松山俊太郎 『綺想礼讃』: 「男っぽさ」の由縁

▷ 書評:松山俊太郎『綺想礼讃』(国書刊行会)


伝説的な人物である。

澁澤龍彦ファンで松山俊太郎を知らないとしたら、そんなものは、もぐりの澁澤ファンとしか言えない。
なぜなら、澁澤自身の文章も含めてた澁澤関連の文章に始終登場するわけではないとしても、松山が登場した際のインパクトは尋常ではなく、絶対に忘れられないキャラクターだからである。

どんな具合かというと、まず頭は古風な角刈で、日頃から着流し姿のまるで昔のヤクザ映画の登場人物みたいな、いかにもいかつい風貌の人だからだ。しかも隻腕。片腕なのである。

これだけでも、外見的に十分怖い。
しかも、自称「犬」だそうであり、伝説として野良犬と喧嘩して、犬に噛みついたそうである。

しかも、空手の達人だというのだから、実際、喧嘩に強いはずだ。
東大の学生だった頃は、勉強に興味がなかったから、ただ空手の訓練のために大学の空手部に通う日々だったのだそうだが、松山はその空手部の主将だったのである。

当然、こんな松山俊太郎に喧嘩を売る者はいない。いや、いないはずだ。
いれば、馬鹿か、武器を持って背後から襲いかかるような卑怯者でしかあるまい。


では、なんでこんな松山が、ディレッタント澁澤龍彦の友達なのかと言えば、松山は種村季弘の学生時代からの友達だったからである。

種村季弘と言えば、澁澤龍彦と並び称され、その盟友たるドイツ文学者だが、松山俊太郎は、3つ年下の種村と東大で同じクラスであり、最初に種村が松山に話しかけて以来の腐れ縁なのだそうだ。

ちなみに、その頃すでに松山俊太郎が隻腕だったのかどうかは分からない。本書を含めて、そのことに触れた文書を読んだことがないからだ。たぶん、そこまでの私事に触れた公の文章は無いのだろう。

松山俊太郎が澁澤龍彦の友人となったのは、喧嘩が強かったからではなく、松山もまた、文学を愛する人であり、なおかつインド学の研究家として、尋常ではない人だったからだ。

普通ではないというのは、大学でインド学を講じながらインド哲学をやっていたとは言え、本人曰く「ほとんど無職に等しい」にもかかわらず、「蓮の哲学」というテーマを追求して、内外の文献を博捜渉猟し、「蓮」に言及した箇所の書き出しなんていう基礎研究を何十年も続けてきた人であり、その研究を本にして売るという発想のなかった人だからである。

では、なぜ本にしないのかと言えば、基礎的な研究が済まないうちに、適当な結論など出せない(手打ちにすることなど出来ない)ということらしい。
無論、そのくらい徹底的に勉強している人なのだから、その知識は尋常ではなく、インド哲学やその周辺の、例えば宗教に関する知識を語らせれば、並みの学者レベルではないのだが、本人にはそうしたことを業いにする気はない。求められれば語るが、彼のインド哲学研究は、研究という「探究」が目的なのであって、その知識を切り売りするためのものではないからである。

だから、親が医師であった松山は、しかし基本的には貧乏である。
彼が年がら年中、着流し姿なのは、他に服を持たないし、それが一番お手軽で便利な服装だからにすぎない。この点は、南方熊楠流だと言えよう。
まあ、書かれてはいないが、パンツくらいは履いているのであろう。ふんどしではなかったと私は思う。


ともあれ、そんな浮世離れした硬骨漢の碩学だから、周囲の者は、彼が好きな作家などについての仕事を回したりする。
それが、現代教養文庫の「小栗虫太郎作品集」全5巻の編者であったり、国書刊行会の「日本幻想文学集成」の編者(の一人)であったりといった仕事だ。


これは彼が、もともと文学好きだったことに加えて、とにかく徹底的に調べる人だからだ。単に好きな作品を選んで並べるだけではないのだ。

松山俊太郎が読書界にその名を轟かせることになった、前記の「小栗虫太郎作品集」の何がすごかったのかというと、あの謎めいた博識の大伽藍とでも呼ぶべき『黒死館殺人事件』に、徹底的な校訂を付したからである。

ちなみに、『黒死館殺人事件』を知らない人のために、その冒頭部分を引用して、同作がどんなに異様な作品なのか、その一半を感じていただこう。

『 序篇 降矢木一族釈義

 聖アレキセイ寺院の殺人事件に法水が解決を公表しなかったので、そろそろ迷宮入りの噂が立ちはじめた十日目のこと、その日から捜査関係の主脳部は、ラザレフ殺害者の追求を放棄しなければならなくなった。と云うのは、四百年の昔から纏綿としていて、臼杵耶蘇会神学林(うすきジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族と云われる降矢木の館に、突如真黒い風みたいな毒殺者の彷徨が始まったからであった。その、通称黒死館と呼ばれる降矢木の館には、いつか必ずこういう不思議な恐怖が起らずにはいまいと噂されていた。勿論そういう臆測を生むについては、ボスフォラス以東にただ一つしかないと云われる降矢木家の建物が、明らかに重大な理由の一つとなっているのだった。その豪壮を極めたケルト・ルネサンス式の城館を見慣れた今日でさえも、尖塔や櫓楼の量線からくる奇異な感覚――まるでマッケイの古めかしい地理本の插画でも見るような感じは、いつになっても変らないのである。けれども、明治十八年建設当初に、河鍋暁斎や落合芳幾をしてこの館の点睛に竜宮の乙姫を描かせたほどの綺びやかな眩惑は、その後星の移るとともに薄らいでしまった。今日では、建物も人も、そういう幼稚な空想の断片ではなくなっているのだ。ちょうど天然の変色が、荒れ寂びれた斑を作りながら石面を蝕んでゆくように、いつとはなく、この館を包みはじめた狭霧のようなものがあった。そうして、やがては館全体を朧気な秘密の塊としか見せなくなったのであるが、その妖気のようなものと云うのは、実を云うと、館の内部に積り重なっていった謎の数々にあったので、勿論あのプロヴァンス城壁を模したと云われる、周囲の壁廓ではなかったのだ。事実、建設以来三度にわたって、怪奇な死の連鎖を思わせる動機不明の変死事件があり、それに加えて、当主旗太郎以外の家族の中に、門外不出の弦楽四重奏団(ストリング・カルテット)を形成している四人の異国人がいて、その人達が、揺籃の頃から四十年もの永い間、館から外へは一歩も出ずにいると云ったら……、そういう伝え聞きの尾に鰭が附いて、それが黒死館の本体の前で、鉛色をした蒸気の壁のように立ちはだかってしまうのだった。』

青空文庫『黒死館殺人事件』


ここでは、大半のルビを削ってしまったが、小栗虫太郎の、特に『黒死館殺人事件』の文体といえば、聞きなれない難しい漢語に外国語のルビがカナカナで振られている、そんないかにもペダンテイック(衒学的)で威圧的なものとして知られる。

で、この調子で、オカルティズム(神秘学)の知識がこれでもかと書き込まれているのだから、それをまともに理解しようとなどとする読者は、わずか数ページで挫折してしまうし、それはレトリックなのだから、その雰囲気を楽しめばそれで良いのだという私のような読者には、類例のない楽しみを与えてくれる、『黒死館殺人事件』とは、そんな稀有の作品なのである。

(現代教養文庫版『黒死館殺人事件』扉絵)

まあ、上に引用したのは、冒頭の舞台の紹介の部分に過ぎないから、そうした神秘思想に止まらないペダントリーは少ないのだが、探偵役である法水麟太郎が推理を語り始めるや、そうした知見が怒涛のごとく読者を襲い、眩暈のするような異世界へと攫われることになるのだ。

だが、この『黒死館殺人事件』も、今や青空文庫で全文無料で読めるので、そちらを覗くだけでも覗いて、その雰囲気だけでも知って欲しい。

そして、その上で言うのだが、こんな「魅力的ながらも、挫折本の代表作」などでも、楽しんで読むだけの酔狂なファンなら、それなりにいる。

だが、そんなものの校訂をいちいちやろうとなどという無謀なことを考えるだけではなく、それを実行に移した者など、文字どおり前代未聞だったのだ。
「誰かやらないかな」とは考えても、自分がやろうとは絶対に考えない類いのことをやったのが、松山俊太郎という浮世離れした大バカ者だったのである。

だからこそ、『黒死館殺人事件』を知る読書家は、みな驚倒したのだ。
「この、松山俊太郎って何者なんだ⁈」と。

 ○ ○ ○

ちなみに、私の初めての松山俊太郎体験は、『黒死館殺人事件』に先んじて、竹本健治『匣の中の失楽』(講談社文庫版)においてであった。
刊行年としては、上の『黒死館殺人事件』を含む、現代教養文庫版「小栗虫太郎作品集」の方が古いのだが、読んだのは『匣の中の失楽』の後だったためだ。
どちらも、私が二十代前半の頃のことである。

今となってはどういう経緯だったのか、すっかり忘れてしまったのだが、昭和60年(1985年)の暮れに中井英夫『虚無への供物』(講談社文庫版)を読んで、すっかりこれにいかれてしまい、この『虚無への供物』に連なる作品と知って、その年のうちに竹本健治の『匣の中の失楽』も読んでいる。


そしてその後に、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と夢野久作『ドグラ・マグラ』が、中井英夫の『虚無への供物』と並べて「日本の三大奇書」と呼ばれているのを知り、1年遅れくらいで、現代教養文庫版「小栗虫太郎作品集」を読み、それからまた少し遅れて現代教養文庫版「夢野久作作品集」全5巻を読んだという流れである。


さて、話を松山俊太郎に戻すと、『匣の中の失楽』の「解説」者として、初めて松山の文章を読んだ時は、とにかく「丁寧に分析する人だな」という印象が強かった。
『匣の中の失楽』という作品は、多重の入れ子構造を持った、メタフィクションの推理小説(ミステリー小説)なのだが、その複雑な構成を丁寧に読み解き、曼荼羅めいた図説までして、その世界の構造を解説していたのである。

普通、推理小説の解説でそこまでする人は少ない。
『匣の中の失楽』の場合であれば、その「入れ子構造」の特異性とその効果を指摘すると同時に、この作品を初めて読んだ時の衝撃など、個人的な思い出や感想を付け加える程度のものがむしろ普通なのだが、松山の解説は、そうした「評論・エッセイもどきの解説」ではなく「研究的な分析を加えた上での解説」だったのだ。
だから、文庫解説としては、異例の紙幅を要したのである。

だが、これだけなら「読み応えのある良い解説だったな。さすがは学者さんだけのことはある。インドの哲学をやってる人なら、『匣の中の失楽』の世界観を面白いと思ったんだろうな」くらいの感想しか持てなかったし、持たなかった。

この講談社文庫版『匣の中の失楽』は、初版の幻影城版の単行本以来、初めての文庫化だったから、字句の改訂はあっても、極端な改変は無い。だから、校訂にはほとんどページが割かれてはいなかったはずなのだ。
それは、『匣の中の失楽』も、『黒死館殺人事件』と同様、ペダンテイックな作品ではあったけれど、インド哲学の研究家である松山俊太郎が詳しく突っ込みを入れるような種類のそれではなかったからかも知れない。
なにしろ、いくら早熟だったとは言え、竹本健治が『匣の中の失楽』を描いたのは、二十歳の頃だったのである。

そんなわけで、私はいったん、松山俊太郎の存在を忘れていたのが、現代教養文庫版「小栗虫太郎作品集」を読んで、初めて「何者なんだ、こいつは」と、そう思ったのだった。

だが、なにしろその頃は、インターネットも無かったし、松山俊太郎には私の視野に入ってくるようなメジャーな著書もなかったから、ただただ「謎めいた人物」という印象を持つことしか出来なかったのだが、その後、澁澤龍彦の本を読むようになり、そこに松山俊太郎の名が出てきて、「あの『黒死館殺人事件』の校訂をやった人か」と、バラバラだった情報が、徐々につながり始めたのである。

だが、その段階でも、まだインターネットは無かったから、松山俊太郎の著書というのは見つからなかった。
あっても、マイナーすぎるし、私の守備範囲の本でも無かったので、古本屋に棚に並んでいたとしても、見つけきれなかったのだろう。

で、そんな「伝説の人」である松山俊太郎の評論文をまとめた本がついに刊行されると知った。
それが本書『綺想礼讃』だったのだが、それも2010年の話だから、すでに16年も前のことである。


当時私は、この定価6,600円(今なら一万円超えか)の本を3冊買った。2冊はサイン本で、あと1冊は「読み用」であった。

ところが、本書に収められた文章の中で、特に私の興味のある部分、つまり澁澤龍彦周辺に関しては、半分くらいはすでに読んでいたから、本書自体は、すぐに読まなければならないということもなかった。
それで、ひとまず手に入れたという安心感から、結局は今日まで、本書を読むことが出来なかったのだ。
しかも、この16年のあいだには、二度とほど読みたいと思って古本を入手したのだが、それでも読めなかった。最初の3冊を含めて、そのすべてを積読の山に積もれさせてしまったのである。

では、なぜ今回読むことになったのかと言えば、それは先日読んだばかりの、国書刊行会の元編集長である磯崎純一の著書『幻想文学怪人偉人列伝 国書刊行会編集長の回想』の一章が、この松山俊太郎に当てられており、すでに亡くなっていた松山の意外な姿が紹介されていて、そのインパクトが甚大だったからである。


すでに紹介したとおり、松山俊太郎は世間離れした碩学であると同時に、外見的には、いかにもいかつい、コワモテの人であった。

ところが、編集者として松山俊太郎と親しく交流した磯崎は、酒好きで知られる松山の酒癖として、酔っ払った松山が「オッパイ、オッパイ!」を連呼して、周囲を辟易されるというエピソードを同書で紹介していたのである。

あの、ヤクザの親分みたいな、片腕のいかついおじさんが「オッパイ、オッパイ!」を連呼したのだ。
これでは、興味を新たにするなと言うほうが無理であろう。

だから、私は今回、新たに本書を入手し、ついに読了することとあいなったのである。

 ○ ○ ○

本書に収録されている文章で、松山が扱っているのは、収録順に次のようなメンバーである。

・ 谷崎潤一郎
・ 日夏耿之介
・ 宮澤賢治
・ 南方熊楠
・ 正宗白鳥
・ 小栗虫太郎
・ 稲垣足穂
・ 江戸川乱歩
・ 日影丈吉
・ 山田風太郎
・ 埴谷雄高
・ 三島由紀夫
・ 澁澤龍彦
・ 種村季弘
・ 沼正三
・ 土方巽
・ 高橋睦郎
・ 唐十郎


この中で、枚数的にも内容的にも大きく扱われているのは、谷崎潤一郎、小栗虫太郎、稲垣足穂、澁澤龍彦といったところだろう。
ここには、松山俊太郎の基本的な「人物的な好み」が表れている。

ちなみに、残念ながら本書には、竹本健治の『匣の中の失楽』の文庫解説は収められいない。
当然、収められているものだと思い込んでいたのだが、本書は松山俊太郎の評論を完全集成したものではなかったということなのであろう。
そしてたぶん、竹本健治の場合は、今回収録されたメンバーとは世代が違ってずっと若く、澁澤系でも無かったから、内容的な統一感の観点から外されたのではないかと思われる。

さて、今回本書を読んでみて分かったのは、松山俊太郎という人は、やはり「評論家」ではないということだ。
その基本姿勢は「探究」であって、論ずることは二の次なのである。探究としての研究の後に、その結果として論ずることは出来ても、それが目的ではない。

松山は、興味を持った対象のことを「知りたい」人なのであって、論ずるために読んだり研究したりする人ではない。要は、研究者として、本末を弁えた人なのだ。
そこが、(「他人の作品を出汁にして自らを語る」という本質的な性格を有する)評論家ではないということだし、凡百の研究者とも違う。松山は研究成果を出すために研究するのではなく、ただ、興味を持ったことを知りたいという探究心において研究することを生きた人なのだ。

だから、自身の「インドにおける(象徴としての)蓮の哲学」の研究も、「このままの調子でやれば、1000年はかかる」と、そう嘯いていた。
私が、松山俊太郎のやっているのは「探究」だというのは、そういう意味なのである。釈尊における「歴劫修行」みたいなものなのである。

松山は、小栗虫太郎について、次のように語っている。

『 それから不可能願望というもののやるせなさを身につまされないと、なかなか入っていけないところがあるんじゃないでしょうか。虫太郎というのは、頭の働きかたからいえば、日本の歴史上、十人に一人のなかには入るくらいの天才だと思うし、それからもう一つひとことでいえば〝馬鹿〟というか、不可能なことを望み続けているという構造的に馬鹿なところがあった人でしょ。そこのところがやるせないわけです。人間というものの与えられた条件でいえば、根本的にどうしても出来ないことがあるわけだけど、その出来ないところが特にやりたいという人ですから。この世界というものがどこから切ってもその切り口が魔法陣になってしまうような、魔術的・詩的なものであれば(※ 一を知って全てを知ることも可能だから)いいなと思うけど、現実ではありえないから、自分の世界のなかで(※ 完成した世界を)作ろうとする。だけど、たとえばあんまり手のこんだデカい焼物を作ろうとしても、釜から出してみると必ず壊れているように、出来あがったものは必ず失敗作になるという、そういう不思議な人だから、やっぱり何たって好きですよね。』

(P224・「虫太郎研究という不可能願望」)


タイトルからも明らかなとおり、これは小栗虫太郎という「不器用な天才」への共感を語って、まさに自分自身のことを語っているのである。

つまり、松山俊太郎は、自分が「馬鹿な生き方=不器用な生き方」をしていることは百も承知で、しかし自身の「美学」を貫いた人なのだ。

だからこそ、彼が好きな作家とは「浮世離れした美学」の持ち主たちであって、必ずしも、その作家の作品のファンだというわけではなかった。

本書の中でも「作品を通して見る、作家の人間性にこそ興味がある」という趣旨のことを語っているし、だからこそ、全体としてはその作家の魅力を語りはしても、必ず「ここはダメだ」「これは失敗作だ」といった指摘を、遠慮なしに行っている。
かの『黒死館殺人事件』だって、実は小栗虫太郎の作品の中では「さほど好きではない」と言うのである。こんな「馬鹿なもの」を作ろうとした、小栗虫太郎という人が好きだった、ということなのだ。

それは心から敬服している年長の恩人と言ってもいい澁澤龍彦についても、谷崎潤一郎や稲垣足穂といったずっと年長の作家の作品についても、まったく同じだったのだ。

で、こういう「美学」が、どのようなところから出てきているのかというと、それは松山俊太郎が考えるところの「戦前日本の倫理」的なものだと言えるだろう。

そのあたりを、生前の松山俊太郎と親しく接した評論家・堀切直人が、本書「栞」に寄せた一文で、次のように過不足なく解説している。

『 松山俊太郎のこうした戦前派、保守派としての面目は、本書所収の「昭和の子供だ、僕たちは」にも明瞭に窺える。
 ここで松山俊太郎は澁澤龍彦の軍歌好きという話柄に事寄せて、「永遠の昭和の子供」としての、確信犯的な「戦前派」としての自らの本懐を吐露している。
 澁澤龍彦は酒席で好んで「昭和、昭和、昭和の子供だ、僕たちは」と続く童謡を声高らかに歌うが、この童謡の「昭和の子供」とは、昭和二年から五年までの四年間に生まれた男子のみに当てはまる。この「昭和の子供」は、日露戦争後(明治三十八年)に生まれた大日本帝国の申し子である。彼らの「心身の成長は、日本帝国主義の興隆と全く歩調を一にしていたから、『大日本帝国』と、それぞれの『自我』は、マクロ=ミクロ・コスモスとして緊密に対応していた」。しかし、「昭和の子供」は昭和二十年の敗戦による大日本帝国の滅亡とともに、「自尊心の体現者としての『国体』を永遠に喪った」。「われわれは、『同じ日本人』ではなくなった」。戦前戦中の軍歌に如実に表わされていた「『いさぎよさ』と「おもいやり」を本質とする、『大和魂』は、形成途上で崩壊した」。大日本帝国滅亡後の世界において、日本人は「自尊心」を失い、その精神は骨抜きになった。「結局、敗戦後三十年間の日本には、強さを美徳とし、優越を至上命令としながら、弱者に「おもいやり』を惜しまぬという、男性的精神が亡びてしまった。今日は、『平等」の仮面の下に「憎悪」と「ひがみ」が巾をきかせる、女性的時代である。男が女の水準まで低落しては、「バカ革命」実現ということではないか」。「日本と日本語を何より愛し、日本人であることにプライドをもつ」、「昭和の子供」の生き残りは、「こんな世の中に鬱陶しく暮らし、孤独な作業を続け」ざるをえない。』

(栞 P3〜4・「昭和の怪人はアバンゲール」)


このあたり、私の「孤高のヒーロー」趣味や、それに由来する「似非フェミニズム」批判と通ずるところだろう。


◇ ◇ ◇



今の日本は「弱者の権利を尊重する」という建前になっているけれども、その実態は「新たに社会的な力をつけてきた旧弱者勢力に目をつけられ、悪者にされて社会的に孤立させられないようにするための、保身なのではないのか?」と、そうした実感がすこしでもあれば、現代日本における民主主義とは、「風見鶏的な保身主義」でしかないし、本来の意味での「他者に対する優しさ」を見失ったものだと、そう考えるべきなのではないだろうか。

松山俊太郎は、すっかり「この世」や、なかでも「戦後日本」を見放している様子で、それがことさら、彼に「保守」を名乗らせてもいるのだろう。

松山俊太郎には、明らかに懐旧趣味があり、その一方で、未来を作ろうというを意志を、完全に放棄している。
未来を語る者の嘘っぽさに、すっかり幻滅した人だからだろうし、だからこそ、時間軸を超越した「永遠の層における宇宙」を探究するしかなかったのでもあろう。

だから、松山俊太郎の自称する「保守」ということを真に受けるのは、それこそ「バカ革命」によってバカになったバカ以外の何者でもあるまい。
松山俊太郎は、むしろ現実世界に対する「観念のテロリスト」だと、そう考えるべきなのである。

松山俊太郎は、その日本人としての美学のゆえにこそ、今の世の中で「うまく立ち回る」ことを拒絶し、たぶん最後は「蓮の宇宙」に帰一するつもりだったのであろう。
その覚悟があればこそ、不器用きわまりない立ち回りに終始した、人生美学の人だったのである。

本書に収録された論文を瞥見すると、松山がほとんどの作家に「胎内回帰願望」を見ていたというのがわかる。
谷崎潤一郎や小栗虫太郎は無論、澁澤龍彦についてもだ。

もちろんこれは、批評として正鵠を射ていた部分もあるけれども、やはり「自分のことを投影的に語っていた」というのも、否定しがたいところだろう。

一見「コワモテ」の松山が酒に酔うと、どうして「オッパイ、オッパイ!」などと、身も蓋もない幼児帰りをしたのかと言えば、やはりそれは、彼がこのうそ寒い世に違和感と反発を覚え、幼い頃の、ぬくぬくとした母の世界に帰りたいという願望を持っていたからであろう。

松山俊太郎の、見かけの「男っぽさ」の裏には、母の温かい懐のなかで庇護されたいというそんな「男の弱さ」が、彼には確かにあったのである。



【追記】

本稿でも言及した磯崎純一の著書『幻想文学怪人偉人列伝 国書刊行会編集長の回想』のレビューにおいて、同書が扱った松山俊太郎を含む「怪人偉人」の中でも、作家・芸術家ではないという点において異色の存在感であった、国書刊行会の創業者である佐藤今朝夫氏が、本年5月25日に亡くなっていたとの報道が、昨日(2026年6月11日)あった。


私は当該磯崎書を刊行直後に読んだ訳ではなかったので、もしかすると佐藤氏は磯崎書の自身に関する箇所を読んでから亡くなられたのかもしれない。
だとすれば、佐藤氏にも磯崎氏にも、それは喜ばしいことであったろうし、仮に間に合わなかったとしても、磯崎氏の思いは、きっと佐藤氏に届いていたことであろう。

レビューにも書いたとおり、こうした縁の下の力持ち的な「古風な美学」を持つ人の、今後もすこしは尊ばれる世の中であってほしいと思う。
真の「偉人」とは、むしろそういう稀有な人たちのことを指すのではないだろうか。


(2026年6月12日)

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