、フランスのエロティシズム文学は、日本人の普通に考えるようなポルノ小説ではなく、優れて哲学的な小説だという話である。だから、少しもエッチではない。
平たくいうと、少しも劣情をそそられない。

だから、そちらを期待する向きには、日本のポルノ小説を読んだ方が、よっぽどいいのである。
今でも刊行されているのかどうかは知らないが、昔はよく売れていた感じの「フランス書院文庫」などから刊行されていた、内外のポルノ小説(特に国産)なんかを読む方が、よほど「実用的」なのである。

そんなわけ(?)だから、フランスのSFも、英米のSFやそれをベースにして発展した日本のSFとは、どこか違っているのだろうという推測が私にはあった。

フレンチミステリが、英米や日本のミステリとは違って、「心理」重視なのも、フランスのエロティシズム文学が、「哲学」的で「観念的」なのも、それはたぶんフランスの歴史と文化に由来する国民性から来るものだろうから、当然フランスのSFも、英米や日本の「SF」観からすれば、ちょっと変わったものであり、ピンと来ない作品が多いだろうし、そのために日本でも翻訳されることが少なかったのではないかと、そんなふうに私は推理した。

つまり、なにも私は「私のエロ小説歴」を書きたかったわけではない。そんなことをわざわざ人前で語りたがるような変態ではない! 一一ということである。

そんなわけ(?)で、フランスSFである本書の『反世界【アンチモンド】』を読んでみる気になったのは、いくつかの要因があってのことで、こんな感じである。

(1)フランスSFって「どんな感じ」だろうかという興味があった。

(2)それでもインターネット普及後の作品である以上、むかし読んだ、フランスのエロティシズム小説のような、べたべたのフランス風ではなく、良くも悪くも世界的標準に均され(ならされ)ているだろうから、そこまで読みづらいこともないだろうという予想があった。

(3)なにしろ、定価が4,000円にもなるような、普通は売れないような「大作」を、わざわざ翻訳するのだから、それはそれなりにその価値のある傑作なのだろう。
事実、ゴンクール賞の候補にはなったそうだし、受賞作ではなくても、それは個性的すぎるなどしたために受賞できなかったのかもしれない。

おおよそ、そんなことを考えた。

つまり、多少はクセのある大作なのかもしれないが、挑戦してみる価値はありそうだとそう思って、購入することにしたのである。

一一だが、手元に届いて、まず驚いたのは、「薄っ!」ということだった。しかも「ソフトカバー」である。
この本を書店で手に取っていたなら、きっと買わなかっただろう。

私の常識からすれば、本書は、そのページ数や造本からすれば、せいぜい2,000円台半ばまでの本である。この本で4,000円超えは法外だ。
坊っちゃん夏目漱石)なら「べらんめえ、ふざけてやがる」と腹を立てるかもしれない。

もちろん、最近は翻訳小説が目立って高くなっているという話くらい聞き知ってはいた。
私の記事にコメントをくださった方が、アガサ・クリスティーの新訳文庫が2,000円を超えていて手が出ないというようなことを書いてらしたので、私も「それは高い。私だったら、そんなのは絶対買わない。ひと昔前なら、日本でも売れっ子のクリスティーの文庫本なら、古本だと200円くらいでいくらでも転がっていたし、古書価がいくら上がったと言っても、旧訳の文庫なら、今でも500円前後では買えるはずだから、私なら絶対にそっちを買う」なんてことを書いていていたのだ。

だから、本書『反世界【アンチモンド】』を手に取った際、最初に感じたのは、「えっ、この本が4,000円なの⁈」ということだったのである。
どんなに傑作だったとしても、ひとまず本の造りとして高すぎる。

早川書房の本だから、国書刊行会の本みたいに、美麗な外函入りの豪奢な造本を期待したわけではなく、あくまでも当たり前の造本の本なのだろうから、それで4,000円もするのなら、きっと分厚い「大作」だと、そう思い込んでいたのだ。文庫になるときは、3分冊になるような作品だと思い込んでいたのである。

ところが、厚さからすれば、普通なのだ。

じつさいには、342ページあるから、薄いというわけではなく、普通か、普通よりちょっと厚めの長編である。
ただ、ソフトカバーだったし、定価が定価だから「薄っ!」というのが、私の偽らざる第一印象だったのである。

そんなわけだから、本作には、よっぽどの傑作であることを期待してしまった。
分厚い大作ではなくても、年間ベスト級の傑作であるならば、4,000円の元は取れるだろうと、そう期待したのである。

一一では、その結果はどうであっただろうか?

○ ○ ○

(本作にエロティシズムの要素は無い)

結論から言えば、「普通」である。

面白くないこともないが、特別に面白いというわけではない。
まあまあこんな感じかなと、そんな感じ(?)の作品であった。

本書を読んで良かった点は、やはり本書はフレンチSFだったという点である。

内容的には、大きく英米のSFと違っているわけではない。
むしろ、ストーリー的には、ありふれたSFだと言っても過言ではないだろう。

だがやはり、語りの力点が、英米や日本のSFとは、少し違うと感じられた。

英米や日本のSFの多くが、SF的な発想の面白さやビジョンの斬新さを重視し、さらには物語として、あるいは読み物としての「楽しさ」つまり「エンタメ性」を重視するのに対して、本作が力点を置いているのは、やはり「人間」なのだ。
SF的に「特殊な状況」に置かれた、人間の「心理」が丁寧に描かれて、そここそが売りになっている。

言い換えれば、英米や日本のSFが、あまり興味を持たなかった部分、「文学」的にすぎて面倒くさいとでもいう感じて、あまり顧みなかった「普遍的な人間の心理」の問題を重視し、それを丁寧に描写した作品になっているのだ。

だから、SFマニアではない普通の読書家には、むしろ取っつきやすい作品だと言えるのかもしれない。
プロパーの文学賞ではない、ゴングール賞の候補作になったというのも、そうした点ではうなづけるところなのである。

だが、SF性を期待して読むと、かなり物足りない作品だとも言える。
SF小説としては、特に新しいところもなければ、驚くようなものもない。

ただし、SF的な世界の中におかれた人間の存在を丁寧に描いて、今の社会とこれからの社会に問題を提起する、そんな、正統派の「社会派」でもある、「人間の文学」なのである。

だから、私としては、ハッキリ言って、物足りなかったし、期待はずれでもあった。

決して悪い作品ではないというのは大前提として、私の場合は、「良い文学作品」を期待したのではなく「変なSF作品」を期待していたので、その点で期待はずれだった。

喩えて言うなら、フランスのヤンキー(小説)を期待していたのに、フランスの優等生(小説)が出てきたという、そんな感じの、期待はずれだったのである。

本作のあらすじは、次のようなものである。

Z世代のウェルベックが描くもう一つの未来世界!

2022年、コロナ禍のフランスで画期的なメタバース「反世界」が誕生。夢破れ、鬱屈した日々をおくる青年ジュリアンは詩人ヴァンジェルとしての人生を始め、一躍反世界のスターとなる。やがて彼が巻き起こす熱狂は現実世界に影響するまでに膨れ上がり……。』

早川書房の本書紹介ページより)

『フランスで画期的な仮想世界〈反世界〉(アンチモンド)が生まれる。
現実と瓜二つながら、法の秩序なき自由の世界で、詩人ヴァンジェルは日夜人々を熱狂させていた。
だがその正体が鬱屈とした日々を送る青年、ジュリアンだとは誰も知らない。
ヴァンジェルの名声と人々の熱狂は留まるところを知らず、彼は〈反世界〉の象徴として祭り上げられていく。やがて人気絶頂の彼の元に、ある独裁者暗殺の依頼が届き……。』

Amazonの本書紹介ページより)


主人公のジュリアンは、プロのシンガーソングライターを志す、三十代に差し掛かった青年である。つまり、少々焦っている。

自身で作詞作曲をして、それをレコード会社に持ち込むのだが、話は聞いてもらえても、商品化まではしてもらえないという、中途半端な立ち位置に止まっている。

最初から鼻もひっかけてもらえないというのなら諦めもつくのだが、レコード会社の担当者は、彼の才能を否定するわけではなく、むしろ褒めてくれるのだ。
ただし、彼特有の「クラッシック指向」については「売りにくい(だろう)」という難色を示すのだ。要は「もっと今風でないと」と要求するのだが、ジュリアンとしては、そんなものを書いたとしたら、それは自分の個性を否定することにしかならないから、そこは「今度こそ、これというやつを書いて」と奮起するのだが、何度も書いても色よい返事がもらえず、とうとう30歳になってしまい、「このままではまずい」という焦りが出てきていた。

その上、つきあっている彼女とも、そろそろソリの合わなさが目立ってきた。
美人なのだが、完全なマイペース派で、これまでは彼の方が彼女に合わせて来たのだが、それもそろそろしんどくなって来ていたのである。

ジュリアンの現職は「派遣のピアノ教師」。つまりUberの派遣教師版で、将来的な展望も無ければ何の保証のないそんな生活にも、そろそろ疲れを感じ始めていたのである。

それでふと、無料で利用できる仮想現実サービス「反世界(アンチモンド)」を初めてみた。
このサービスの特徴は、

(1)とにかく世界がリアルに再現されている。映像的には、現実そのものとしか思えない解像度で、プライバシーに関わる部分以外は、世界を丸ごと再現して見せており、そこでは、独自の通貨による経済圏さえ構築されているのである。

(2)ただし「反世界(アンチモンド)」においては、利用者は「リアルな自分の情報」をいっさい持ち込んではならないという、厳格なルールが課せられている。それをやぶると、一発アウトでアカウントを消されてしまいい、そこで稼いだ儲けも、すべて消えてしまう。通常「反世界(アンチモンド)での儲けは、レートに従って換金することで、リアルの世界に持ち帰れるというのにである。
喩えて言うなら、SNS「note」で、作品を売って稼いだ儲けみたいなものである。利用規約違反としてアカウントを消されてしまうと、そこに残っていた儲けまで没収されてしまうのだ。


そんなわけで、「反世界(アンチモンド)」では、ジュリアンは、リアルの自分とは違いクセの強い面貌のアバターを使い、「ヴァンジェル」というハンドルネームで、リアルではできない世界旅行をするうちに、まだ開発の進んでいない「反世界(アンチモンド)」の土地に投資することで大金を儲け始め、その上がりで、リアルの生活を支えられるようにまでなる。

だが、「反世界(アンチモンド)」では土地転がしの金持ちであり、リアルでは無名の「派遣ピアノ教師」にすぎない自分に満足することができず、ジュリアンはつい「反世界(アンチモンド)なんて、つまらねえ」という趣旨の、挑発的な詩を、「反世界(アンチモンド)」の中のインターネットに公開してしまう。

この詩の公開は、確かに「リアルの情報」そのものを持ち込むものではなかったけれども、「反世界(アンチモンド)」の価値を相対化する、批判的な内容の反逆詩でもあったのだ。

ところが、これが「反世界(アンチモンド)」の新展開に行き詰まりを感じていた、「反世界(アンチモンド)」の開発者社長の目に止まり、「反世界(アンチモンド)」内のインターネットで派手に紹介されて大バズりをした結果、ジュリアンは「反世界(アンチモンド)」最大の詩人に祭り上げられてしまう。

これは、ジュリアンにとっては、予想だにしなかった展開だが、無論悪い話ではない。

彼は「反世界(アンチモンド)」における世界的な著名人となり、その影響力はリアルの世界にまで波及する。
「反世界(アンチモンド)」の大スターを、リアル世界の方も、放っておくわけがなかったからである。

こうして、ジュリアンは、ヴァンジェルとして「反世界(アンチモンド)」において、たまに詩を書くだけで、オンラインとリアルの双方で、楽に生きていける程の世界的な著名人になるのだが、しかし、有名人になったが故の「身バレ」の危機にも晒されたせいで、「反世界(アンチモンド)」の中の彼は、多くのボディガードに守られながら、豪壮な屋敷の中に閉じこもる生活を余儀なくされてしまう。
「反世界(アンチモンド)」にもいるイエロージャーナリストたちの餌食になるわけにはいかなかったからだ。

だが、これはこれでストレスの高まる生活であり、そんなとき彼はついに、リアルの世界ではすでに別れていた元恋人(のアバター)の訪問をうけことになる。
どうやら彼女は、ヴァンジェルの正体がジュリアンであることに気づいており、その秘密を隠すことの交換条件として対価を求めに来たようなのだ。

ところがジュリアンは、そんな元カノに、自ら正体を明かしてしまう。
しらばっくれることも出来たのだが、もうそれをすることにもウンザリしていたからである。

一一そんなわけで、ヴァンジェルことジュリアンの「反世界(アンチモンド)」における命は風前の灯ということになるのだが、そこに再び、「反世界(アンチモンド)」の開発者社長の救いの手が入る。
ただし今回は、条件付きであった。

その条件とは、すでに引用した、本作の公式紹介文に紹介されていた『ある独裁者暗殺の依頼』である。

その独裁者とは、「反世界(アンチモンド)」の世界における「(ドナルド)・トランプ主義者」の政治家であり、「反世界(アンチモンド)」のアメリカにおいて、開発者社長の意に沿わない好き勝手をやって、それなりの支持を集めていたのだ。

だが、この独裁政治家は「反世界(アンチモンド)」の利用規約そのものに抵触しているわけではないから、彼のアカウントを停止するわけにはいかない。
だから、「反世界(アンチモンド)」の規約には反しないかたちでの排除、つまり別の利用者による「暗殺」という迂回手段が採られることになったのである。

「反世界(アンチモンド)」の世界では、リアルの世界で実行可能なことは、すべて許されていた。つまり、犯罪(の疑似体験)も認められていたのだ。

ただし、その犯罪は「反世界(アンチモンド)」内部の法律によって裁かれはする。
つまり、「反世界(アンチモンド)」内の(利用者による)警察に捕まり、(利用者による)裁判にかけられ、(利用者の運営する)刑務所に入れられる。そして、罪が重ければ、彼は死刑となって、アカウントが消されてしまう。

要は、二度と「反世界(アンチモンド)」が利用できなくなる、だけなのである。
だから、それくらいならと、快楽殺人をする者だって少なくはなく、「反世界(アンチモンド)」の利用者は、そうした利用者から、自分で自分の身を守る工夫はしなければならないのだ。

ともあれ、「反世界(アンチモンド)」の開発者社長からの、独裁者暗殺指令を受け、ヴァンジェルことジュリアンは、見事にその仕事に成功させ、しかもそのことで、多くの「反世界(アンチモンド)」市民の支持を受けるヒーローにまでなるのだが‥‥‥。

一一と、こんなお話だ。

だが、本作の結末、結局ジュリアンがどうなったのかということは、さほど重要なことではない。

というのも、本作が描くのは「承認欲求に振り回されて生きる、現代の私たち自身の戯画」であり「実存」の問題だからである。

そのような意味で本作は、いかにも「フランス文学」なのだ。



(2026年7月26日)


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