イタロ・カルヴィーノ 『不在の騎士』: 寓話を寓話としか読めない読者のための寓話(嘘)。

▷ 書評:イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』(白水Uブックス)


カルヴィーノについては、ずいぶん前に『マルコ・ポーロの見えない都市』『宿命の交わる城』を読んでいる。そして、面白かったという記憶がある。

実際、その当時、カルヴィーノの他の長編や短編集を買っているし、その後に出たエッセイ集、文学論集なども買っているから、買ったまま読めなかった本は、10冊弱あるんじゃないかと思う。
そのぜんぶを積読の山に埋もれさせて、先年の蔵書整理で処分してしまったのだ。

だが先日、ラテン・アメリカ文学の傑作として知られるホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』を読み、これはそれほど楽しめなかったのだが、同じラテン系の作家として、カルヴィーノのことを思い出して「面白かったなあ」と思ったので、また読みたくなってしまったのである。

ちなみにカルヴィーノは、イタリアの作家だが、出身はキューバだから、その点ではラテン・アメリカ出身のラテン系作家であることに間違いはない。

で、むかし一度は買ったはずの作品を、今回は古本で何冊か購入したのだが、その中で最初に手に取ったのが、本書『不在の騎士』だったというわけである。

では、なぜ本書を手最初に手に取ったのかと言えば、今回入手した作品の中では、いちばん面白そうに思えたからである。
これが面白くないと、あとの作品を読む気力が失せるからだ。

それでは、本書のどこに惹かれたのかというと、私は西洋騎士の鎧というのが、けっこう好きなのだ。
単純に、男の子趣味的にカッコいいと感じる。また、大好きだったアニメの巨大ロボットだって、そのデザインの祖型は、西洋の甲冑なのだ。マジンガーZを見よ!

もっとも、甲冑の騎士ならなんでも好きというわけではない。
騎士道精神」てなマッチョなものはなかなか好きなのだが、その反面、「アーサー王伝説」のような「お姫様を守る円卓の騎士」みたいな柔な話には興味はない。『トリスタンとイゾルデ』の悲恋だとか、竪琴を弾く騎士なんてロマンチックなものには、とんと興味がないのだ。

そうではなく、例えば別筋として興味のあるキリスト教の関係で、聖堂騎士団(テンプル騎士団)の異端信仰とか、そういう怪しげなところは、かなり好きだ。

聖堂騎士団が異端の疑いをかけられて潰されたのは、聖地エルサレムへの巡礼の旅の安全を守るという騎士団の仕事によって、莫大な財産を溜め込んでいたのを教皇庁(バチカン)に目をつけられ、その財産を横取りするために、彼らにかけた濡れ衣が「異端信仰」だったと、そんな話もどこかで読んだ。

だが、私が好きなのは、ピエール・クロソウスキーの書いた哲学的エロティック小説『バフォメット』(『肉の影』)に描かれたテンプル騎士団の悪魔崇拝であり、そこで描かれる幻想的で少年愛的なエロティック描写だった。
そうした「イメージ」が好きなのであって、野暮な歴史的事実には、あまり興味がない。

そのほかに、西洋甲冑が登場する大好きな作品といえば、当然、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』である。

ケルト・ルネッサンス様式の洋館で発生する、神秘学に彩られた「降矢木家連続殺人事件」を描いた本格ミステリ作品なのだが、この「黒死館」こと降八木邸に、左右に並べられて飾られていた日本の甲冑と西洋の甲冑の位置が入れ替わっていることを、現場臨場した名探偵・法水麟太郎が、暗号であると気づいてこれを解く、というシーンがあるのだ。

(桃源社版『黒死館殺人事件』より)

一一まあ、いまいちよくわからない、難解な謎解きなのだが、やたらに怪しく謎めいていて、とにかくカッコよかったのである。

そんなわけで、むかし買った、国書刊行会「文学の冒険」叢書版の表紙もなかなか良かったが、今回手に入れた「白水Uブックス」版の表紙画はもっとよく、とても惹かれた。
何が良かったのかいうと、国書刊行会の方はカラーイラストだったのだが、今回の「白水Uブックス」版のそれは、銅版画風のしぶいイラストだったのだ。

しかし、国書刊行会版の帯文などを見ると、どうやら本作は、私の期待するような「暗くて妖しい」というパターンの作品ではなく、どちらかと言えば、ユーモラスな風刺性のある作品のようだ。

その点では、昔読んで良かった『マルコ・ポーロの見えない都市』や『宿命の交わる城』とは少し路線が違うようなのだが、まあそれは仕方ない。

ちょっと路線の違う作品でも、カルヴィーノの作品ならば、別パターンのも読んでおいていいだろうと、そう思って読むことにしたのである。

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一一で、結論から言うと、やはりそのユーモラスさは、私の求めるところではなかったから、その点では、いささか期待はずれだった。

だが、ぜんぜん面白くないのかと言えば、そんなことはない。

本作の主人公は、中身が空っぽのまま生きて活動している甲冑、「騎士道精神」のかたまりである、騎士シャルルマーニュである。
なにしろ、甲冑オンリーなのだから堅物だ。

つまり、なぜか中身のない甲冑が生きて動いているのだが、別にオカルト小説だというわけではない。

国書刊行会版の帯に、

語り/騙りの天才カルヴィーノの天衣無縫な寓話世界

とあるとおり、空っぽの騎士シャルルマーニュは、寓意的な存在として描かれているので、作品世界の中では、そんな彼のこと、馬鹿にする騎士たちはおおぜい登場しても、気味悪がったりする者は、一人もいない。そういう世界なのだ。

で、普通に考えれば、「騎士道精神」の塊のような騎士の「中身が空っぽ=人間が入っていない」というのは、要するに「騎士道とは、人間不在の抽象的な美学でしかない」とかいったような批判が込められているのだろうと、そのあたりまでなら見やすいところなのだが、それだけだったら、いかにも頭でっかちでつまらないし、本作の楽しさは、そんな「意味」に終始するものではない。

本作には、このクソ真面目な堅物であるが故に周囲の人間くさい騎士たちから浮きまくっており、それでいてそんなことをまったく意に介さない甲冑だけの騎士シャルルマーニュのほかに、彼の家来(盾持ち)となる、自他の境界の区別のつかない(アヒルを見たら自分もアヒルだと思い込み、カエルを見たらカエルだと思い込み、スープを飲んだら自分が飲まれているスープだと思い込む)半狂人であるグルドゥルーだとか、父の仇討ちに燃えている新米熱血騎士のランバルトや、憧れて女だてらに騎士になった美少女ブラダマンテとかいった連中が登場して、かなりズレた自分なりの理想を追求しながらのドタバタを演じる。

そしてそんな物語の途中からは、この物語を書いている、女子修道院の尼僧パルミーランが登場して、文章を書くという自分に与えられた仕事に感激したりボヤいたりしているうちに、物語も省略的にどんどん進んでいって、最後はメタなオチにいたると、一一まあ、おおよそそういうお話なのである。

したがって、登場人物たちのドタバタユーモアが趣味ではなくても、先の読めない展開は、なかなか面白い。

決して重量級の手応えを感じさせるような作品ではないが、なかなかトボけた、フットワークの軽さを感じさせる作品だとは言えるだろう。

言い換えれば、「空っぽの騎士は、近代的な自意識の存在しなかった時代の、人間の自己意識の寓意である」とか何とか、そんなことを考えなくてもそれなりに楽しく読める、なかなか皮肉のきいた作品だし、寓意の意味を考えたって、それでとくべつ面白くなるわけでもない小説だとも言えるだろう。

ま、そんなところでよければ、一読の価値がある作品なのではないだろうか、たぶん。



(2026年4月24日)

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