▷ 映画評:バスビー・バークレー監督『私を野球につれてって』(1949年/アメリカ映画)
日本語版Wikipediaによると、本作はジーン・ケリーとフランク・シナトラの、二大ミュージカル・スターの主演による作品ということになっている。
『『私を野球につれてって』(英:Take Me Out to the Ball Game)は、1949年のアメリカ合衆国のミュージカル映画である。93分、テクニカラー、スタンダードサイズ(1.37:1)。主演:ジーン・ケリーとフランク・シナトラ。』
(Wikipedia「私を野球につれてって」)

しかし、ポスターを見ると、
フランク・シナトラ
エスター・ウィリアムズ
ジーン・ケリー
という並びなっており、映画本編のオープニングロールでも、その順番になっている。
本作も、MGMミュージカル映画の黄金期に撮られた作品なのだが、そうしたミュージカル映画のブームがすぎて、懐古される時期になってから作られた、MGMミュージカル映画の名場面アンソロジー映画『ザッツ・エンタテインメント』 (1974年)によると、往時のミュージカル映画の大スターとは、男性はフレッド・アステアとジーン・ケリー、女性はジュディ・ガーランドという感じの紹介になっている。
私が、昔のMGMミュージカル映画を見るようになったのは、この『ザッツ・エンタテインメント』 3部作を見たおかげで、もともとは決して映画に詳しくはなかった。
しかしまたそれでも、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドの名前くらいは聞いたことくらいはあったのだが、唯一、エスター・ウィリアムズのことはまったく知らなかった。
それで、『ザッツ・エンタテインメント』 で大きく取り上げられていた、エスター・ウィリアムズ主演の映画『百万弗の人魚』を見たのだが、彼女は私好みの絵に描いたような美女だった。
エスター・ウィリアムズは、もともとは競泳の選手で、
『ハイスクール時代から競泳選手として活躍し、1938年には全米大学選手権において15歳で世界記録を達成。1940年のオリンピック出場が見込まれたものの、オリンピックは戦争で中止された。サンフランシスコ万博での水中ショーに出演していたところ、MGM社のスカウトの目にとまった。』
(Wikipedia「エスター・ウィリアムズ」)
という、水泳に関しては本格的な経歴の持ち主であり、その美貌はもとより、その経歴を生かした『世紀の女王』(1944年)、『水着の女王』(1949年)、『百万弗の人魚』(1952年)などの水中ミュージカル映画で、一躍スターの座に上り詰めた人だったのだ。
一一ところが、
『1956年限りでMGMが水中レビュー映画の製作を中止したのに伴い契約を打ち切られ、他社へ移籍した後1961年に女優業を引退した。』
(Wikipedia「エスター・ウィリアムズ」)
という、かなり短命なスター人生だったようである。
たしかに、水中ミュージカルというのは、そうそうバリエーションの作れるものではない。
そもそも、水の中で、彼女ほど演技のできる者などほとんどいないのだから、次々に新作の作れるようなものではなかったためであろう。
ただ、私としては、元競泳選手らしく、頭が小さくて肩幅があり、腕脚が長く9頭身のすらっと美しい完璧なプロポーションの持ち主である彼女なら、水中レビューではなくとも、それなりに美人女優としてやっていけたのではないかとそう思えたのだが、結果としてそうではなかったことが、これまでは意外に思えてもいた。
しかしそれが、今回、本作『私を野球につれてって』を見、そのWikipediaを読んだことで、彼女がなぜ、陸上では美人女優としては短命に終わったのか、その謎が解けたように思えた。
一一今回はそのことについて書いてみたい。
○ ○ ○
私は、これまで何度も書いているとおり、ジーン・ケリーの大ファンである。
その理由は、まず彼のミュージカル俳優としての、傑出した力量だ。
私が好きなミュージカルスターは、フレッド・アステアとジーン・ケリーで、どちらもダンスの名手であり、歌もうまい。
だが、その売りは、やはりダンスであろう。
アステアは、決して美男子ではないが、その人柄の良さをにじませる顔には、親しみを感じさせる独特の魅力があるし、なによりそのダンスは他を寄せつけない、ハリウッド最大のダンサーだと言っても良いだろう。
彼のダンスとは、よく言われるように「エレガント」なのだ。
日本語で言えば、華麗かつ上品であり、この魅力だけは、誰にも真似のできない天与のものなのだ。
一方、ケリーのダンスは、その圧倒的な身体能力によるものであり、どのようなダンスでも完璧に力強く踊ってみせる彼は、唯一アステアと伍することのできた、ハリウッドのダンサーだったと言えよう。
むろん、それだけではない。彼には、アステアにはなかった男性的な美貌があり、それでいて愛嬌のある三枚目も演じられる、人好きのする魅力があった。
多くの人がケリーに魅了されたのは、決してそのダンスの力だけではなかったのである。

で、本作『私を野球につれてって』で、そんなジーン・ケリーと共演しているのが、フランク・シナトラで、私がミュージカル映画を見るようになる半世紀も前から、つまり、私がまだ子供の頃から、唯一その名前を知っていたのは、このシナトラただ一人であった。
なんでシナトラを知っていたとかと言えば、シナトラは、ミュージカル映画を卒業した後も、歌手として長らくその人気を保っていたからだ。
だから、私はシナトラのことを、昔は「おじさんたちのカラオケの定番曲」と言われた名曲『マイ・ウェイ』の人だと、そんな印象をであり、てっきり元からずっと歌手だった人だと思っていたのである。
たしかに、晩年にも映画に顔を見せていたが、それは人気歌手としてのゲスト出演的なものだと思い込んでいたので、まさか、昔はミュージカル映画で「歌って踊っていた」などとは思いもしなかった。

私が子供の頃のシナトラは、相応に年もとって「貫禄」(肉)もついていたから、踊るイメージではなかったのだ。
それに今から思えば、昔はショービジネスの世界では当たり前の話でしかなかったのだろうが、シナトラはヤクザ(ギャング)とつながりがあるとか、彼自身がヤクザだなどと言われていたし、事実、一見ちょっとしたコワモテでもあったから、そうした噂にも説得力があったのである。

で、そんなシナトラに、私は興味がなかった。
歌はうまいと思ったが、もともと歌にはあまり興味がなかったし、そのコワモテな感じに、親しみが持てなかったからであろう。
しかし、『ザッツ・エンタテインメント PART2』 で、若い頃のシナトラが、ジーン・ケリーと共演して、歌って踊っていたのを知った。
若いシナトラはずっと細身であり、これなら踊れただろうな納得したが、しかし『ザッツ・エンタテインメント PART2』 で紹介されていたシナトラのミュージカル作品を見るかぎり、やはり彼は、最初から「歌」の人であり、ミュージカル映画に出演し、踊る必要があって、訓練して踊っていたという感じのようだ。
だから、ジーン・ケリーとペアで踊るシーンでは、素人目にも、その安定感の違いは歴然としており、ケリーのダンスにつきあうのは、さぞや大変だっただろうなと、そんな印象さえ受けたのである。


で、本作『私を野球につれてって』は、まさにそうした作品のひとつであった。
シナトラは、他にも同時期のMGMミュージカル映画『錨を上げて』(1945年)や『踊る大紐育』(1949年)でジーン・ケリーと共演して、歌い踊っている。
で、このペアに、私の好きなエスター・ウィリアムズが加わったのだから、私が本作に期待しないはずもないし、実際、それなりに楽しむことも出来たのである。
この頃のMGMミュージカル映画というのは、もっぱら「夢を売る」ことを目的とした、徹底した娯楽作品だった。
だから、お話としてはたわいないもので、要は、人の良い若い男女がお互いに惹かれ合いながらも、途中までは反発しあったり困難に遭遇したりもするのだが、最後は結ばれてハッピーエンドと、おおよそそういうものである。
所詮こうしたストーリーは、楽しい歌や踊りの乗せるためのものでしかなかったのだ。
だから、本作『私を野球につれてって』も、お話自体はそうしたものでしかなかったのだが、だからといって、特に不満はなかった。
それでも、あえて言えば、エスター・ウィリアムズの見せ場として、プールで泳ぐシーンもあるにはあったのだが、これは最低限のサービス程度のもので、主演級の女優のわりには、これといった見せ場や活躍のなかった点には、物足りなさが残った。

しかしそれも、本作が野球を扱った「陸上のミュージカル」である以上、仕方がないものと、私なりに納得してはいたのである。
本作の「ストーリー」は、次のようなものだ。
『(※ 本作のタイトルと題材になった、アメリカにおける野球についての愛唱歌である)『私を野球に連れてって』が作られた1908年(※ を、本作は舞台としている)。架空のプロ野球チーム「ウルブズ」の選手、エディ・オブライエン(ジーン・ケリー)とデニス・ライアン(フランク・シナトラ)の2人は、シーズンオフの間は舞台芸人でもある。
チームに新しい女性オーナー、K(※ キャサリン).C.ヒギンズ(エスター・ウィリアムズ)が来る。そのうち、デニスとエディは同時に彼女に惹かれ、2人の悩みの種が増える。また、デニスは熱烈的なファン、シャーリー・デルウイン(ベティ・ギャレット)に追い回される。
その後、彼らは、相手チームに巨額の賭け金を投じているギャングたちと戦うことになる。』
(Wikipedia「私を野球につれてって」)

最後は、エディとキャサリン、デニスとシャーリーが結ばれてハッピーエンドということになる。
だが、ミュージカルとしての楽しさは十分にあるものの、当初は遊び人のエディと、球団オーナーとしてエディに野球への専心を求めるキャサリンとの間でぶつかり合いがあって、「キャサリンと結ばれるのはデニスかも」と思えるほどの展開だったのだが、途中から、キャサリンの心がエディに傾くにあたっては、いささか唐突のうらみが否定しえず、説明不足な感じがあった。

最初はぶつかっていた男女が最後は結ばれるという展開は、この種の映画の王道パターンだから、それ自体はかまわないのだが、それにしてもキャサリンの方の気持ちの変化に説得力が感じられず、また、キャサリンがエディに惹かれており、自分には興味がないと知ったデニスが、それまで相手にしていなかったどころか、迷惑がって逃げ回っていたシャーリーを愛するようになる展開にも無理があった。「あっちがダメだったからって、こっちがが愛せるようになるのかよ?」という印象が強かったのだ。
でもまあ、ミュージカル映画の恋愛なんて、多分にご都合主義的なものだから、特に不満を感じることもなかったのだが、このレビューを書くために、本作のWikipediaを読んだところ、そんな作品になってしまった裏事情がおおよそのところわかって、少々残念な気持ちになってしまった。
『エスター・ウィリアムズは、本作の脚本家であり振付師でもあるスターのジーン・ケリーとの映画撮影を快く過ごしていなかった。彼女の自叙伝では本作に関して「本当に惨めだった」と書かれた。ウィリアムズ自身によれば、野球チームの女性オーナー役は当初、ジュディ・ガーランドが予定されていたが、薬物乱用問題のため自身が代役となったと主張している。フランク・シナトラ演じるデニス・ライアン役も当初は実際のプロ野球選手であるレオ・ドローチャーの起用が予定されていた。
またウィリアムズは、ケリーとスタンリー・ドーネンが彼女を軽視した扱いをし、彼女の費用で悪ふざけをしたとも主張している。ジーン・ケリーが5フィート7インチであったのに対し、ウィリアムズは5フィート10インチで彼より高く、ケリーは身長差が不快だったのだとも主張している。
監督のバスビー・バークレーは当初、『水着の女王』などの「水中レビュー映画」のスターであったウィリアムズのために水中レビューシーンを計画したが、ケリーによって拒絶された。』
(Wikipedia「私を野球につれてって」)
本作の「脚本」には、次の四人が名を連ねている。
ハリー・トゥージェンド
ジョージ・ウェルズ
ジーン・ケリー
スタンリー・ドーネン
つまり、本作はもともと、ジーン・ケリーのために書かれた作品だったのだ。
ちなみに、本作では脚本担当に止まったスタンリー・ドーネンは、ケリーと同じブロードウェイ出身者であり、この時にはすでに、ケリーとシナトラ主演の『踊る大紐育』(1949年)を監督しているし、数年後には、ケリーの主演でミュージカル映画の歴史的傑作『雨に唄えば』(1952年)を撮ることになるのだから、本作『私を野球につれてって』制作当時、ケリーとはミュージカル映画の「相棒」といった間柄だったのであろう。
そんなわけで、本作がケリーのために書かれた脚本だったというのは、まず間違いのないところなのである。
だが、そうした当初の目論見に反して、ヒロイン役にジュディ・ガーランドが使えず、代役であるエスター・ウィリアムズが、主演の自分よりも背が高かったというのが、ジーン・ケリーは、やはり気に入らなかったのであろう。
こう書くと「つまらないことを気にする、つまらない男」だという印象は否めないだろうし、私もそんな否定的な印象を、大好きなジーン・ケリーに覚えてしまうのは、きわめて残念だ。
だが、ケリーにしたら、自分より背の高い女優と踊らなければならないというのは、やはり我慢のならないことだっただろうことは否定し難い。
ケリーは、別に小男というわけではないし、事実、シナトラよりも背が高い。
だから、普通の女優なら、たいがいは彼より背が低いし、そもそもダンサーというのは、体が軽くなければならないから、あまり大柄な人は(男女ともに)いないのである。
ところが、エスター・ウィリアムズは、もとが、体格がものを言う競泳選手だったために、背が高かった。
それでも、一人で水の中で泳ぎ舞う分には問題なかったのだが、地上で男性と踊る場合には、それが災いしてしまった、ということなのだろう。
実際、私が見たDVDには、付録として、本編からはカットされた「未公開シーン」が二つ収録されていた。
ひとつは、ケリーとウィリアムズが二人で踊るロマンチックなシーン。
もうひとつは、シナトラが、シャーリー役のベティ・ギャレットと夜の浜辺を歩きながらスローなラブソングを歌う、ロマンチックなシーンだ。
つまり、本作において、エスター・ウィリアムズ演じるキャサリンが、当初は反発を感じていた、ジーン・ケリー演ずるエディに気持ちが傾いていく、そのきっかけとなる肝心なシーンが、本編からは削られていたのである。
そしてさらには、シナトラ演ずるデニスとシャーリーが愛し合うようになる過程における大切なシーンも削られていた。
一一これでは、4人の心理描写が説得力に欠けていたのも、いわば当然の結果だったのである。
だが問題は、なぜこの二つのシーンが削られたのか、その理由なのだが、前者の理由は明らかだ。
やはり、ケリーとウィリアムズが踊るシーンには、私が見ても、無理があったのである。
これが、ミュージカルではない、ただの恋愛映画だったなら、身長を誤魔化す撮り方はいくらでもできたし、昔も今も、そんなふうにして撮られている。
だが、全身ショットが基本であり、しかも長回しの多いダンスシーンでは、直接からむ男女の身長を誤魔化すことは、基本的に出来なかったのだ。


細切れカットの編集によるダンスシーンなら、身長を誤魔化すことも可能なのだが、ダンサー出身のケリーとしては、自分のダンスをそのまま見せたいのだから、そんな編集のマジックみたいなものでは満足できない。
だからおのずと、全身の動きを見せることのできる、退きの長回しが基本となるダンスシーンになるわけだが、そこに、ほとんど同じ身長のウィリアムズが絡むと、ケリーのたくましさが、いつもほどは映えなかったのだ。
だから、このシーンを切ってしまったのであろう。一一これは、ほぼ間違いないところだと思う。
ケリーは、決して小男ではなかったから、大柄なウィリアムズに「コンプレックスを刺激された」というようなことではなかったと、そう私は信じたい。
もともとケリーは、ダンスにおいて「完璧主義者」として知られた人だから、絵にならないダンスシーンを認めることが、その美的見地からして認められなかったのだと、そう信じたいのだ。
だが、その結果、エスター・ウィリアムズを蔑ろにすることになってしまったことは、言い訳の余地もなく、残念でならない。
たとえ、彼女に十分な活躍の場を与えられなかったとしても、それは映画としての完成度のためだと納得させるだけの、紳士的な説明があって然るべきだったと思う。
だが、ウィリアムズをあれだけ怒らせてしまったのは、男どもにそうした配慮が足りなかったということなのだろう。
一一この事実は、両者のファンとして、残念きわまりない痛恨事である。
ちなみに、本作におけるこうした事情を鑑みれば、陸に上がったエスター・ウィリアムズが、美人女優として意外に短命だったのも、きっと、その身長ゆえだったのではないかと思えてならない。
やはり、背の高い美人女優は、使いづらかったのではないだろうか。
今でなら、男まさりの女性役も少なくないから、男性俳優の「相手役」ではなく、「強い女性主人公」役も可能だっただろう。
だが、この本作が制作された当時は、まだそういう時代ではなかった。
だから、主演の男性俳優の横に立たせるヒロインとしては、ウィリアムズは使いづらい女優だったのではないかと、私はそう推察するのだ。
主演男性俳優の相手役ではなく、三枚目の脇役女優なら、背が高くても問題はなかったろう。
実際、本作においても、デニス役のシナトラは、シャーリー役のベティ・ギャレットよりも背が低いくらいだったが、ギャレットは基本三枚目だし、二人が一緒に踊るようなシーンもなかったから、身長を誤魔化しやすかったはずなのだ。
そして更に言えば、デニスとシャーリーは、言うなれば、エディとキャサリンの脇だから、同じような身長でも良かったのだろうが、メインのヒーローとヒロインまでが「似たような背丈」というわけには、いかなかったのであろう。

つまり、本作にかぎらず、エスター・ウィリアムズは、ヒロイン格の美人女優であったればこそ、使いづらい女優ということになってしまったのではないかと、私はそのように睨んだのである。
時代的に仕方がなかった面があるとは言え、大好きな男女の俳優が共演しながら、それがうまく噛み合わなかったというのは、ファンとして、きわめて残念だ。
だが、なぜエスター・ウィリアムズほどの美人女優が、意外に主演女優としての活躍期間が短いかったのか、その謎が解けた点だけは、本作を見た甲斐はあったと思う。
あまり見たくはない現実だとは言え、現実は、ミュージカル映画のようにうまくはいかないのだと、あらためて自分に、そう言い聞かせることにしたい。

(2026年8月17日)
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