『アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険』: その瞳がすべてを語っていた。

▷ TVアニメ評:『アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険』(1979年/全43話)


『アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険』は、1979年4月7日から1980年4月5日までNHKで放送されていたTVアニメーションである。

Wikipediaにもあるとおりで『アニメーションと実写ドキュメンタリー映像を折衷させた実験的かつ意欲的な作品。全43回』と、特異な形式を採っていながらも、NHKらしくけっこうな話数の作品だ。

マルコ・ポーロの記した紀行文『東方見聞録』の記述をもとにフィクションのエピソードを付け加えたアニメパートと、マルコ・ポーロ(以下、マルコと略記)が訪れた土地の、本作放送当時の様子を写した実写映像に、マルコの時代の様子を紹介するナレーションを加えた実写パート。この両者をうまく組み合わせた作品となっていた。

(マルコ・ポーロが亡くなったのは1324年。上は『東方見聞録』の1494年の刊本)

物語の背景となる土地とその歴史的背景を実写パートで補いつつ、マルコたちの旅の物語にリアリティを与えていたと言えるだろうし、いかにもNHKらしく「教養番組」的な性格も兼ね備えていたのである。

1979年の4月から翌年の4月までの1年間といえば、私が高校2年生の年だ。
1年生で入部していた漫画部では、2年生となって副部長を務めるようになり、まだまだ受験のことなど考えずに、どっぷりのアニメにハマっていた時期である。当時はアニメブーム真っ盛りだったのだ。

私の場合、生まれた翌年に日本初のTVアニメ『鉄腕アトム』(1963年)が始まっており、そんな時代に幼少期を過ごしてきたから、日本で最初のアニメ世代と言えるかも知れない。

特に、私が幼かった頃のTVアニメというのは、初放映は夜の6時から8時までの間の30分枠で放送され、また、そうした作品のほとんどが、しばらくすれば夕方4時から6時ごろまでの再放送枠で、くり返し放送されていた。
つまり、外に遊びに出ていなければ、夕方4時過ぎから夕食を挟んで夜8時ごろまで、ほとんど毎日2時間以上もアニメを見ていたのである。

幸いうちの両親は、私と弟が漫画を読んでいようが、ずーっとアニメを見ていようが、それに対してあれこれを言うことはなかった。一一と言うか、両親は昼過ぎから揃って働きに出て、私たち兄弟が寝た後の真夜中にしか帰ってこなかった。夫婦で飲食店(寿司屋)を営んでいたのだ。だから、注意したくても出来なかったのだが、起きている間に顔を合わせる時間が短かったからか、私たち兄弟は両親に甘やかされて育ったので、いずれにしろ漫画やアニメのことで注意されることはなかった。

では、昼間は弟と二人だけだったのかといえば、そうではない。同居していた母方の祖母と三人だったのだ。
この祖母が、とても気難しい人だったのだが、しかし祖母から「テレビ漫画(アニメ)なんか見てないで勉強をしろ」といったようなことを言われた記憶はない。

今となっては、何を口うるさく言われていたのか、さっぱり記憶しておらず、ただただ「怖いおばあちゃん」で、いつもその顔色を窺っていたという記憶だけが、鮮明に残っているだけだ。

ただ、この祖母は、時代劇のTVドラマをよく見ていたはずで、私と弟は祖母と一緒に時代劇もよく見ていたから、そっちもそれなりに詳しかった。いわゆる、テレビっ子だったわけだ。
それにまあ、そういう時だけは、祖母を怖れずに済んだということなのだろうし、そうしたこともあって、祖母も私たちがTVアニメを見ることについては、特に何も言われなかったのかも知らない。

ともあれ、そんな調子で再放送も含め、とにかくアニメ浸りで成長したのだが、それが自覚的に「アニメファン」となったのは、TVシリーズの総集編である劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が大ヒットあとの、いわゆる「ヤマトブーム」からだった。
それが1977年の中学生の頃のことだから、その勢いのまま高校に入ると漫画部に入部し、さらにアニメ三昧の日々を送ったのだが、その最盛期が、受験勉強を気にしなくて良かった高校2年生時だったのである。

なにしろ、『マルコ・ポーロの冒険』の放映が始まった1979年の4月といえば、あの『機動戦士ガンダム』が始まったタイミングでもある。
その『機動戦士ガンダム』は間もなく、『宇宙戦艦ヤマト』以来の大ブームを巻き起こすわけだが、私はそれ以前からのアニメファンだったから、同じ放送枠で『ガンダム』以前に放送されていた、同じ富野喜幸(現・富野由悠季)監督の『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』なども「録音」していたから、新番組『機動戦士ガンダム』も、第一話から録音をしていた。

『アサヒグラフ』1979 4-13号より)

なんで、『ザンボット3』の頃から録音していたのかと言えば、『機動戦士ガンダム』が空前のブームを巻き起こす以前すでに、アニメファンの間でではあれ、日本サンライズ(現・サンライズ)のロボットアニメがブームになっていたからである。
あの頃の日本サンライズのロボットアニメと言えば、富野喜幸のひと癖のある路線と、長浜忠夫監督の美形キャラによるドラマチック路線の二馬力で、長浜の方が数歩先をいく人気を誇っていた。それが、『機動戦士ガンダム』で、一気に逆転したのである.

そんなわけで、この当時の私は、『宇宙戦艦ヤマト』に始まる、いわゆる「SFアニメ」の熱心なファンだった。
だが、だからといってそれに限定していたわけではなく、とにかく新作は可能なかぎり全部見るということをしていたので、当然、本作『アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険』(以下、『マルコ・ポーロの冒険』と略記)も、本放映でほとんど見ていたのである。

『アニメージュ』1980年4月号)

私の中で、この『マルコ・ポーロの冒険』が「大切な作品」として記憶されることになった理由は、主として2つだ。

ひとつは、本作のキャラクターデザインが、私の大好きなアニメーター杉野昭夫のものだったこと。
もうひとつは、本作が、昨年再放送されるまでは、本放映以来一度も再放送されなかった、いわゆる「幻の作品」だったからである。

もっもと、私は最初から『マルコ・ポーロの冒険』の熱心なファンだったというわけではない。
なぜなら、私が杉野昭夫を強く意識したのは、『あしたのジョー2』〔1980年10月13日-1981年8月31日:全47話〕が始まってからだったからだ。
私は、この『2』にぞっこん惚れ込んで、そこから遡及して、出崎統・杉野昭夫コンビの作品をひととおり意識するようになり、『マルコ・ポーロの冒険』は、出崎が演出した作品ではなかったけれど、杉野昭夫がキャラクターデザインをした「幻の作品」として、意識するようになったのだと思う。

いまは手元に資料(会誌)がないので正確なところはわからないのだが、『あしたのジョー2』の放映が終わった、1981年の後半から翌年前半頃に、私は杉野昭夫ファンクラブ「杉の子会」に入会している。

で、その「杉の子会」の会長、ペンネーム「ミリオーネ」さんが、「杉の子会」とは別に、『マルコ・ポーロの冒険』ファンクラブも主催しておられたので、おのずと私も『マルコ・ポーロの冒険』を、強く意識するようになったのだと思う。

ちなみに、この「ミリオーネ」とは、英語の「ミリオン(Million)」つまり「100万」のこと。
これは、マルコ・ポーロが長年の旅から帰国したあとの晩年、その旅の思い出を語っても、その表現が大げさすぎると言われて誰にも信じてもらえず、ほら吹きの「マルコ・イル・ミリオーネ(百万のマルコ)」とあだ名されたことに由来するものなのだ。つまり、ミリオーネさんは、筋金入りのマルコファンだったのである。

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さて、そんな『マルコ・ポーロの冒険』が昨年から今年の1月末まで、思いがけず再放送された。

その情報をもたらしてくれたのは、SNS「note」の方で知り合った、ハンドルネームmoha the fonlさんで、記事のコメント欄で、たぶん杉野昭夫に関する話題のやりとりをしていた際、mohaさんが「そう言えば『マルコ・ポーロの冒険』の再放送をやってますね」とおっしゃった(書かれた)のを見て、思いもかけぬ話に、まさに驚愕したのだった。

私は前々から『マルコ・ポーロの冒険』を再鑑賞したいと思っており、長らく「なんで、再放送しないんだろう。まあ、NHKって、あまり再放送はしないからなあ」などと思っていたのだが、ある時、そもそもNHKには『マルコ・ポーロの冒険』のフィルムが、第1話分くらいしか残っていない(残していなかった)のだという話を聞いて、これはもう二度と見られないだろうと、すっかり諦めていたのだ。

たしかに、これもかなり前の話だが、NHKが失われた部分を収集する「発掘プロジェクト」を進めているという話も小耳にはさんではいたのだが、私の場合、儚い期待をしてそれを裏切られるのが嫌だったので、どうせ無理だろうと、すっかり諦めていたのである。

(この記事はすでに削除されており、リンクはありません)
(寄贈されたビデオテープ)

それが、mohaさんからの不意打ちのような情報を得て、あわてて見始めた時には、すでに第9話までの放送は終わっており、第10話「暗殺者教団の谷」から見ることになった。『東方見聞録』の中でも、最も有名な「山の老人」のエピソードである。

もちろん、出来れば最初から見たかったのだが、それでも全43話のうち、見そびれたのは序盤の4分の1以下だったのだから、やはりmohaさんから情報がもたらされたのは、本当に幸運なことだったと思うし、mohaさんには心から感謝している。
なにしろこの情報は、私の「青春の日々の思い出」を、くっきりと甦らせてくれるものだったからだ。

さて、それ以降、無職の隠居の身なればこそ、最終回まで一度も見損ねることなく、毎週土曜の午前5時に起きだしては、5時10分からの30分間を楽しんだ。
昔のままの美しい映像は、本当にありがたかった。

(シリーズ後半の中国篇で、密かにマルコへ思いをよせる二人のヒロイン、オルジェコカチン

だが、この再放送では、新しい思い出がひとつできた。

この再放送を見始めたあとの定期健康診断で前立腺がんの疑いが持ち上がり、それから数ヶ月あれこれ検査を受けた結果、やはり、がんであることが判明した。
そして今年(2026年)の1月28日に、前立腺の全摘手術を受けるために前日から入院しなければならなかったのだが、『マルコ・ポーロの冒険』の再放送の最終回は1月31日であり、手術の2日後ということになってしまったのだ。
もちろん、まだ手術直後の入院している時期だったので、これはもう見ることは出来ないだろうな、覚悟したのだ。

ところが、今どきの手術は機械化も進んで技術的に大きく進歩しており、患者の体への負担をずいぷん軽減していた。
だから私は、まだ点滴などの管が3本ほど体に繋がった状態ではあったものの、4人部屋の、他とはカーテンに仕切られたスペースの中で、ベットの横に設置されていたカード式テレビを見ることが可能なほどに回復していた。

だからその日は、まだ暗い午前5時過ぎに起き出し、イヤホンを使って無事最終回を視聴しただけではなく、スマホでテレビ画面を撮影することまでしたのである。それまでの回、家ではそうしていたからだ。

そんなわけで『マルコ・ポーロの冒険』初の再放送の最終回は、初の入院となった病院のベットの上で見ることとになり、その意味でも、絶対に忘れ得ぬ思い出となったのである。


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さて、個人的な思い出やら何やらはこれくらいしして、46年ぶりの『マルコ・ポーロの冒険』について、今の目で見た、率直な感想を書いておこう。

冒頭でも書いたとおり、本作は、アニメパートとドキュメンタリーパートの組み合わされた作品で、たぶんその回によって、それぞれの比率は多少異なるものの、おおよそ半々と考えればいいだろう。

つまり、オープニングとエンディングを除いた残りの本編をドキュメンタリーパートと分け合うので、アニメパートは、実質15分くらいと考えていい。
民放とは違って、中間にコマーシャルが入ることはないが、それでも、アニメパートだけなら、通常の30分もののアニメより多少は短くなるはずである。



本作『マルコ・ポーロの冒険』は、マルコたちの旅(父ニコロ、叔父マテオとの三人旅)とその冒険を描いた、ひとつながりの作品なのだが、とは言え、基本的には1話完結のエピソードによって構成された作品である。
だから、実質15分では、そんなに複雑な物語は盛り込めないから、基本的には毎回シンプルなエピソードを描いていると言えるだろう。

(マルコ、マテオ、ニコロの3人)

したがって、各話のストーリー自体は、どうということはないと言えば、どうということはない。

熱血漢でまっすぐな少年マルコが、旅の途中でさまざまな人たちと出会い、そして別れるという経験を経て、徐々に成長していく。
一一それが、中国へ到着するまでの旅を描いた、シリーズの前半部分だと言えよう。

(マルコ一行は、行きは中央アジアのシルクロードを辿り、帰りとなるイル・ハン国への旅は南洋航路となった。『完訳 東方見聞録』平凡社ライブラリーより)

マルコは旅の途次、その土地の人たちと出会い、そこでたいがいは何らかの事件に巻き込まれるのだが、その危機を無事脱して、また旅に出ると、このパターンの繰り返しである。

だから、今回再鑑賞して思ったのは、この作品を凡庸なスタッフが作っていたら、NHKらしく優等生的によく出来た作品にはなっても、さぞや記憶に残らないものになっただろうな、というようなことだ。

だが、実際には、この極めてシンプルな物語が、多くのファンを持ち、再放送が待望されるような作品になり得たのは、どうした理由によるものだったのだろうか?

私が思うにそれは、主に二つの理由による。

まずひとつは、何より杉野昭夫のデザインした印象的なキャラクターたちの、独特の存在感であろう。

よく指摘されるように、杉野昭夫の描くキャラクターは、たんにカッコいいとか美形だとかいうのではなく、その瞳に特別な力がある
ただ黙って見つめているだけで、そこに深い感情が宿っているように感じられ、単純なドラマが単純なものでは終わらずに、深い余韻を残すことになる。

ただ単に上手い人の描いた美形キャラだったなら、見た目は良くても、本作のような、味わい深さを持つことはなかっただろう。

杉野昭夫のキャラクターは、派手なドラマや、派手なセリフや、ことさらな感情表現など無くても、ただ見つめあっているだけで、そこに深い情感を湛えたドラマが立ち上がるので、シンプルな物語であったことが、かえって良かったのではないかとすら、感じられたのだ。

(物語最終盤の第42話「大いなる旅路」。国王の花嫁となるコカチン姫を、無事イル・ハン国へと送り届けたマルコに、フビライの訃報が届けられ、自分の旅は何だったのかとショックを受けるが、それを心配して様子を見にきたコカチンの姿に、マルコは自分の旅が無駄ではなかったと悟る。そしてコカチンは、マルコへの秘めた恋の終わりを悟って、黙って涙を流す)

そして、もうひとつの魅力は、美術監督・石津節子による、インパクトのある色彩設計だ。
本作『マルコ・ポーロの冒険』の大きな特徴は、昼光の自然色のシーンは、状況説明的な序盤のシーンに限られており、肝心なところでは、青、赤、緑、オレンジなどの同系色で統一された画面、または、その補色を使った、一目見て印象的なシーンが多く、それが作品としても、強く印象に残る理由だったのだと思う。
このあたり、私の拙い文章では、あまりうまく伝わらないだろうが、本稿に添える本編画像を見ていただけば、それで一目瞭然であろう。


本作『マルコ・ポーロの冒険』は、凝った物語でもなければ、作画的にも、特別に手間がかかっていたり、よく動くといったものではなかった。

じじつ、公式には杉野昭夫は各話の作画監督を一度も務めてはいない
それでも、いくらかは画面設計をし、原画修正をしていたのは、その絵面に明らかなのだが、それとて全話の中の一部に限られていた。
つまり、テレビシリーズとしてはあたりまえに、極めてシンプルに作られた作品だったのだ。

(杉野昭夫による修正原画と思われる)

(第17話「まぼろしの騎士 チャパンドゥー」の回。名手 川尻善昭の描いたマルコ。上手いが、明らかに杉野の手でないのがわかる)

(ちなみに、杉野昭夫が関わっているらしい回の原画家名は「小柴重光」となっているのだが、これは杉野昭夫の変名ではないかと、私は睨んでいる)

(第24話「密命下る」のエンドクレジット)

しかし、それでも本作が、長く記憶に残る作品になり得たのは、本作の場合、「動の魅力」ではなく、むしろ「静の魅力」を持っていたからなのではないだろうか。

派手に動くことも、多くを語ることもないけれども、曰く言い難い「惜別の情」のようなものを湛えた瞳を持つ魅力的なキャラクターたちがおりなした、出会いと別れの物語。

いくら実話だとは言え、マルコの不遇な晩年を描いた最終回は、あんまりと言えばあんまりのようにも思えるけれど、しかし、マルコが、オルジェと恋愛関係になることもなければ、コカチンとの交情も最後まで主従的な一線をきちんと守ったものだったことなどを考え合わせると、この物語はやはり、マルコが「幸せな晩年を送ったとさ」で締め括られるのは、かえって不似合いなようにも思えてくる、そんな、ある意味で極めてストイックな物語なのだ。

(牢獄に捕られた晩年のマルコ)
(同囚に求められて、旅の思い出を語る)
(記録者が現れ、これが『東方見聞録』の元となる)

そもそも、杉野昭夫の描くキャラクターは、どこか「憂い」をおびており、それが瞳の深さにもなっているのではないだろうか。

このように考えてくるならば、本作『マルコ・ポーロの冒険』という作品の魅力とは、特別に幸福でも不幸でもない、その両方を併せ持ちながら、その宿命を黙って引き受けた人の物語として、特別な印象を与える作品となったのではないか。

多くを語らず、ただその瞳がすべてを語っていた物語。

出崎統監督作品のようなドラマチックな演出こそなかったものの、いやそれがなかったからこそ、本作には杉野昭夫の描く人物が持つ特別な力が、ストレートに響き渡っていた。

本作『マルコ・ポーロの冒険』は、そんな作品だったと言えるのではないだろうか。




(2026年4月22日)

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