▷ 書評:文藝春秋篇『東西ミステリーベスト100』(1986年版・文春文庫)
本書は、私が二十代のはじめ、ミステリー小説を読み始めた頃に、たいへんお世話になった本だ。
私の場合、今では「ミステリー小説」のことを、基本的には「ミステリ」または「ミステリ小説」と表記する。
世間では「ミステリー小説」の方がいまだに一般的なのだが、こうした一般的ではない表記をあえて採用するには、それ相応の理由があってのことだ。
なぜ、ミステリマニアが「ミステリー小説」とは言わずに、「ミステリ」または「ミステリ小説」と言うのかというと、「ミステリー(mystery)」というのは、本来は「(真相の)隠されたもの」としての「謎」や「神秘」といったことを指した言葉なので、その意味では、例えば、「超常現象・超能力」や「UFO」、昔なつかしい「ネッシー」や「ツチノコ」などは、すべてこちらの「ミステリー」である。
そして一方の「探偵小説=推理小説(mystery)」とは、そうした「謎」や「神秘」を、近代合理主義的に解明する体の作品なので、同じ「mystery」と呼ばれるにしても、その方向性が、ほぼ真逆なのだ。
一方は「不思議大好き」であり、もう一方は「不思議が解き明かされる、合理性が大好き」なのである。
そうした大きな違いがあるだけに、そこには使用上の区別があった方が便利だ。
例えば、書店へ「探偵小説=推理小説」を買いに行って、「ミステリー小説」と書いてあるから、てっきり「探偵小説=推理小説」本だと思い込んで買って帰ったら「オバケの話」だった、というのでは困る。
そこで、そうした誤解やトラブルを避けるために、「探偵小説=推理小説」の場合は、「ミステリー」ではなく、「一(音引き)」無しの「ミステリ」と表記することにしよう、という話になった。
そうした理由から、早川書房が1956年に『ミステリ・マガジン』(現:『ミステリマガジン』)を創刊した際に、「ミステリ」という表記を採用し、それを定着させた。
だから、「探偵小説=推理小説」マニアも、それに倣って「ミステリ」と呼ぶようになったと、大筋でそういう経緯らしい。
だが、なにしろ半世紀以上も前の話だから、『ミステリ・マガジン』よりも先に「ミステリ」という表記を使った日本人もいるだろうし、その起源的には諸説あるようだが、まあ、この言葉を定着させたのは『ミステリ・マガジン』だと言っても良いようである。
で、肝心の『東西ミステリーベスト100』なのだが、この場合はなぜ「ミステリー」なのかというと、この本の元になったアンケートを行ったのが、『ミステリ・マガジン』のような専門誌の版元ではない、「週刊文春」誌の版元・文藝春秋だったので、世間一般の用語である「ミステリー」を採用した、というなのことだ。
そんなわけで私も、レビューを書く際、「想定読者」が一般の「ミステリー小説」読者か、マニア寄りの読者か、あるいはその両方なのかなどを勘案して、「ミステリー小説」「ミステリ小説」「ミステリ」などを使い分けたり、複数使用したりしている。
だが、個人的に馴染んでいるのは「ミステリ」なのだ。
さて、そんな『東西ミステリーベスト100』だが、その概要は次のとおり。
『東西ミステリーベスト100(とうざいミステリーベストひゃく)は、1985年に『週刊文春』で実施された、推理小説のオールタイムベスト選定企画。推理作家や推理小説の愛好者ら約500名がアンケートに回答し、結果は『週刊文春』1985年8月29日号および9月5日号で発表された。1986年12月には文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』として文春文庫より刊行された。
2012年、『週刊文春』2013年1月4日臨時増刊号として、リニューアル版が27年ぶりに発表された。(※ こちらも新版として文庫化された)』
(Wikipedia「東西ミステリーベスト100」)

ここで紹介されている『推理小説の愛好者』というのが、例えば「SRの会」とか今はなき「怪の会(元『幻影城』FC)」や、「ワセダミステリクラブ」や「京都大学推理小説研究会(京ミス)」といった大学のミステリ研究会などである。
つまり、『東西ミステリーベスト100』は、当時のミステリ作家や評論家、そして筋金入りのミステリマニア(読者)の意見を結集したものだったのだ。
そして、のちに私は、「SRの会」と「怪の会」の両方に入会することになるのだが、入会後の2012年版の投票には参加していない。
その理由は、新本格ブームが最高潮に達したこの頃には、「SRの会」の会員からも作家デビューする者(有栖川有栖・芦辺拓など)が出てきており、それ以前の1988年から始まっていた年度別のアンケートランキング誌『このミステリーがすごい!』へのSRの会会員の投票に「身内びいき」を感じられ、私はそれを批判していたので、この種の投票には、参加しない(共犯にはならない)と決めていたためである。
なお、「怪の会」の方については、私は同サークルの中心メンバーであった縄田一男や長谷部史親を批判していたので、そのせいか、投票云々というお声は一度もかからなかった。
原稿料の出る投稿が、ケチな既得権益と化していたためであろう。
ともあれ、そんなわけで、私にとっての『東西ミステリーベスト100』とは、いちミステリファンとして、純粋にその内容を信頼することのできた、1985年版(旧版)の方のことだったのだ。
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さて、今回、いまさらのように『東西ミステリーベスト100』をご紹介しようという気になったのは、先日この本で紹介されていた歴史的傑作でありながら、今日まで読む機会を逸してきた、小泉喜美子の『弁護側の証人』を、ついに読むことができたからである。
そのレビューでも書いたことなのだが、昨今のミステリ小説についてのネット記事というのは、アマチュアによるそれが悪目立ちするということもあるとは言え、古典的名作を押さえないまま、目の前の作品を評価し、論じているものが、あまりにも多い。
プロの書評家であってさえ、ミステリマニア出身ではない場合、古典作品を押さえずに論評するから、結構ありふれたトリックを使った作品であっても、無邪気に「びっくり」してしまい、そんな記事を読んで本を買ったベテラン読者を大いに失望させたり、時に激怒させたりすることも、今では珍しくもない話だからだ。
彼らは、自分が「読んでいない本」については決して語らず、それでいて「当然、読んでますよ」みたいな顔をしがちだから、いわば「騙されてしまう」のだ。
そんなわけで私は、ここで『東西ミステリーベスト100』の中から、「国内編」の30位までをご紹介して、その一部に注釈を加えた上で、次のように訴えたいのだ。
「個人的な好き嫌いは別にして、このベスト30くらいは、すべて読むべきである」と。
一一無論、何を読むかはその人の勝手だし、「古典的作品」だからと言って、読まなければならないという義理も義務もない。
ただし、ミステリを「論じる」のならば、これくらいは、最低限の教養として知っておくべきだと、そういう意味で強くオススメするのである。
したがって、ミステリ作品を論じたり、他人様にオススメ(推書)したりしないのであれば、別に無理をして読む必要はない、ということでもあるのだ。
では、なぜ、ここで取り上げる『東西ミステリーベスト100』は、「1985年版」(旧版)であって、「2012年版」(新版)ではないのかというと、「2012年版」(新版)の方は「新本格ミステリブーム」絶頂期のもののため、比較的新しい、新本格ミステリが多数ランクインしているためである。
つまり、まだ「古典」とは呼び難い、今となっては、順位を大きく落としたり、ランクアウトするだろう作品も多く含まれていると、そう判断したためである。
さらに、本稿ではなぜ、「国内作品」に限定しているのかというと、私の場合、この『東西ミステリーベスト100』にランクインしているような作品は、内外ともにほとんど読んではいるものの、やはり、翻訳作品よりも国内作品の方をずっとたくさん読んでいるので、オススメするのに自信のある、ここでは「国内編」に限っておこうと、そう考えたからだ。
本稿の主たる目的は、自分の好きな作品を薦めることではなく、「論じるための基礎教養となる古典作品」をオススメすることなので、よく知っている作品だけをピックアップして、自信ありげにオススメするようなことは、意識的に控えたのである。
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さて、『東西ミステリーベスト100』のWikipediaならば、新旧版両方の内外のベスト100をすべて確認できるのだが、ここでは1985年版の「国内編」ベスト30だけを、あらためて紹介しておこう。
1 横溝正史 『獄門島』 1947
2 中井英夫 『虚無への供物』 1964
3 松本清張 『点と線』 1957
4 坂口安吾 『不連続殺人事件』 1947
5 小栗虫太郎 『黒死館殺人事件』1934
6 夢野久作 『ドグラ・マグラ』 1935
7 横溝正史 『本陣殺人事件』 1946
8 鮎川哲也 『黒いトランク』 1956
9 連城三紀彦 『戻り川心中』 1980
10 高木彬光 『刺青殺人事件』 1948
11 船戸与一 『山猫の夏』 1984
12 天藤真 『大誘拐』 1978
13 江戸川乱歩 「二銭銅貨(短編)」 1923
14 江戸川乱歩 『陰獣』 1928
15 松本清張 『ゼロの焦点』 1959
16 泡坂妻夫 『11枚のとらんぷ』 1976
17 泡坂妻夫 『亜愛一郎の狼狽(短編集)』 1978
18 水上勉 『飢餓海峡』 1962
結城昌治 『ゴメスの名はゴメス』 1962
20 土屋隆夫 『危険な童話』 1961
21 島田荘司 『占星術殺人事件』 1981
22 泡坂妻夫 『乱れからくり』1978
23 大岡昇平 『事件』 1977
24 北方謙三 『檻』 1983
25 江戸川乱歩 「心理試験(短編)」1925
26 竹本健治 『匣の中の失楽』1978
27 志水辰夫 『飢えて狼』1981
28 高木彬光 『白昼の死角』1959
29 生島治郎 『黄土の奔流』1965
北方謙三 『逃がれの街』1982
(Wikipedia「東西ミステリーベスト100」)
いやもう「すごい」と言うか、「豪華」と言うほかない布陣だ。
だが、注釈すべきことは、いくつかある。
まずこの中で、私の読んでいない作品が4つある。
それは、18位の結城昌治『ゴメスの名はゴメス』、28位の高木彬光『白昼の死角』 、29位の生島治郎『黄土の奔流』と北方謙三『逃れの街』である。
結城昌治の『ゴメスの名はゴメス』を読まなかったのは、本作が「スパイ小説」に分類される作品だと聞いたからだ。
私はスパイ小説の名作もいくつかは読み、それらに感心しはしたものの、しかしジャンルとしては、「本格ミステリ」へのような愛着は感じなかったためだ。
結城昌治その人については、戦争小説『軍旗はためく下に』を読んで、かなり感心したものの、だからと言って結城のスパイ小説まで読みたいとは思わなかったのである。
同様に、高木彬光の『白昼の死角』を読まなかったのは、本作が「本格ミステリ」ではなく「犯罪小説」だと伝え聞いたからだ。
高木彬光については、本格ミステリの『刺青殺人事件』(10位)、『人形はなぜ殺される』(32位)などは読んでいる。
『黄土の奔流』と『逃れの街』を読んでいない理由は、これらが「冒険小説」または「ハードボイルド」に分類される作品だったからだ。
北方謙三については、24位の『檻』は読んでおり、そちらにあまり感心しなかったから、それより順位の下がる『逃れの街』には、まったく興味が持てなかった。
また、生島治郎の方は、恋愛小説なども書いた人だが、ミステリ作家としては「冒険小説」系の人だと聞いていたので、最初からまったく興味が持てなかったのだ。
私はおおむね「ウエットな作品(情に訴える作品)」が、あまり好きではないのだ。
それにしても、なぜ「冒険小説」に興味が持てなかったのかというと、このベスト10では、11位にランクしている船戸与一の『山猫の夏』が、まったく性に合わず、読むのにとても苦労したという思い出が大きい。
ほかにも、逢坂剛や志水辰夫の評判作である冒険小説などもいくつかは読んだが、やはりさほど楽しめなかった。
逢坂剛の場合、スパイ小説にも分類される『百舌の叫ぶ夜』が例外的に楽しめたのは、この作品には「本格ミステリ」的なトリックが仕掛けられていたためだ。ある意味では「スパイ小説に見せかけた本格ミステリ」だったのである。
だから、同様のことを期待して読んだ、逢坂剛の他のスパイ小説には失望させられもし、その結果、冒険小説やスパイ小説には興味を失ってしまったのである。
無論、冒険小説やスパイ小説であっても、作家によっては、読めば面白い作品、私の好みに合う作品もあるだろう。
例えば、ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』などは、かなり感心させられたが、これとても、ある種の「叙述トリック」に感心したからなので、他の(長い)スパイ小説にまでは、なかなか触手が伸びなかったのである。
ちなみに、2012年版の新版『東西ミステリーベスト100』では、新本格ミステリの台頭により、冒険小説系の作品が、大きく割を食ってランク外に消えた、という事実も申し添えておこう。
冒険小説ブームは、1985年版の前だったのである。
そんなわけで、上に紹介した「ベスト30」の中でも、個人的には好きになれない作品はあるものの、その傾向は比較的ハッキリしているので、それらを私が楽しめなかった理由もハッキリしていた。要は「好みではなかった」だけである。
ということは、私が楽しめなくても、これらの冒険小説やスパイ小説を楽しめる人は、やはり少なくないはずだ、ということにもなろう。
したがって、いずれにしろこの「ベスト30」なら、すべて読んでおく価値があると、そう言えるのだ。
仮に、読んで面白く感じられない作品があったとしても、それはまず間違いなく、作品が悪いのではなく、読者の方に、その面白さを理解するセンスが無かっただけなのだ。
だから、自分のセンス(趣味嗜好)の「偏り」を知る意味でも、この「ベスト30」くらいは、すべて読んでおくべきなのである。
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さて、以上のように断った上で、ここからは「個人的に愛着のある作品」について、いくつか紹介させていただこう。
まず、私が最も好きなのは、本邦において「三大奇書」と呼ばれる、夢野久作『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』の3作で、それぞれ6位、5位、2位にランクインしている。


そしてこの3作の中で、私にとって特別な作品とは、中井英夫の『虚無への供物』だ。

私が20世紀末にネットデビューして以降、長らく使っていたハンドルネーム「アレクセイ」は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の登場人物、アレクセイ・カラマーゾフと、そのアレクセイの愛称「アリョーシャ」をあだ名とする『虚無への供物』の登場人物・光田亜利夫に由来するものなのである。
それに、幸いなことに私は、最晩年の中井英夫その人に、何度か個人的にお会いすることができ、『虚無への供物』の初版本に、「〝その人々〟の一人」という添え書き付きでサインをもらえたのだから、これはもう「呪われた」としか言いようがなかったのである。
あと、26位にランクインしている、竹本健治の『匣の中の失楽』も愛着のある作品だ。
「三大奇書」ほどではないものの、「第四の奇書」と呼ばれるだけのことはある、私好みの作品なのである。

それから、ミステリとしてよりも、「思想小説」として私に絶大な影響を与えたのが、笠井潔『バイバイ、エンジェル』(54位)と『サマー・アポカリプス』(36位)だ。
刺さる人には、むちゃくちゃ刺さる、読者を選ぶミステリだと言えるかもしれない。


このほかには、島田荘司のデビュー作で21位の『占星術殺人事件』と、第2作で42位の『斜め屋敷の犯罪』も、天才トリックメーカーによる、前例のない「一発トリック」の大傑作で、島田荘司は「この2作」を書くために生まれてきたと、そう言っても良いほどの、飛び抜けた作品である。


あと、最後にもうひとつ付け加えるなら、江戸川乱歩の中編『陰獣』であろう。
乱歩らしい「変態趣味」あふれる妖しい作品だが、作中作による叙述トリックも仕掛けられており、贅沢極まりない、乱歩ミステリの代表作だと言えるだろう。

一一そんなわけで、若いミステリファンには、是非ともこの「ベスト30」くらいは読んでほしい。
中には趣味に合わない作品や、文体的に古くて読みにくいと感じる作品もあるだろう。
だが、そこまで含めても、やはり、読んでおいて損はない作品ばかりだし、一一中には、貴方の一生を変えてしまうような作品の潜んでいる公算もだって、決して低くはないのである。
(2026年7月17日)
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