▷ 書評:『柄谷行人発言集 対話篇』(読書人)
とにかく分厚い本なので、読了するのに手間どってしまった。まるで辞書みたいな本なのだ。
なお、上の「読書人」というのは、私のことではなく、本書版元の出版社名である。

『デビューから50年にわたる対話の記録
(著者単行本未収録原稿のみを収録)
1969年の文芸評論家デビュー直後から、様々な論者(哲学者・作家・批評家・研究者・音楽家)と対話をおこなってきた柄谷行人氏。その50年にわたる対話の記録。
著者単行本未収録の「対話」55本を収録。総原稿は100万字(原稿用紙2500枚)を超える。
著者30代~70代までの思考の軌跡を一望に見渡すことができ、〈夏目漱石論〉にはじまり、『マルクスその可能性の中心』『隠喩としての建築』『日本近代文学の起源』『批評とポスト・モダン』『探究』を経て、『トランスクリティーク』『世界史の構造』『哲学への起源』『帝国の構造』『憲法の無意識』へとつづく、巨大なる”知の山脈”を形作った思想家・批評家の、その格闘する姿が、本書で明らかになる。』
(Amazonの本書紹介ページより。引用にあたり、適宜改行を加えた)
この本を読み始めたのは、2023年の8月。しかし、たぶん1週間ほど読んでもいっこうに捗がいかないので、他の本、たぶん読みたい小説なんかが出てきたので、いったんは本書を置いて、そちらを読むことにした。
しかし、その本を読んでしまうと、他にも読みたい本があるので、そのままズルズルと他の本を読むことになり、ついには「続きは暇ができた時に読もう」とそう考えるにいたり、爾来約2年半、本書を寝かせることになってしまった。
当然、その頃にはすでに退職して隠居生活に入っており、本を読んではレビューを書き、映画のDVDを見てはレビューを書きと、まったく無駄のない生活を始めていたので、むしろ読書冊数は、働いていた頃より減ったくらいであった。
現役時代は、読書を優先して映画は見なかったし、読んだ本見た映画のほぼすべてについてレビューを書くなんてこともしていなかったからだ。当然のことながら、文章を書くのに必要な時間というのは、決して馬鹿にならないのである。
そんなわけで「いつか暇ができたら続きを読もう」などと当てのないことを考えて、読むのを中断してしてしまった『柄谷行人発言集 対話篇』だったので、2年半も寝かせることになってしまい、このままいけば死ぬまでに二度と手に取る機会は無いんじゃないかと、そう思うようになっていた。
ところが、そのチャンス(?)は、思いがけないところからやってきた。
昨年(2025年)の後半に、前立腺がんの疑いが判明して、いろいろ検査などをやった結果、昨年末頃にがんであることが確認された。
そして今年1月に、前立腺の全摘手術を受けることになった。1月28日に入院して翌日に手術をうけ、10日間ほど入院した後、一人で帰宅し、手術後のリハビリを始めることになったのだ。
手術の後の痛みといったものは無かった。しかし、膀胱の下部に位置する前立腺を全摘すると、膀胱の下部、前立腺の上にある筋肉を多少なりとも損傷してしまうので、排尿をコントロールできなくなってしまう。いわゆる「尿漏れ」の状態だ。
だから、退院後はオムツを履いての生活となり、ほとんど失われた膀胱下部の筋肉の代わりに、もっと下にある「骨盤底筋」を鍛えるためのリハビリに入った。
しかし、鍛えるといっても、激しい運動は当面禁止で、やることといったら、横になった姿勢で、「体の力を抜き、肛門を閉めたままゆっくり5秒数える。おならを我慢する感覚で」とか「「締める、緩める」の繰り返しを1日に何回にもわけでやる」とか「無理のない程度に散歩をする」とかいったことで、体力を使うようなリハビリではなく、あくまでも継続することが大切だといったものであった。
ただ、退院後、2ヶ月くらいは単車に乗るなと言われた。やはり、臀部への直接的な振動が良くないのである。
また、長時間座ったままというのも良くない。
それで、退院後、最初に鑑賞したのは、長年見たいと思いながら見る機会のなかった、出崎統監督のテレビアニメ『ガンバの冒険』(全26話)で、椅子に手を添えて立ったままそのDVDを鑑賞し、同時に、上の「骨盤底筋体操」をやった。
そのようにして、1週間ほどかけて『ガンバの冒険』を見終えた後、次に始めたのが、こちらも、ここ数年の懸案だって、酒見賢一の大作『泣き虫弱虫諸葛孔明』(全5巻)を読むことだった。
しかしながら、まだ退院して1週間くらいだったので、それまでのようにソファーに座ったままの状態で、長時間を本を読むというのはマズそうだったので、この本については、布団の上に寝転がって読む時間のほうが長かった。
またこの頃には、入院の10日ほど前に「投稿禁止」を食らったSNS「note」の代わりとなる個人サイトを立ち上げようと考えるようになっていたので、『泣き虫弱虫諸葛孔明』の後は、サイト構築用フリーソフト「WordPress」の入門書を3冊ほど読んだ。
そして、このいささか退屈な入門書を読み終えると再び通常の読書へ戻って、いずれも長年、読みたいと思いながら積んだままにした本を読むことにした。
まず最初に『柄谷行人発言集 対話篇』の残り。そのあとは『シュレーバー回想録』だとか、山城むつみの長編評論『ドストエフスキー』、ラテンアメリカの文学、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』といった、とにかく暇がなければ読めない分厚い本を、優先的に読み始めたのである。
一一そんなわけで、『柄谷行人発言集 対話篇』を通り越して、その先まで説明してしまったが、要は私にとって本書『柄谷行人発言集 対話篇』は、途中まで読んでいたこともあって、最も気になっていた未読了の本だったのだ。
だが、幸か不幸か、一時は「死ぬまで読めないかも知れない」なんて思っていたものを、奇しくも、がんを患うことで読む機会を得ることになったのである。
○ ○ ○
そんなわけで、本書の前半は2年半前に読んでおり、残りを2ヶ月ほど前に読んだ。
当然、2年半前に読んだ分の内容は、ほとんど記憶していない。
長編小説ならば、おおよその筋くらいは憶えてもいただろうが、20本余りの雑多な対談の内容など憶えていられるわけがない。
そもそも、2ヶ月ほど前に読んだ後半の内容ですら、すでに忘れかけているのである。
ただ、前半の内容で、唯一、私の記憶に残っていたのは、柄谷が哲学研究者・赤間啓之との1994年の対談(「カオスの辺縁 自由主義・超越論・資本主義」)において、自分の専門知識をペラペラと並べ立てる赤間に対し、苛立ちを隠さない、けんもほろろ態度をとっていたことである。
これほど露骨に拒絶的で、険悪なムードを漂わせた対談など、滅多にお目にかかれるものではなかったからで、こんな具合だったのだ。
『僕は思想史的に、あるいは特にフランス思想史的に考える能力も余裕もないので、あなたの話は興味深く聞くということしかできません。しかし、そのことが自分の思考にとって欠落になっていると思えないのですが。』(P408)
『僕は(※ 外国人に関しては)いわばビックネームばかりやっている(※ だけで、あなたのように詳しくはない)んですけど、それは単に(※ 僕が)怠惰だからです。ただし、(※ あなたにはご興味もないであろう)日本のことならかなり無名な人をも知っていますけどね。しかし、もっと根本的に、僕はいわゆる歴史に興味がないんです。構造にしか興味がない。カントに関しても、それを歴史の中で見ようとは思っていない。カントからどれくらい可能的な構造(※ カントの可能性とその中心)を引き出せるかということにしか興味はありません。そして、そういう可能的構造にカントという名を当てているだけです。マルクスに関しても同じです。』(前同・P409)
山城むつみの『ドストエフスキー』のレビューにも書いたことだが、ここで柄谷が赤間に対して言おうとしているのは「あなたはよくお勉強なさっていますが、あなたのそれは批評ではないし(ましてや哲学でも思想でもない)、あなたは批評というものがわかっていない」と、そういうことである。
柄谷は、赤間の中に、近年目立ってきた「お勉強をして(知識を受け売りして)いるだけの学者」の典型を見て、そんな勘違いへの不満を(多少は、言葉を慎みながらも)ぶちまけた、ということだったのだ。
もちろん、私はここで、柄谷の「大人げなさ」を批判したいのではない。その「率直さ」に共感しているのである。
こういう、少なからず存在する「勘違いした大学の先生」に対しては、ハッキリ言ってやらないといけない。
ハッキリ言ってやってもわからない公算も高いけれど、しかしだからと言って、相手の世間体なんかに配慮して言わないでおいたりすれば、こうした勘違い野郎が、その「肩書き」においてのさばることを許すことにもなるのだから、やはり批評家なればこそ、こういうことはハッキリと言っておく責務があるのだ。
まただからこそ私自身も、武蔵大学の教授で、映画評論もやっている北村紗衣に対して、「貴方は批評家(評論家)としてはまったく無能なのだから、批評のわからない頭悪い読者を相手にして、外国で得た雑学でも切り売りにしていなさい」と指摘したりしている。
また、最近「note」の方で私をフォローしてくださった、椿カヲル子(鈴木薫)氏は、その昔、大学の先生が書いたBLの歴史研究本(石田美紀著『密やかな教育 〈やおい・ボーイズラブ〉前史』)を批判して、石田の方も反論したりしていたのだが、これだって結局は同じことなのだ。
上の方の記事のコメント欄に、批判された石田美紀が、次のように書いている。
『石田美紀4 2009-09-18 12:27
・「本書は世に出てしまい、「京都大学博士(人間・環境学)」で「新潟大学人文学部准教授」である人物の書いた、権威ある研究として流通しています」(※ 椿=鈴木文の引用部分)
まずは、いまどき「大学教員=権威」という図式が成立すると信じておられるところに困惑しております。そもそも大学教員というのは一職業分類にすぎません。
言うまでもなく、文系の博士号が現在の実社会ではまったく意味がないどころか、足をひっぱっていることは周知の事実です。もしご存知なければ、水月昭道『高学歴ワーキングプア』などをお読みください。
そもそもの発端となった(※ 批評誌)「コーラ」プロフィールにおける三島の特攻隊の箇所でも、(※ あなたは)私、英文の教員(私はこの方が誰か分かりませんが)、石田仁さんといった「大学教員」を痛烈にあてこすっておられますが、三者が生計を立てる際に現在選んでいる「大学教員」という職種についての面罵だと判断します。これは悪質な個人攻撃であり、あるいは職業蔑視ともいえるものです。』
などと書いているのが、たいへん興味深い。
私は思わず、「アメリカン・ニューシネマ」論争の相手である須藤にわか氏の「note」記事に対し、次のようにコメントした、北村紗衣を彷彿とさせられてしまった。
大学教員界隈では、批判された場合に、こうした物言いで返すことが、常態化していたのかも知れない。

『北村紗衣
2024年8月27日 09:36
須藤にわかさん、あなたは私が「お姫様になることが女性の権利向上と考えているフシがある」などと私が思ってもいないことを言って人格攻撃を行いました。
それが弁護できることだとでも思っているのでしょうか。フェミニズム観の違いに逃げようとしても無駄です。
年間読書人さんの、私の本を切り刻むというコメントは通報いたしました。』
石田美紀は、
『いまどき「大学教員=権威」という図式が成立すると信じておられるところに困惑しております。そもそも大学教員というのは一職業分類にすぎません。』
と自分で言っているのだけれども、どんなに無能な「准教授」でも、その「肩書き」において、肩書きなしの一般人はもとより、ただのライターなどよりも、はるかに容易に本を出してもらえるという事実は、否定できまい。
その実例が、まさに我が北村紗衣なのだから、私は自信を持って、このように確言できる。
大学「教授」だの「准教授」だのといった「肩書き」が、まったく当てにならないという証拠など、我が「北村紗衣」はもとより、その周辺のフェミニスト大学教授連中として、いくらでも存在しているし、その事実を、私自身は実証して見せてもいる。
下は、その一例にすぎない。
仮に、彼らが「高学歴ワーキングプア」であったとしても、本さえ出せば、編集者や書店員、一般読者からさえ「先生」扱いにされ、専門家扱いされるのが、大学の先生ではないのか。
つまり、金より名誉があるから、好きで大学の教師をやっているのではないのか。
嫌なら、そんな肩書きなど捨てて、専業のライターにでもなって、実力だけで本を出してみせろと、そういうことである。
さて、そこで話を柄谷行人に戻すと一一、北村紗衣がそうであるように、「批評」の世界ですら、こういう「勘違い大学教授」たちが「私は文学の専門家でござい」とやったりするから、まともな批評の書ける評論家たちは、馬鹿馬鹿しくて、イライラさせられてもいる。
なにしろ、北村紗衣ごときが『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』(ちくま新書)なんて本を、臆面もなく出す時代なのだから、しっかりした文芸評論が読まれなくなるのも、当然の結果なのだ。
本書『柄谷行人発言集 対話篇』を読んでいればわかるとおりで、柄谷は、もうずいぶん前から、こうした傾向に苛立っていたのであり、それが赤間啓之との対談で、とうとう直接的に噴出したということなのである。
実際、こう言っては何だが、柄谷行人と私には、こうした「率直さ」において似たところがあり、だからこそ私は、柄谷行人という人に惹かれたのだ。
単に「理論家としてすごい」とか、そういうことではなかったし、これは、のちに紹介するとおり、中上健次が柄谷を信用した理由でもあったはずなのである。
例えば、私と柄谷行人の似たところのひとつは、「肩書き嫌いの実力主義」であろう。
だから、たいしたこともないくせに、仕事で勉強させてもらった知識をひけらかし、ろくな批評能力(思考能力)もないくせに「自分は専門家であり、情報に裏づけられた、確かな評価を語っている」みたいな、北村紗衣的な態度が、我慢ならないのだ。
山城むつみが『ドストエフスキー』で語っていたことも、東浩紀が『平和と愚かさ』で語っていたことも、みんな同じことなのである。
『 (※ ドストエフスキー研究者の、タチアナ・)カサトキナは(※ 長編『白痴』の登場人物)ナスターシャの運命に聖母の昇天を重ね合わせることで、これまで不可解だった(※ この物語の)結末の細部を一網打尽に解読する。たとえば、最後のナスターシャがしきりにオリョールに行きたがっていたという片言は様々に憶測されて来たが、カサトキナはこの謎を次のように解く。
《地名としてのオリョールは普通名詞では鷲を意味する。そして、鷲はキリスト教のシンボリズムにおいて聖霊、昇天、さらには罪の大海から魂を救済して神のもとへと召し上げるキリストを意味する。つまり、聖母ナスターシャの願望は、殺されて眠った後に、鷲であるキリストによって天の神のもとへと運ばれたいということなのだ》と。
ここからは次のような読みがひらける。《聖母の色である(※ 10行省略)のだ》。
かくして、『白痴』に関する多年の研究を、ウスペンスキー大聖堂を核とする発見において総決算しようとするカサトキナは次のように述べることを憚らない。この作品の最も本質的な部分はロシアの歴史と福音の物語というメタテクストに結びつけられており、ロシア史やキリスト教とりわけ正教に関する認識をぬきにしてただ作品固有の領域内で読んでいるだけでは『白痴』の本質は適切に解釈し得ない、と。
たしかに、本場ロシアで正教に関する深い造詣を背景にしてなされるカサトキナの、聖女のごとく神がかった『白痴』読解は強力で刺激に満ちており、ロシア史にも正教にも疎い日本の読者を驚かせる。ひょっとすると研究者さえ彼女の諸発見を存分に利用して新説の謎ときを濫造するかもしれない。いや、大文字のドゥーフ、聖霊(Dukh)が緑の緞帳の向こう側に横たわるナスターシャの遺体にやって来て彼女を復活させ天へと運び去るというカサトキナの《適切な解釈》が、誰よりも、上述の八節のように読んで来たこの私にとって好都合で刺戟的だったことは断るまでもないだろう。
しかし、圧倒的な謎ときを前にしたこういうところこそ《読むこと》が踏み止まるべき閾(しきい)なのだ。カサトキナの謎ときに反論する用意も力も全くないにもかかわらず、《何かが根本的にちがう》と私は感じている。ナスターシャの遺体が天に召し上げられるなどあり得ぬ荒唐無稽だと言うのではない。復活や被昇天があっても別にかまわない。お伽話はいいのだ。ただ、ムイシュキンとロゴージンとナスターシャの関係の外部でそれが問題にされているかぎり、一切は(※ 創作的な)趣向にすぎなくなる。本文を興味深く照らし出す、気の利いた借景であっても、趣向を凝らすということは《読むこと》とはちがうのだ。お伽話が私にとって意味を持つのは、その荒唐無稽が三人の「関係そのもの」(森有正)としてあらわれているかぎりにおいてなのだ。ナスターシャはただ死んだのではない。彼らに殺されたのだ。彼女の眠り(uspenie)は、過剰に決定された三人の関係のなかに書き込まれているのである。こうした関係性ぬきにそれ自体として強調される大文字の就寝(Uspenie)に私は興味を持てない。どんなに上等な謎ときであっても、《読むこと》は謎ときではない。私は自分の読みを一歩でも進めたいと思っているが、素人の読み方を一歩たりとも離れようとは思わない。テクストの外部を参照するのはかまわない。私も大いに利用する。しかし、それはテクストの内部にあることが直観されていながらテクスト内部ではどうやっても見ることができなかったものを、それが見えるようにしてくれるかぎりにおいてのことだ。カサトキナやクニリスキーの注釈を私が参照するのも同じ理由からだ。だから、彼らの注釈のように卓抜な謎ときであっても、テクストの外部(たとえばロシア史や正教に対する認識)に見出した事柄や事物に適合するように作の解釈を切りそろえる手つきがほんの少しでも見えた瞬間、素人の読み手(※ である私・山城むつみ)は眉をひそめて呟く、《ロシア史や正教に関する特殊な認識なしには読めない部分など、たとえそれこそが『白痴』の本質なのだと誰かが証明してもそんな本質とは一緒にいたくない》と。』
(山城むつみ『ドストエフスキー』単行本版 P340〜342)
『(※ ナスターシャを)刺す瞬間、ロゴージンがあの百姓のように《主よ、キリストに免じて(※ この愚かな私を)ゆるしたまえ》という祈りを心の中でその(※ ナスターシャの愛を宿した)眼にささげなかったはずはない。この人殺しが粗暴さの極致であげたこの繊細な祈りを、初めて赤ちゃんの笑顔を見た母親のように喜んで聴き取ることのできる耳でないどんな「神」がこの(※ 特異な)作家(※ ドストエフスキー)に信じえただろう(※ ドストエフスキーの「神」とは、教義どおりの神などではない、ということ)。《眼》も《耳》もただ彼らのこの関係の内側にあらわれる。正教のドグマも神学も分離派に関する注釈もその内部には入れない。ここから先は飛び道具(※ お手軽で便利な道具)は棄て去るべきだ。『白痴』を読むのに必要なのは三人の「関係そのもの」を、広間に足音として嗅ぎ分けようとする(※ 繊細かつ真剣な)耳だけだ。それを緞帳の向こうに出来事として嗅ぎ取ろうとする(※ 透徹した)眼だけだ。もはや、自分の耳と限の嗅覚以外に頼るべきものはない。教義も神学も注釈もそれらを塞ぐばかりだ。』
(山城むつみ『ドストエフスキー』単行本版 P349〜350)
『 哲学や批評という言葉は、いまではすっかり、小さく個別的な問題を、慎重に(ときに政治的に)まちがいのないように検討する、専門的な技法を意味する言葉に変わってしまった。ソルジェニーツインについて語るのであれば、ロシアに留学し、ロシア文学に通暁し、スターリニズムについての膨大な文献に目を通し、その結果として長編のひとつでも分析できれば幸運なような、そういう「厳密さ」が二一世紀の人文系アカデミズムの本質である。ぼくはその厳密さを否定しない。とはいえ、大学から遠く離れ、年齢も五〇に近づいたぼくとしては、もはやそのような厳密さなどどうでもよく、ただ自分が生きているあいだになんとかして大きな問いに戻りたいと、そんなことばかり考えている。
ただし、それは困難な課題である。解答が困難であるだけではない。問いへの接近そのものが困難なのだ。
いま述べたように、現在の哲学や批評はそのような大きな問いに接近するようにつくられていない。だから、問いに近づくためには、いまの哲学や批評の語彙、それそのものからあるていど離れる必要がある。しかし、だからといって、過去の人文知の蓄積を放棄し、徒手空拳で思索を展開するのでは、あまりに効率が悪いし、なによりもまともな読者はだれも読まなくなる(とはいえ現実には、いまはかつてなくそのようなアマチュアリズムが幅を利かせている時代でもあるのだが)。だとすれば、ぼくはまずは、哲学でありながら哲学でないような、批評でありながら批評でないような、新たな語彙と文体を開発する必要がある。』
(東浩紀『平和と愚かさ』P163〜164)
要は、お受験優等生的に「勉強」ができて、「知識」を山ほど溜め込んでいるというのと、「批評能力」とは、まったく別物だということだ。
そのあたりの「本質的な違い」を表している柄谷行人の言葉を、本書の中から紹介して、解説していこう。
○ ○ ○

(01)『柄谷一一秋山さんはいま文学史を書いていて、それが非常に難渋してるらしいですけどね、そんなことはもうわかり切ってることだと思う。ぼくは秋山さんて人は歴史を書くっていうことに向いてないと思うんですよ。その向いてないっていうことを秋山さんはなんか、おれは能力がない、というふうに自分で思っておられるようだけれども、そうじゃないと思う。まず文学史を書くためには、歴史というか、直線的な時間というようなものを信じていなければならないでしょう(※ でも、批評家に必要なものは、そんな信仰じゃない)。(※ たしかに)一つには、ぼくの場合、資質的にあわないんですよ。たとえば記憶力がないしね。(※ だから、文学史は書けない)
秋山一一(※ 記憶力が無いのは)ぼくもご同様。』
(P113〜114、秋山駿との対談「漱石と現代」1977年)
私が常々「記憶力が無い」と書いていることを知っている人もいるだろう。
だから、柄谷行人がこうハッキリと断言してくれたことは、なかなかありがたかった。
だが、記憶力というのは、受験生には必須の才能だという、今も変わらぬ現実を忘れてはならない。
今の学歴社会における「頭の良さ」とは、しばしば「記憶力」で計られる部分が確かにあって、なるほど「地頭の良さ(思考能力の高さ)が重要だ」といったことも、ずいぶん前から言われてはいるものの、入試が「まず記憶する」ということを大前提とするものだという事実は、昔と少しも変わってはいないのだ。
だから、その思考能力の割には記憶力に自信のない者は、当然「記録資料」に頼らず、その意味するところを自分の頭で考えようとするし、それが習慣になってもいれば、自負するところにもなっている。
だから、「専門に関する情報収集能力で勝負するような専門家は、早晩AIにその地位を取って代わられるだろう」と、そんな皮肉のひとつも口にしたくなるのだ。
(02)『(略)今、「脱線」って言われたけれども、いわば、「脱・線化」といった方がいい。デイリニアライゼイションですね。「脱・線化」っていうことは、ぼくなんかの場合には、ほとんど資質的にそうだと思いますけどね。たとえばマルクスやってても、それがすぐに言語学になるとか、ニーチェになるとかね。そういうことは(※ 特に日本の)哲学者はできないですよ。西洋人がやってくれるとすぐ真似するけどね。サルトルをやってた人が、急にニーチェを読んだりするわけだけれども。ぼくの場合には、そういう「脱・線化」ということは、(※ 流行には関係なく)わりあい自然(※ にやってしまうこと)で、そういう横断的結合みたいなのが、(※ むしろ)あたりまえに見えるわけね。つまり、ぼくはそういう意味で(※ 私の視点に徹するという意味で)「私小説的」なのですよ。しかし、もちろんそれだけではだめなんです。「線」(※ としての客観的な歴史的事実に関する知識)というものなしには、また、「脱・線化」はないからね。(※ 単なる)「脱線」そのものでは、どうしようもない。』
(P191〜192、平岡篤頼との対談「脱・線化のエロス」1980年)
つまり、『平和と愚かさ』で東浩紀も言っていたとおり、基本的な知識は確かに必要だけれども、専門の「線路の上」をひたすら走っているだけの「線的」な専門バカである(そうでしかあり得ないような)哲学(研究)者は二流だし、ましてや、そんな者は批評家ではありえない、という話だ。
ともあれ、この私が「脱・線化」の批評を書いていることを否定する者はいないだろう。
とにかく気が多すぎて、各個別ジャンルについての知識の方はおのずと不十分で、昔から「専門は無い」と公言せざるを得ないのではあるが。
(03)『僕は、自分がやっている」ことは、ここは批評で、ここは哲学でとか、そういう分類を自分では出来ないと思っているわけですね。また分けてみるつもりもない。
だから、ある意味では、全部批評と呼んでもいいけれども、その場合の批評という意味は、自分が生きることと書くこととが少しも分離していないという意味です。そこに分離があるような文章は、悪い意味で「哲学」と言われているんだと思う。
ただ、実際は哲学者にも一一優秀な哲学者はですよ一一ちゃんと固有のスタイルがあるんですね。それは技術的な文体の問題ではなくて、その人の生と、あるいは実存と絶対に切り離せない形としてあると思います。日本の哲学者にはほとんどそれを感じない。さっきいった江戸の学者の方にそれを感じるのです。だから、文芸批評というものも、知識として、あれやこれやと交換でき伝達できるというものもあるわけだけれども、そういうものを、僕は自分では批評とよんでいない。それは「科学」(※ 個別の学)とよばれるべきものです。
ヴァレリーがいった言葉をもじっていえば、批評を書く者が批評家ではない、批評家が批評を書くのだ、というべきです。世のなかでは、文学作品をやっていると批評家と言われるし、マルクスやヴィットゲンシュタインをやっていると、理論家とか哲学者とかよばれるし。そのへん、世のなかでの区別に対しては、僕は全部そのとおり(※ 勝手にしてろと)放っておきますけど。』
(P225〜226、竹田青嗣との対談「現代思想の風景」1986年)
『その人の生と、あるいは実存と絶対に切り離せない形としてある』文章(言葉)を批評と言い、『批評を書く者が批評家ではない、批評家が批評を書くのだ、というべき』である、という話である。
平たく言えば「批評っぽいことを書いている人」は「批評家」ではない。
「批評っぽいものを書くAI」が「批評家ではない」のと同じことだ。
言い換えれば、実存を欠いた文章など、批評ではない。
だが、それが「読めない人」たちには区別がつかない。「視力」のない彼らには、文章の表面的な「形式」を回撫でにするとしか出来ないからである。
ちなみに、私の「note」での友人である「ヤマダヒフミ」氏は、間違いなく、こうした意味での「批評家」であり、それは彼の文章に一目瞭然だ。
もっともヤマダ氏の場合は、いささか実存に呪われすぎているという感じもあるのだが、それも批評家が実存なればこそ、仕方のないことなのである。
私だって、人のことを言えた義理でなない、のだから。
(04)『自由主義を徹底すると、さっきも言われたように福祉というか弱者の問題が出てくる。しかし、弱者とは何かというと難しい。ニーチェは「弱者の支配」ということをいった。彼のいう意味では、「弱者」とは、「自由」を恐れ強制や服従を選ぶ者のことです。つまり、国家に帰属する者、国家に自己同一化する者、それが弱者である。弱者の支配とは、(※ すなわち)国家の支配(※ 国家による支配)ということです。たとえば、「男の(※ 女に対する)支配」が批判されるけれども、僕にとって許しがたいのは、無能な男が男であるがゆえに特権を享受しているということです。会社でも大学でも。これも「(※ 権威や強者に盲従する、要領の良い)弱者の(※ 弱者による)支配」です。』
(P331、長崎浩との対談「「自由化」と「社会化」」1991年)
これは先日、私も書いたばかりのことだが、要は、こう言い換えることができる。
「僕にとって許しがたいのは、無能な女が女であるがゆえに特権を享受しているということです。会社でも大学でも。これも「弱者の支配」です。」
まさに「武蔵大学教授・北村紗衣」のことではないか。
(05)『柄谷一一これはちょっと説明しにくいことだけれどもね。東京のインテリは大衆存在から遊離してはいけないとか言う。しかし、大阪にはそんなものがない。インテリがほとんど大来みたいな顔をしているからな。かえってそういうものに対する腹立ちがあるんですよ。
富岡一一本気でインテリならインテリの顔しろと。そんなまぜこぜになるなと。
柄谷一一なんで大衆に回帰しなきゃいけないのか。
富岡ー一インテリはインテリでいいじゃないかと。
柄谷一一そう。
富岡一一エリートはエリートでいいじゃないか。何で恥ずかしがらなきゃいけないのか。
柄谷一一そうそう。
富岡一一なぜ隠さなきゃいけないのか、悪いことしているように。
柄谷一一そうですよ。おれは頭がいいと言えばいいじゃないか、おまえはアホだと言えばいいじゃないかと思いますね。』
(P351〜352、富岡多惠子との対談「漫才とナショナリズム」1991年)
まったく同感である。
私がいつも言うように「駄作は駄作としか評価しようがない」。
だから、学者であろうとマイノリティであろうと、バカはバカ、アホはアホである。
ただし、事情によっては同情もするが、評価自体を曲げるようなことはしない、ということだ。
ともあれ、このように柄谷行人が嬉々として意気投合する富岡多惠子は、次のようなことを言っている。
(K-K)『富岡一一(略)私よりも上の世代の人たちは同人雑誌とかに書いていて、それはまた別の意味で鬱陶しくてかなわないけど、高度成長以後に育った人たちというのは、自分でゼニ出して物を書いたことがない。
芥川龍之介にしても、あのころの人って、今でこそ教科書に載ったり、全集が出たり有名だけど、当時はたいてい貧乏。小説ぐらいで食べていけないわけですね。今、若い人はとにかく何かやるということは金をもらうことだと思っているけど、ほんとになにか言いたいのならお金出して(※ でも)やるべきじゃないかと思ったの。
(中略)
どうですか、身銭切って書かなきゃいけないというのは。
柄谷一一それが普通だと思う。例えば僕は『季刊思潮』という雑誌をやったけど、編集同人はほとんど持ち出しですね。
富岡ー一そうでしょう。私は詩を書いているときいつも思ったの。たとえばどこかの政党から一篇五〇〇万円やるからと言われて書くか。何かでただで書かなきゃいけなくても書くか。お金をもらわないから書かないか。いつも自分に問い詰めていたわけ。』
(前同・P353)
これも、私は最近そっくりなことを書いている。
『著者(※ 『本を読めなくなった人びと』著者・稲田豊史)は、プロの書き手としてやってきた人であり、そのため、ネット時代におけるテキストメディアの無料化による、テキストの価値の下落を腹立たしく思う気持ちは、私にも理解できる。
しかしながら、私はもともと同人誌をやっていた人間なので、自分の文章を読んでもらうためには、持ち出しになるのも当然だという意識がある。
つまり同人誌を作り、それを読んで欲しい人に当てて、一冊一冊郵送するなどすれば、結構な出費になったのだ。
だから、ネット時代になって、無料で好きなだけ自分の文章を公開できるようになったのが、どれだけありがたかったことか。
また、だからこそ私は「note」においては最初から、有料記事は無論のこと、「投げ銭」すら受け取らない、完全無料のスタンスでやってきたのだ。
読んでもらえるだけで嬉しい。その気持ちに嘘偽りはないから、カネなどビタ一文いらなかったのである。
だがそのかわり、中身に妥協は一切ない。
好き勝手書くからこそ、そんなものをあえて読んでくれる(かも知れない)人には、感謝して対価を求めないどころか、頭を下げてまで無料提供する。
プロの作家が、関係筋に献本するのと似たようなことだと思う。
実際私は、文庫の解説文など、原稿料の発生する文章を、依頼を受けて何度か書いたが、そのたびに「原稿料はいらないけど、そのかわり好きに書かせてもらいます」とそう言ってきた。それが「善きアマチュアリズム」だと思っていたからある。カネには換えられないものがあると、そう考えてきたのだ。』
(06)『 思想でもそうですけどね。よく現代思想早分かりとかいうような本がありますけどね。そういうものが情報です。しかし、本当は思想家はそういう(※ 情報的な)分類に入らないでしょう。たとえばポストモダニズムの議論でも、今から思えば、モダニズムとポストモダニズムの違いなんて大して意味がない。傑出したモダニストはすでにポストモダンだし。何かそういう区分がばかばかしく見えてきた。』
(P422、坂本龍一との対談「「啓蒙」はすばらしい」1995年)
結局、そうした「区分」を用いて「説明」するのが、研究者の図式主義的な仕事なのだ。それとこれとの形式的な差異に着目して、そこから個々の特徴を語り、それを説明できたとしてしまう。
しかし、そこでは、その対照そのものと「自分の目で向き合う」ということがなされない。だから、そこで示されるものは、あくまでも、ひと通りのものでしかあり得ない。
それは、「カブトムシとクワガタムシは、角の形が違います」のような説明であって、「カブトムシとは、どういう生物なのか」とか「クワガタムシとは何のか」という、本質論とは縁遠いものなのだ。
(07)『坂本一一(前略)たとえば、大江光の問題について、僕ははっきり言うべきだと思うんだ、音楽は面白くないって。差別ですよ、あの音楽を持ち上げるのは。身障者が絵を描いたり音楽をやったら、全部いいんですか(※ その作品は、作者の属性において、すべて素晴らしい作品だということになるんですか?)。あれはPC(※ ポリティカル・コレクトネス)の行き過ぎが差別になった(※ ものですよ)。大江さんが息子の光さんの音楽を好きなのは、個人的な問題です。しかしあそこで光さんの音楽を(※ 誰もが)評価せざるを得ない(※ ような)強制力が、社会の中に広がっていると思う(※ これは、きわめて不健康な事態ではないでしょうか)。
柄谷ー一美術でもいまはそういう感じですよ。マイノリティのものがいい、と。
坂本一一そうなんですよね。
柄谷一一こちらもPCで救われてるけど(笑)。アジア系であるとかね。
坂本一一こっちはマイナー(※ 西欧世界ではマイノリティ)ですからね。
柄谷一一いま坂本さんは二つのことを言った。第一に、PCというのは、それまでマイナーであるとか副次的であるということで片づけられていたものを優位におくような逆転である。あるいはそういう(※ 優劣)区別の撤廃である。ところが、(※ 善かれと思ってなされた)これ(※ PC)は相対主義・多元主義になってしまう。マイノリティであ(※ りさえす)れば何でもよくなってしまうから。そこで、第二に、やはり(※ 優劣・善悪判断の基準となるような)普遍的なもの(※ 価値)があるのではないかという問いが出てくる。しかし、第一のもの(※ 価値の相対性)があった上で、第二の(※ 全ては相対的なものでしかないのかという)問いが意味をもつわけでしょう。
これはどこでも生じている問題だと思います。僕は、普遍性(※ や普遍的な価値というもの)は(※ 客観的に存在するのではなく、)「(※ 統整的な)理念」としてあると思うんです。哲学では、一方で、クワインとかクーンとかが相対主義的な懐疑論を徹底してしまったし、他方で、西洋ロゴス中心主義の解体があった。しかし、僕はこういうものはいわば(※ 「ある種の徳、不徳は自然であり、正義は人工的なものだ」とした)ヒュームの再版なのじゃないかと思う。
だから、(※ それを乗り越えるためのものとして)いまカントを読んでいるわけですが。』
(P425、前同)
『普遍性は「理念」としてある』とは、上で補足して説明したとおりで、物事の「正邪・善悪・優劣」といったことの判断の基準となるようなもの(例えば、神の戒律のようなもの)は、客観的には存在していないけれど、しかし、そうした「普遍的なるもの」というのは、人間がより善く生きようとするためには是非とも必要な「理念」、つまり「統整的理念」として、現に存在しているし、それを否定しさることは出来ない、という意味だ。
(08)『中上(※ 中上健次)が若い頃から僕のことを信用していたのは、僕が理論的(※ に優秀)だったからじゃないですよ。理屈なんかどうにでもつけられるし。(※ 読者の)皆さんは理屈のほうに興味があるんですが。』
(P463、金井美恵子との対談「「柄谷的」なるもの」1995年)
私は、笠井潔が柄谷行人に言った「理屈なら何とでもつけられる」という言葉をしばしば紹介して、笠井潔の理屈の信用ならなさを語ってきたのだが、それと同じことを、ここでは柄谷が言っているかのように見える。
だが、両者の言っていることは、真逆に近い。
笠井潔の場合は、自身が左翼学生運動セクトのリーダーでありその理論家(イデオローグ)てあった頃に、その仲間の前で「こちら(我がセクト)の正当性を示すための理屈なんて、どうとでもつけられる」というような軽口を叩いて、仲間から非難されたという、ある種の「自慢話」を、柄谷の前でした。
要は、自分なら、黒を白と言いくるめることは無論、黒を赤にでも青にでも黄色にでも言いくるめる、それらしい理屈を立て、どんな相手でも説得してみせると、そんな自身のレトリック能力についての自慢話をしたのである。
だが、柄谷行人がここで言っているのは、そうした「口先三寸の屁理屈屋的能力など、くだらないものだ」ということなのだ。
中上健次が柄谷を信用したのは、そうした小理屈レベルのことではなく、その語り手の「人柄」だった、ということなのである。
「理屈」で正当化されるまでもなく、その存在自体が、その正当化を証し立てているというようなレベルにおいて、中上は自分(柄谷)のことを信用してくれていたのだと、そういう話なのである。
そして、言い換えるならばこれは「理屈としてもっともらしいことを言っている人間が、本当にそのような人間であるとは限らない。だから、そうした理屈以前の存在感そのもの見なければ、本当のことはわからない」というようなことだ。
例えば、北村紗衣は「フェミニズムを語って、差別されている女性の権利を主張している」けれども、北村の本音は、はたして「反差別」なのか?
これは、北村紗衣の日頃の発言を見ていれば、笠井潔の「党派イデオローグ」的なものと同種のものでしかないということがハッキリとわかる、というのと同じことなのだ。

だから、私たちは「何を主張しているのか」だけではなく、「この人は何を意図して、このように語っているのか」ということも考える必要があるし、その本音を見抜くためには「その人そのものを見る」ということが出来なければならないのだ。
「著名な評論家・柄谷行人」ではなく、「目の前の柄谷行人という男」を見る目を持たなくてはならない、ということなのである。
(09)『 自分のことはわからないけど、僕の初期のものを読むことはあまり意味がないと思う(笑)。僕は考えることにおいて非常におくてなんです。わかってくるのが遅い。今でもそうですけどね。ただ、わからないことをわからないという正直さはある。だから、自分なりにわかったと思ったときは、自分の考えにかんして自信があります。』
(P470、関井光男との対談「批評のジャンルと知の基盤をめぐって」1995年)
これなども、まったく同感だ。
自分はまだまだだと思う反面、いま分かっていると実感しているものには自信がある。
しかしまた、後になれば、それが不十分なものだったと認めるに、やぶさかではない。
なぜなら人間とは、そういうものだからで、だから過去に書いたことや主張したことについて、自己弁護する気はまったく無いけれど、いま確信していることについては、誰にも譲る気はない、というような態度である。
ちなみにこの対談では、対談相手の関井光男が、柄谷と同様(私とも同様)の問題意識を次のように語っている。
(S-1)『関井一一そこが一番問題だと思うんですね。たとえば、西田幾多郎の『善の研究』は前半が純粋経験についての探求、後半が宗教を含めた人生の問題についての考察ですが、『善の研究』を成立させているのは、物の考え方をめぐる認識論的な批評です。当時はそのように読まれたわけです。ところがそのように読まれなくなってしまった。それは批評と哲学を分離させ、哲学することをたんなる研究対象に変えてしまったからだと思う。その元凶は大学の講座制度にあると思います。学問を体系的に哲学・歴史・国文学などに分類して講座を作り、講座の専門家を誕生させてしまったからです。そのために専門領域の特権化が生じ、研究=批評というダイナミズムを枯渇させてしまった。柄谷さんの哲学批判が評論家による(※ 外野からの)哲学批判と見なされているのは、(※ 柄谷の哲学批判は)専門家の仕事ではないという風に(※ 今どきの哲学研究者たちが、自らの研究を)特権的に考えていることにある。それは批評がその程度にしか認識されていない(※ 軽く見られている)ということでもあると思うんです。』
(前同・P470)
(S-2)『関井ー一僕は(※ 研究対象の書いたもの=テクストであっても、研究対象についての事実資料としてではなく、あくまでも)テクスト(※ そのもの)として読んでしまいますから、(※ テクストが研究対象の存在を超え出てしまうものとして)その可能性を考えてしまう。だから(※ 「これが正しい読み方だ」式の、研究者的な)一般論として書かれたものは読み替え不可能でつまらない。読むことは、そこからなにかを(※ 新たに)引き出すことだと(※ 僕は)考えている。一般的なことを一般的なこととして書かれているものは、予定調和的なごまかしだと思うんです。柄谷さんの中上健次論が面白かったのは、テクストとして(※ 中上健次に限定されない)読み替え可能な、ということは(※ 事実以上の)示唆的なことが書かれていたからなんです。それは夏目漱石、小林秀雄で線を引くことにもいえる。柄谷さん自身が漱石について書いたテクストを新たに読み直すのも、それが読み直し可能なもの(※ 何度読んでも発見のあるもの)だからだと思います。』
(前同・P481)
(S-3)『関井一一ええ。着目している点が移動している。しかし、本質的な問題が変わっているというのとはちがっている。たとえばオルテガは『哲学の起源』のなかで「考えることは変化することである」といっていますが、これは変化することは自分を見つめることであるということと同義です。』
(前同・P481)
つまり、最初に紹介した、哲学研究者・赤間啓之に対する柄谷の苛立ちは、赤間にはこうした対自的な問題意識が欠落しており、事実研究の優位性を自明のものとして、妙な自信を持ってしまっている、そんな愚昧さに向けられたものだったのだ。
念のために、もう一度引用しておこう。
『僕は思想史的に、あるいは特にフランス思想史的に考える能力も余裕もないので、あなたの話は興味深く聞くということしかできません。しかし、そのことが自分の思考にとって欠落になっていると思えないのですが。』
(P408、赤間啓之との対談(「カオスの辺縁 自由主義・超越論・資本主義」1994年)
『僕は(※ 外国人に関しては)いわばビックネームばかりやっているんですけど、それは単に怠惰だからです。ただし、日本のことならかなり無名な人をも知っていますけどね。しかし、もっと根本的に、僕はいわゆる歴史に興味がないんです。構造にしか興味がない。カントに関しても、それを歴史の中で見ようとは思っていない。カントからどれくらい可能的な構造(※ カントの可能性とその中心)を引き出せるかということにしか興味はありません。そして、そういう可能的構造にカントという名を当てているだけです。マルクスに関しても同じです。』(前同・P409)
関井光男が、よき柄谷行人理解者であることは、もはや明らかであろう。
(10)『(前略)大西(※ 大西巨人)さんは、自分が何年前にこういうことを書いたということを(※ そのまま)引用する。これは、一方から見ると、自分がいかに一貫しているかを誇示しているようにみえる。しかし、人が自分の書いたことを読んでいるということを前提できないとしたら、そうするほかないですね。よく論文などに、拙論の何ページ参照とか書いてあるけど、誰が参照するか!と思うことがありますよ(笑)。自分のものはみんなが読んでるはずだと思っているほうがナルシシズムであって、自分のは当然誰も読んでいないであろうからもう一回書くというほうが謙虚なわけですよ。』
(P507〜508、大西巨人との対談「虚無に向きあう精神」1996年)
柄谷の指摘する、大西巨人におけるこうした書き方は、私にも共通する。
もちろんこれは、私が「心の師」である大西に学んだところでもあるのだが、大西巨人の、自身の文章に限らない「引用」癖というのは、まず第一に「正確に理解されることを求める」ところに発するものなのだ。
一度、紹介したり論じたりしたくらいで、読者の多くはそのことを正しく理解しているわけではない。何となくわかったつもりになっているだけ、という場合が少なくない。
だから、その問題を論じる際には、かつて語ったことの要約文で済ませるのではなく、冗長に見えようとも、同じ文章をそのまま引用してみせるのである。
だが、ここで重要なのはそこではなく、柄谷が大西巨人のそうした、一般にはウケのしない「厳格主義(リゴリズム)」あるいは「徹底性」を、むしろ「誠実」の証だと捉えている点である。
そこには、ウケの良いところで適当に流す(済ませる)といったゆるい態度に対する、柄谷の批判があるとも言えるだろう。
つまり、関井光男が指摘した「テクストを資料としてだけ読んでしまう、研究者的な態度」に対する柄谷の不満も、こうした姿勢(徹底性)から出たものなのだ。
(11)『柄谷ー一だから最近批評をやる人がいないんです。批評を書いている人はいるけれど、学者に近い。僕から見て、直感的にこいつは根っから批評家だと思う人は非常に少ない。最近では、「丸山員男論」と「知里真志保の闘争」というのを書いた鎌田哲哉ぐらいかな。批評家というのは、うまく定義できないけれど、サルトルの言葉でいえば「アンガージュマン」、江藤淳の言葉でいえば「行動」が、書く行為の根底にある人のことだと思います。つまり、決断があるかどうかということですね。
福田一一決断というか、価値の決定ですね。それが批評だ。』
(P595、福田和也との対談「江藤淳と死の欲動」1999年)
『「行動」が、書く行為の根底にある人』が「批評家」だとは、どういう意味か?
それは「読む」という行為に、自己を賭ける人間が「批評家」である、ということだ。
「これは私の意見ではなく、客観的な事実です」といった、事実の権威に依存した(アリバイに頼った)自己主張ではなく、「これは私の意見だが、間違ってはいまい」とそのようにして責任を引き受ける態度こそが、批評家の「読み」だということなのである。
ちなみに、ここで柄谷が言及している、当時、若手評論家だった鎌田哲哉には、のちに大西巨人論の目立つことになるという事実を指摘しておくべきだろう。
(12)『 今オーウェルにふれて大西さんがいわれたことは、まさにその問題ではないか、と思います。一方では、まったく唯物論的であって、宗教を否定する。しかし、他方で、一種の「宗教性」を肯定する。これは矛盾ではないと思うのです。大西さんは、戦後まもなくこういうことを書いておられました。個体としての人間が死ぬとき物質と化す。死滅した個体にとっては、自分自身も社会も世界も虚無である、といったあとで、こう述べておられる。
《しかもまさに、そのゆえに、生者たる僕たちにとって僕たち自身は物質であると同時に物質ではない(肉体と精神とである)。僕たちと世界とは生者たる僕たちにとって、まさしく虚無であるとともに充実するべき物である。このとき僕たちには、「神秘への執着」も自己欺瞞も必要ではない。ただ勇気、虚無に入る時刻までそれを充たすという勇気が求められよう。しかもその勇気は、まず死とともに一切は完全な虚無に化するということを僕たちが真に主体的に確認するとき、すでに僕たちが獲得する物である。僕たちは、物質たる僕たちが死滅に至るまで物質ならぬ肉体と精神との作用・生命の活動・虚無の充実へと向かい得ることに(中略)歓びと誇りとを感じることができる。そのとき人間は、真に人間となるのだ。この「誇りと歓び」とから人間的倫理が形成せられよう。それを社会、進歩、連帯性、その他と生者たる僕たちが呼ぶのは自由である》(「新しい文学的人間像」一九四七年)
たぶん、大西さんはこのような視点をずっと保持してこられたと思うのです。これはたんなる反宗教論ではないし、ただの唯物論者でもないだけでなく、それらを器用につなごうとした「主体性論者」とも違っていると思います。倫理的な次元と、経済的・構造論的な次元は、そのままで、両立するのです。それはコミュニズムの問題
に関しても重要なポイントだと思います。』
(P607、大西巨人との対談「資本・国家・倫理」2000年)
手前味噌に聞こえるだろうが、これもまったく私の姿勢に直結するものだ。
すなわち、私は「宗教」というものを原理的に否定する唯物論的な無神論者だけれども、しかし「理想」や「倫理」という実体のないもの、「人間の尊厳」といっものは、信じなければならないものだと考えるし、その点で「信仰者」的なのだ。
そして、これは「コミュニズム」というものに対する柄谷行人の姿勢でもある。
つまり「それは、極楽浄土と同じく、実在し得ないユートピアなのだとしても、しかし、それを信じて励まなければならないもの。それは、それこそが統整的理念なのだ」というようなことだ。
こうした理念は、最近では『「新人世」の資本論』で知られる斎藤公平などにも引き継がれていよう。
(13)『柄谷一一しかし、「恐れよ」と思う。死者を恐れよ、まだ生れざる他者を恐れよ、と。
大西一一やはりだれかが見とるということを感じてなければいかぬでしょうね。
北原白秋の歌に、「ある時は誰知るまいと思ひのほか人が山から此方向いてゐる」という歌がありますが、そんなふうに何か見られとるということ。これは読まぬだろうと思うても、読む人がいるということを考えて、責任を持って書くべきだろうということですな。
柄谷一一それから、僕が外国でやりたいと思うのは、特に英語でやりたいと思うのは、読もうとすれば、だれでも読めるからですね。日本語で書いていると、誰も読んでくれないだけでなく、むしろそのことで守られるところがある。実際に、人が読むかどうかは別として、(※ 厳しく環視されているという)その可能性があるところで、考えたいし、書きたい。実際に書くのは日本語でですが、そういう「怖い」ところに自分を置きたい。日本では、外国の思想家のことをまるで対等な知り合いのごとく、デリダがどうだとかいっているけれども、デリダと競争する場所に立つことなど考えてもいない。だから、何でも(※ 平気な顔をして)いえるけど、(※ そうではなく)僕は(※ デリダらと)同じ場所(※ 土俵)に立ってやろうと思っているわけですね。その緊張感はすごいですよ。日本でやっていれば楽ではないかといわれても、僕はやはりそれではやる気が起こらない。今そういうものの中にさらされたいと思うんですね。
大西一一まさにそれこそが「勇気」ですよ。』
(P620、前同)
これは、柄谷が「まだ生まれていない人たち」や「すでに死んだ人たち」への責任ということ、例えば地球環境に対する態度などに端的に表れる、広範な「責任主体」であることの重要性であり必要性を語った部分なのだが、それを引き受けるためには、「一般論」ではなく、怖くても、その言葉の責任を、全身で私的に引き受ける主体であらねばならない、ということが語られているのだ。
そしてその真逆なのが、私もよく相手にする「わざわざ捨てアカウントを作ってまで、悪口を書きにくるような匿名者」だ。
こうした「匿名者」というのは、たいがい「匿名であろうとなかろうと、意見の中身に違いはないのだから、意見の中身だけを問題にしろ。論者の属性は関係ない」などと自己正当化するのだが、意見とは、主張するとは、そういうものではない、ということなのである。
つまり、意見とはそれにアンガージェする主体があって、初めて力を持つのだ。
そうでなければ、そんな意見などいくらでも無責任に語れるものでしかない、ということ。
言い換えれば、笠井潔的に「理屈なら何とでもつく」という次元の、文字どおりの「虚言」でしかない、ということだ。
しかし、責任主体を持った根拠のある言葉を発するには、理屈だけではなく、「勇気」が不可欠なのである。
だがまた、そうした「勇気」が、いま急速に失われて、無難に守られることだけを望むような者ばかりに、なってはいないだろうか。
実際、ポリティカル・コレクトネスの問題も、結局のところ、その次元の「言葉狩り」に頽落してしまったのではないのか。
(14)『たとえば、(※ カール・マルクスの)『ドイツ・イデオロギー』を読めば、経験論的な立場から合理論をやっつけているように見える。しかし、彼がのちに、その経験論的なイギリスにいるときには「私はヘーゲルの弟子(※ の合理論者)である」なんてことを言うわけです。(※ しかし)それは、彼の最終的な立場でないと思う。彼は、いついかなる場所でも、普遍的に成立するような原理を立てたのではない。
僕は、マルクスから学ぶべきものは、彼が根底的な自分の立場を築いたとか、これが彼の哲学であるとか、そうした固定的なものではなく、むしろ、あるときは経験論的であったり、またあるときは合理論的であったり、そんなふうに敏感に自分のスタンスを変更できる点にあると思います。もちろん、それは恣意的なものではない。そのとき直面している対象や属している場所との対応のなかで、(※ 最も適切な解答を求めて)そうするわけです。それが「批評的」ということであり、僕の言葉でいえば、トランスクリティカルということです。』
(P633、田畑稔との対談「トランスクリティークとアソシエーション」2000年)
これは、例えば前述の大西巨人との対談での言葉で言えば、「時に無神論者として語り、時に信仰的とも言える理想主義者として語るのは、矛盾ではない」ということだ。
例えば、キリスト教の教義的な教条主義に対しては「あなた方の主張の根拠となる神は存在しない。だから、あなた方の主張は無根拠である」と、無神論者の立場からそれを批判し、その一方で、ドナルド・トランプのような「力が正義」という現実主義者に対しては「そうではない。人間には、欲望を野放しにはしない統整的理念が是非とも必要なのだ。それこそが現実である」と批判するような「倫理」についての信仰的な態度に立つ立場とは、決して矛盾ではない、ということなのである。
(15)『 ぼくは、実践的には妥協的であって(笑)、細かいことで争う気はないんです。「努力目標」としての理念は放棄してはならない、というだけです。』
(P726、大塚英志との対談「「努力目標」としての近代を語る」)
これは、例えば柄谷が重視する「統整的理念」というのは「絶対的な教条(教義)」ではない、ということだ。
つまり、「統整的理念=倫理」とは、それを「目指すべきもの」ではあっても、ここでその実現を強要できるような「実体的なもの」ではないから、その「方向性」についてしっかりと押さえた上でなら、今ここにおける現実的な妥協を否定するものではない、ということ。
言い換えれば、こうした妥協とは、「無原則な妥協ではない」ということである。
「まあ、ひとまず今のところ、そのあたりの問題については、一定の妥協も避け得ませんが、しかし、今の方向性だけは堅持して、頑張っていきましょう」というような態度である。
(16)『 ぼくは、以前、『かのように』をちょっと馬鹿にしてたんですけど(笑)、(※ だけど)坂部恵はカント論のなかで、あれ(※ 「かのように」という、森鷗外の態度)を絶賛しています。鷗外は(※ 柄谷が重視しする)カントをよくわかっていた、と。「かのように」はハンス・ファイヒンガーの考えなのですが、根本的には、カントの考えなんですよ。それは、こういうことです。「私」はさまざま因果性に規定されているので、自由な意志などはない。だから、(※ 選択の自由がない以上、結果についての)責任もない。しかし、私はあたかも自由である「かのように」振舞うことができるし、そうすべきだ。そのかぎりで、私は自由であり責任をもつ。』
(P735、前同)
つまり、人間の現実というものを仔細に見ていけば、個人の自由なんてものは、現実には存在しないのだけれども、しかし「私には自由がある(かのように)振る舞うこと」で、人間は責任主体となることができ、現に現実を動かしていくこともできるのだから、「私は自由である」という認識は「虚構=かのようなもの」でしかなかったとしても、「統整的理念」として、是非とも必要なものなのだ、ということだ。
(17)『 歓待の問題はデリダがやっているから、僕は書くのをやめたんです(笑)。ただ、それについて少しだけ言うと、人は遊動している時には自然と歓待が成立するんですよ。定住していなければ、私有ということにこだわらないから、自分の持っているものを人に分けてしまうわけです。』
(P762、國分功一郎との対談「デモクラシーからイソノミアへ」2013年)
『移動可能な土地があるオーストラリアには「イギリス(※ 帝国主義的な)の生産関係」を輸出することができない。ここから見ても、移動の自由が妨げられた時に支配が生じるというのは、間違いないことだと思います。』
(P763、前同)
ひとつの意見に固執し、そのことで自身の一貫性をアピールしたがるような「遊動性=移動可能性」を欠如させたところから、「支配の意識」が生まれる。
「絶対にこっちが正しいんだから、こっちに従ってもらうしかないし、この正義を実現するためには、手段を選ぶ必要はない」といった、凝り固まって態度だ。
そしてその典型的な事例が、「キャンセルカルチャー」であり、北村紗衣の主導した「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」だということになろう。
これは、
「女性蔑視は、絶対的な悪である。だから、それをした者については、社会的に抹殺してもかまわない。なぜならそれは、社会正義の実現に他ならないからである」
一一というような「凝り固まった思想=遊動性を失った支配主義的な思想」だ、ということになる。
たしかに「女性蔑視は良くない(悪い)」。けれども「悪人(誤りを犯した人)の生存権を認めない」ような「絶対正義(教条)への信奉」とは、果たして「正義」なのか?(魔女狩りと、どう違うのか?) 一一というようなことだ。
「女性蔑視を無くさなければならない」という正義と、「悪人の生存権もまた認めるべきである」という正義との間で、遊動的に思考する自由を失った時に、強権的な支配の思想が生まれるのである。
(18)『柄谷一一完全に忘れていましたね。今は記憶力が衰えてきて忘れるだけなんですが、昔は、物を書くこととは忘れていいことだと考えていたんです。忘れるために書く。だから、書き終わったら忘れていい。「これでよし」と思ったら全部忘れて、次の仕事に向かう。そちらの方が健全な忘れ方だった(笑)。
苅部一一柄谷さんとお付き合いして痛感したことがあります。思想家になれる条件は二つあって、一つはたしかに、前に書いたことを忘れること。二つ目は、ひとの話を聞かないこと(笑)。聞いていたら、自分の思想なんて作れない。前に書いたことをいつまでも気にしていては、新しいことは絶対に考えられない。丸山真男については一度しか姿を見たことがありませんが、丸山もたぶんそういうタイプだったのでは。思想家って、そうなんだと思うんですね。』
(P886、苅部直との対談「批評、書評、そして坂口安吾」2018年)
私には長らく「懸案の作品」というものがあった。
例えば、TVアニメ『伝説巨神イデオン』(富野喜幸監督)の、難解で知られるあのラストを、どう理解すべきなのか。
それについて、自分なりの理解を示すことで、私はこの作品との関係に決着をつけなければならないし、そうしないと落ち着かない。惹かれる作品(ラスト)でありながら、「よくわからない」ままでは気が済まないし、それに「他人の説明」をあてがうことだけで、満足することもできない。
だから、退職して時間ができたら、この作品を再鑑賞して、私なりの『伝説巨神イデオン』論を書こう、書きたいとそう思ってきて、遂にそれを実行した結果、心置きなく他の「懸案の作品」へと「移動」することも出来るようになったのである。
またひとつ、自由になったのだ。
そんなわけで、苅部直の言う、
『思想家になれる条件は二つあって、一つはたしかに、前に書いたことを忘れること。二つ目は、ひとの話を聞かないこと(笑)。』
という言葉は、私にもピッタリで、その意味でとてもありがたいものなのだが、しかし、それはともかく、そうした共通点において私は、柄谷行人という人にシンパシーを感じてもいるのでもあろう。
(2026年4月21日)
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