▷ 書評:qutm『反ミーム部門は存在しない』(ハヤカワ文庫)
本作の面白さは、なんといっても「反ミーム」というアイデアだろう。
「ミーム」という言葉を「聞いたことくらいならある」という人は少なくないと思うが、ぼんやりとは理解していても、わかりやすく説明しろと言われても、それができる人は、そう多くはないだろう。
本書の帯の背面には、本作の内容に沿ったかたちで、「ミーム」と「反ミーム」という言葉が、次のように説明されている。
【ミーム】「ミーム」とは、進化生物学者リチャード・ドーキンスが提案した自己複製し拡散する情報のこと。〈機関〉が扱うアンノウンには、感染力があるミーム的性質を持った危険な概念があり、人の精神を介して他人の精神に影響を及ぼす。
【反ミーム】ミーム性アンノウンが伝染する概念ならば、反ミーム性を持つものは伝染させることができない概念。目に見えても認識できず、記録は誰も理解できない。そして記憶から消え去る。反ミーム部門が扱うのはそんなアンノウンである。
これを読んだって、「ミーム」のことを知らなければ、きっとピンとは来ないだろう。
なぜなら、この紹介文は、本作がSFホラー小説であることに合わせて、いささか故意に「謎めいたもの」として「ミーム」を説明しているからである。
言い換えれば、本書を読む前から「なーんだ、そんなことか」と、そんな誤った印象を持たれては困るけれど、かといって、まったく意味不明のまま読まれても、それはそれで不都合だからである。
では、Wikipediaだと、「ミーム」をどう説明しているだろうか?
『ミーム(英: meme、発音 [miː m] )とは、脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報であり、例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である。『日本大百科全書』における人工知能研究者の中島秀之の説明によると、ミームは文化的自己複製子であり、“ミームは比喩(ひゆ)ではなく遺伝子と同じく実体である”。『利己的な遺伝子』(※ ドーキンスの著書)によれば、ミームは脳神経回路の“型”である。ミームが脳の外へ複製された具体例としては衣服、壺、アーチ、宗教的行動、科学者の講演、論文などが挙げられている。』
(Wikipedia「ミーム」)
いや、難しいですね。
でも、なぜ難しいのかというと、それは「元来の意味では」というスタンスでの説明をしているからである。
しかし、すでに私たちが、日常に近いところで使っている場合の説明だと、こうなる。
『ミームとは、SNSやWebサイトなどを通して拡散され、話題となった文章や画像・動画などのコンテンツそのものや、そのコンテンツが拡散・改変される現象を指します。
ミーム(meme)は、主にインターネット上で使用されるスラングです。イギリスの進化生物学者であるリチャード・ドーキンス氏による造語「meme」に由来する言葉であり、本来は次のような意味・概念を持っています。(以下略)』
(ECCオンラインレッスン「ミーム(meme)とは?意味と例文・海外と日本で有名なミームを紹介」)
じつにわかりやすい。
つまり、私たちに馴染みがあるのは、おおむね「ミーム」の中でも「インターネット・ミーム」と呼ばれるものなのだが、それが全てではない、と言うことなのだ。
こうした身近な「(インターネット)ミーム」の例を挙げれば、有名なものに「猫ミーム」というのがある。
どういうものかというと、SNS(例えば「X」)などに投稿する際、可愛い猫の画像などを添付しておくと、中身はつまらなくても、注目が集まりやすく、その投稿がリポスト(リツイート)されやすくなる。
また、まったく同じ写真ではなくても、「猫ミーム」のことを知っている人は、自分の投稿に猫の別の写真を貼ったりする。
こうして「猫」写真がどんどん増殖していくのだ。まるで、人間の脳に憑依して、その欲望を利用することで、自身を増殖させるもののように…。
一一と、最後はホラー風にまとめてみたが、これが「猫ミーム」であり、こうしたミームは、当然のことながら、流行り廃りをくり返しながら、いろいろ生まれてくる、というわけだ。
例えば、「流行語」というのもミームの一種であり「言葉のミーム」なのだが、当たり前すぎるし、そもそも「ミーム」という言葉が生まれる前から存在する「ミーム」だから、わざわざ「ミーム」とは呼ばないだけ。私たちの人間文化は、はるか昔からミームと共存していたのだ。
さて、これでだいぶ、実感的に「ミーム」というものがわかってきたのではないだろうか。
では、「反ミーム」とは、何なのかというと、「ミームに反対する立場」のことではない。
本作『反ミーム部門は存在しない』の場合、「反ミーム」属性を持つ「危険な生けるミーム」である通称「アンノウン」に対抗するための、国家の秘密組織である〈組織〉が登場するから、彼らの組織を「反ミーム=対抗ミーム」という性格を持つ組織なのだと勘違いしやすいのだが、本書で言う「反ミーム」とは、元来、そういう「反怪獣」的な意味ではなく、言うなれば「逆ミーム」という意味なのだ。
つまり「伝搬(ミーム性)を阻害する性格」という意味での「反ミーム」であり、具体的に言えば、その「伝搬性の存在(ミーム)」の存在を知った人が、その存在自体を忘れてしまう性質を持った存在(アンノウン)のことである。
わかりにくいだろうか?
要は、その存在を知られても、すぐに忘れられてしまうから、結果として誰にも知られないので、誰も気づかないうちに伝播増殖することができるという性質が「反ミーム」であり、そうした性格や、そうした性格を持つ存在のことを「反ミーム」と呼ぶのである。
例えば、ここに「反ミーム」の属性を持つ、人喰いモンスターがいたとして、それが病院を襲って、そこにいる人を全員食い殺したとする。
その場合、その現場の様子を、たまたま外から見かけた通行人は、しかし、次の瞬間にはその記憶を「食われている」から、通報することはないし、そのあと思い出すこともないから、問題化されることも、記録されることもない。
これは、その病院から、たまたま生還できた人がいたとしても同じで、その人は病院で何があったのかは思い出せない。
ただ、病院は医師も含めて全員が食い殺されているから、当然、その病院運営できなくなるのだが、そうなった理由が関係者の誰にもわからないから、それらしい理屈が捏造され、辻褄合わせがなされてしまい、皆がそれを信じてしまうため、疑問に思う者は誰もいない。それは「そういうものだった」ということで、事件は無かったことにされてしまう。一一「反ミーム」とは、そこまでの性質のものなのである。
例えば、その病院に通院していた父親(子供でも誰でもいい)が、モンスターに食い殺されて死んでも、その家族は、そのずっと前から父親はいなかったという捏造記憶によって、父親のいない現状を合理化してしまうのだ。
そんなわけで、そのモンスターの存在は、誰にも知られないので、対策が講じられることもない。
そのため、そのモンスターは、安全にやりたい放題をやって、どんどん増殖していくのである。
だが、ある時、そんな「異形の存在」に気づく、(反ミーム耐性のある)ごく一部の人たちが出てきて、そうした「反ミームの怪物」への対策に乗り出し、やがてそれが秘密裏の国家プロジェクトとなる。
「反ミームの怪物」を野放しにしていては、気づかないうちに、人類は滅ぼされてしまうからだ。
しかし、人の「記憶」を食らうモンスターと闘うことがいかに困難かは、容易に想像できよう。
そうした「反ミームの怪物」の「反ミーム」性とは、単に人の記憶を食らうというだけではなく、あらゆる「記録媒体」に対して、物理的な作用までおよぼすのだ。
例えば、記録媒体が急激に劣化して失われる。あるいは逆に、人間の方が、記録を認知できなくなる。
例えば、比較的「反ミーム」耐性の強い記録媒体である「紙資料」であっても、時間が経てば、書いてはあっても(記録が目に見えても)、その内容が認知できなく(見えなく)なってしまう。
そんなわけで、「反ミームの怪物」への対抗策を講じるのは容易ではない。
知識の蓄積が困難だし、知識を頭の中に蓄えている場合、その知識が食われてしまうと、対抗できなくなるだけではなく、こちらの対抗策がモンスターの方に知られてしまい、その対・対抗策を講じられてしまうからだ。
だから、「反ミームの怪物」を狩り出し、捕獲排除しようとする〈組織〉のメンバーは、記憶を消されないように、開発した(副作用もある)記憶の固定薬を使ったり、逆に、記憶を食われないように、記憶の消去薬を使ったりして、身の危険を顧みず「反ミームの怪物」に対抗する。
それにしても、「記憶に残らない」だけではなく、だから「見えない」に等しい(なぜなら、見た瞬間に、その記憶が食われる)ような相手との闘いとは、おのずと想像を絶したものになろう。
まさに本作は、そんな「想像を絶した闘い」を描いた作品なのである。

ちなみにここまで私は、説明を簡単にするために、典型的に「タチの悪い、反ミームの怪物」のイメージで説明をしてきたが、実際には、「反ミームの性質を備えた存在(アンノウン)」にも、ほとんど害の無いそれから、人類を滅ぼしかねないそれまで、色々と存在している。
例えば、それは「「生物」」形式とは違って、自己増殖しない存在。つまり、その存在をすぐに忘れられてしまう、引き出しの中の消しゴム的な物質性のものだってあり得る。
「そんなもん、ただの物じゃないか」と言われそうだが、それでも「反ミーム」属性を備えているなら、それは「当たり前のものではない」のだから、〈組織〉の把握対象にはある。
なぜなら、もしもその属性が場合によって強くなったりすると、それは「放射性物質」などと同じで、意思は持たなくても危険な「反ミーム物質」であることになるからだ。
例えば、美しい宝石様のものだからといって身につけていたら、1週間で痴呆になるとかするなら困るだろう。
だから、その手のものは、本作の中では扱われないし、言うなれば「危険レベル1」の存在でしかないけれども、設定としては〈組織〉の発見把握対象にはなるわけなのだ。
また、自己増殖する生物態のそれでも、食らう記憶量が限定的なものなら、実害がないに等しい。
なぜなら、人間は正常状態でも、誰だって、すべてを記憶しているわけではなく、どんどん忘れているわけだから、多少食われたって、単に「忘れた(自然忘却)」の誤差の範囲に止まるなら、なにも問題にはならないからである。
また、例えば「悪夢」だけ食べてくれるのなら、むしろ喜ばしい場合が大半だろう。
個人的にそういうのが好きだとか、仕事に必要な作家などは別にして。
ともあれ、この程度の「反ミーム属性を備えた存在」なら、今も私たちと共存しているかも知れない一一と、そんなリアリティがあるとも言えよう。
だが、そんな穏健な存在ではなく、気づかないうちに人類を滅ぼしてしまいかねない危険なそれと、それに対抗する人類側の秘密組織との、ギリギリの対決を描くのが、本作なのである。
なお、タイトルの『反ミーム部門は存在しない』とは、ミーム性(自己増殖性)を備えた存在に対抗する「対ミーム組織」の中に、「反ミーム」属性をもつ存在に対抗するための部門は、存在しない、という意味であり、なぜそう言うのかというと、現に存在するという記憶や知識を食われてしまうと、「敵」に対応策を取られてしまうからだ。
だから、この部門には名称すらなく、ただ〈組織〉と呼ばれているのである。
なお、こうした認知困難な謎めいた敵との組織的な闘いを描いた、同系統の作品としては、「訳者あとがき」で鳴庭真人が紹介している、米国のテレビドラマ『X-ファイル』などが有名だが、私は日本のそれとして特撮テレビドラマ『怪奇大作戦』と、牧野修のSFホラー小説『病の世紀』を紹介しておきたい。

『怪奇大作戦』は有名だから、Wikipediaに任せるとして、牧野修の『病の世紀』の方はどんな内容かというと、
『感染する死の恐怖。この病からは誰も逃れられない。
人体を発火させる黴、口腔に寄生し人を死に至らしめる蠕虫、性交渉で感染し人を殺人鬼に変えるウィルス。人々を恐怖に陥れる病を通し現代社会の抱える矛盾を暴き出す、細菌テロをも予見していた牧野ホラー最高傑作!』
という、本作『反ミーム部門は存在しない』の妖しさグロさの部分を、さらに強化したような作品だ。
だが、ここで私が『病の世紀』を紹介したのは、いわば前振りであって、本当に紹介したかったのは、正真正銘、牧野修の代表作である『MOUSE』である。
『MOUSE』こそ、知る人ぞ知る「読む麻薬」と評された、一種のアンノウン的な大傑作だから、騙されたと思って、(入手難かも知れないが)ぜひ読んで欲しい。(参照「黒いコレクション99+1」)


実は、この作品を紹介したいがために、私はこのレビューを書いたようなものなのである。
一一つまり私は、本作『反ミーム部門は存在しない』を、ミームとして利用したのだ。
しかしまた、言い換えるならば本作は、それに値する傑作だということである。
言うまでもなく、映像化困難な作品ではあるものの、誰か(クリストファー・ノーランのように)、うまく本作を映像化してはくれないものだろうか?
本作は、そんな期待を抱かせる、非凡なイメージを喚起してやまない、「認知戦」の時代が生んだ傑作である。
(2026年8月16日)
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