▷ 書評:楠谷佑『猫鳴く森で謎解きを』(ポプラ社)
今年のベスト5に入って然るべき、「本格ミステリ」の佳作である。
だが、惜しむらくは、そのかわいい装画や登場人物のキャラクター(のイマドキ)性に似ず、ミステリとしてはいささかマニアックな、「玄人好み」の作品だという、2つの美点の小さくはないギャップが相殺的に働いて、本作の非凡性を見えにくくしている点にあろう。
言い換えれば、本格ミステリマニアなら、読みさえすれば本作を高く評価するだろうが、一般からは不当に「薄い反応」しか得られないおそれのある作品だということである。
本書の初版刊行日は本年(2026年)の3月25日であり、現時点で刊行からすでに4ヶ月を経過しているにも関わらず、Amazonの本書紹介ページには、7つの評価(内、レビューは4本)しか寄せられていない。
これは、本作の出来からすれば、不当に注目度が低いと言ってもよいだろう。もっと注目され、読まれて然るべき作品なのだ。

本書が、これまでのところ、ミステリ好きからの十分な注目を集め得ていない理由としては、主として次のような要因が考えられる。
(1)版元のポプラ社に児童文学の印象が強いため、ミステリとしての出来よりも、物語性重視の作品なのではないか、という誤った印象を与えやすい。そのため、ミステリマニアの手には取られにくい。
(2)表紙画(イラスト)が可愛く、この点でも、児童向けあるいはティーン向けの軽い作品という印象を与えて、(1)と同じ理由で、ミステリマニアが手に取りにくいものとなっている。
実際、Amazonに寄せられた7本の評価を見てみると、その内訳は下図のようになっている。

つまり、評価が大きく分かれているのだ。
そして、その理由は、4本のカスタマーレビューの中身にも、おおよそ明らかであろう。
すなわち、「5点満点(星5つ)」を与えている2人のレビュアーの評価は、本作の「本格ミステリとしての出来」に注目して、そこを高く評価している。
・アヒル 「消去法推理が面白い」
・園村えん 「エチカくんの推理!」
一方、「星2つ」と、低い評価を与えたレビュアーの「香港」氏は、自ら「ミステリマニアではない」と断った上で、「登場人物表」が無いために読みづらく、それで楽しめなかったという注文を付けている。
つまり、本作を、「本格ミステリ」として不出来だと評価しているわけではないのだ。
『 香港 「登場人物リストが欲しい」(5つ星のうち2.0)
2026年4月22日
この本には、どうして登場人物リストがないのだろう
高校生が10人も出てきて
本名使われたりあだ名が使われたり
とても混乱する
さらに猫の名前が10匹位出てきて
猫の名前と猫種も登場人物リストに加えて欲しい
ミステリーマニアではない。一般読書家としては、筋を追うのが辛い。
作者ではなく、編集の責任 』
実際、私自身、物語が後半になるまで、一部の登場人物については「こいつは誰だったかな?」と何度も思ったから、「香港」氏の提案には全面的に賛成であり、文庫化のおりには、是非とも「登場人物表」を付けて欲しいと思う。
なお、「星4つ」を付けている「手を動かすのが好き」氏は、次のように書いている。
『 手を動かすのが好き 「誠実に生きねば」(5つ星のうち4.0)
2026年5月23日
タイトルと表紙のイラストが気になって購入。高校生が事件に巻き込まれて、事件を解決していく、という、なんとなくありがちな感じではあるけれど、登場人物同士の関係などは今時で、はっとさせられた。こんな高校生活だったら大変だ(笑)
推理のところはちょっと混乱したものの、サクサク読めて、楽しめました』
見てのとおり、『タイトルと表紙のイラストが気になって購入。』と書いていることからも明らかなように、同氏はいわゆる「ミステリマニア」ではない。フラットに「面白そうな小説」だなと思って読んだら面白かったという、当たり前の小説読者だと言えよう。
探偵役の推理の面白さだけに注目するのではなく、物語を楽しみ、そこで語られている人間観に共感したという、当たり前の読者なのだ。
つまり本作は、「本格ミステリ」であることを意識して読まなくても、それなりに面白い小説であり、その上で、その「本格ミステリとしての出来」を楽しめるならば、より楽しい作品なのである。
だがまた、そこを楽しむためには、ある程度は「本格ミステリ」を読んでいないと、その部分での面白さに、十分には「ついていけない」、そんなマニアックな部分のある作品なのだ。
だから、5点満点を付けた2人のレビュアーは、とにかく本格ミステリが好きで、それらしい作品を片っ端から読んでおり、そうした中で本作にも手を出して、本作の「本格ミステリ」としての出来の良さに感心した、と一一そういうタイプの読者なのであろう。
ところが、私のような、もはやミステリばかり読んでいるわけではないという、ミステリ隠居的な立場からすれば、すでに書いたように、(1)版元、(2)表紙画、という理由から、本来ならば、本書を手に取ることはなかった。
書店で本書を見かけただけなら、まずは間違いなく、手にも取らないままスルーしていたことであろう。
したがって、そんな私が本書を手に取ったというのは、じつは、本格ミステリに強いミステリ評論家の千街晶之が、本書を強く推していたからなのだ。
「千街が推すのなら、本格ミステリとしてよく出来た作品なのだろう」とそう考えて、本書を贖うことにしたのである。
『千街晶之の一冊:楠谷佑『猫鳴く森で謎解きを』(ポプラ社)
まだ三月の時点でこう言い切るのは多少気が引けはするものの、楠谷佑『猫鳴く森で謎解きを』は、今年の国産本格ミステリとしては今のところトップの出来だと言っておく。クールで動物好きの高校生エチカとルームメイトの雛太が、ボランティアのため訪れたキャンプ場で巻き込まれた殺人事件。容疑者を絞り込む過程で反証を片っ端から潰してゆくエチカの推理の納得度の高さは尋常ではないし、伏線の張り方の丁寧さにも瞠目させられる。クイーンとクリスティーの美点を兼ね備えたような、これぞ本格ミステリのお手本と言いたくなる傑作だ。』
ここまで褒められては、本格ミステリファンとして読まないわけにはいくまい。なにしろ、
『クイーンとクリスティーの美点を兼ね備えたような、これぞ本格ミステリのお手本と言いたくなる傑作だ。』
というのだから、よほどの自信がなければ、ここまでは褒められない。
もし仮に、「年間ベスト5」にも入らないような凡作に対して、こんな褒め言葉を発したのだとしたら、私などからも「千街晶之よ、おまえも提灯持ち評論家になり下がったか!」と謗られること必定だからである。
そんなわけで、私はこの記事を読んですぐに本書を購ったのだが、その時、同時に購ったのが、もう2ヶ月以上前にレビューを書いた、方丈貴恵 の『盾と矛』であった。
なぜ、『矛と盾』と同時に贖いながら、しかし『矛と盾』の方を早々に読んだのかと言えば、それは、上のネット記事「道玄坂上ミステリ監視塔 書評家たちが選ぶ、2026年3月のベスト国内ミステリ小説」に書評を寄せている6人の書評家のうち、2人が『盾と矛』を推していたからである。
そのため、私も『盾と矛』にこそ、より大きな期待を寄せたのだが、その結果は上のレビューに書いたとおり、残念なものであった。
つまり私は、本書『猫鳴く森で謎解きを』に対する千街晶之の評価を、基本的には信じたのだけれど、しかしそれでも、そこまで大きな期待はしていなかった。
そのため、読む本の順序として、本書をどんどん後回しにしてしまい、今に至ったという次第なのである。
では、千街晶之の評価を信じたのに、どうして、それほど大きな期待をし得なかったのかというと、それは、「本格ミステリ」としてよく出来ていたとしても、私個人の「趣味」の問題として、「よく出来てはいても、趣味ではないパターンの本格ミステリかも知れない」と、そんな疑念を感じてもいたからなのだ。
では、私が「趣味ではない本格ミステリ」かも知れないと、そう思った理由とは何なのか?
それは、千街晶之が本作を褒めるにあたって、エラリー・クイーンの名を挙げ、さらに、
『伏線の張り方の丁寧さにも瞠目』
とも書いていたからだ。
つまり、私はたしかに「本格ミステリ」ファンではあるのだけれど、どちらかというと「あっと驚かせて欲しい」タイプのファンなので、「地味な本格ミステリ」には、あまり惹かれなかったためである。
つまり、すべてではないとしても、エラリー・クイーンの多くの作品は「緻密な推理」が売りであり、「あっと驚かせて欲しい」タイプの読者には、いささか「チマチマした議論」に終始する、といった印象の作品が少なくなかったからだ。
無論、「チマチマした」というのは、私の「趣味」に基づく偏った感じ方であって、そうした「論理の緻密さ」が好きな本格ミステリマニアにとっては、それは「チマチマしている」のではなく「緻密で犀利」だということになる。
そして私自身、自分の「趣味」は別にして、そうした「緻密な論理性」において、エラリー・クイーンを「本格ミステリ」作家として高く評価しているのだから、そうした作品を「悪い(不出来)」と言うつもりなど、さらさらない。
だからこそ、クイーンやクリスティーはもとより高く評価しているし、本作『猫鳴く森で謎解きを』についても、読んだ今では高く評価しているのだ。
だが、「高く評価する」作品が即ち「好みのタイプ」なのかというと、それは話は別なのだ。
例えば、「女優の北川景子は、たしかに美人だと思うが、私のタイプかと言えば違う。私は、ああいう華やかな美人タイプよりも、可愛いタイプの方が好きだ」というのと、これは同じことなのである。
つまり私は、千街晶之の本作『猫鳴く森で謎解きを』評価から、本作をそういう「緻密なロジック」タイプの作品ではないかと予測し、そうだとすれば「千街晶之の言うとおり、よく出来ているのかもしれないが、しかし、個人的にはそこまで楽しめないタイプの作品なのかも知れないな」と、そんな疑念もあったから、さほど大きな期待を持てず、そのせいで、読むのを後回しにしてしまったのである。
実際、『盾と矛』を読んでレビューを書いたあと、古いミステリマニアでクイーンファンの友人に、LINEで、こんなの書いたと報告した際に、私が、千街晶之が推していたので『猫鳴く森で謎解きを』も買ってあると告げたところ、その友人は「私も、千街が褒めていたのでその本を買って読んだんだけど、とてもよく出来た作品だった。印象としては、有栖川有栖の〈学生アリス〉シリーズに近い感じだった」と、そう言っていたので、私も「なるほどな」という印象を受けていた。
「なるほどな」とはどういう意味かと言えば、〈学生有栖〉シリーズも、作品によっては、私の好悪が分れたからである。
例えば、有栖川有栖が『月光ゲーム Yの悲劇’88』でデビューした際、私は作者ご当人を前にして「タバコの吸い殻が落ちていたとかいなかったとか、そういうチマチマした推理は好みではない」と、そう言い放った。

これは、ミステリマニアのサークル「SRの会」の例会でのことだ。
有栖川有栖は、SRの会の先輩会員(年齢は3つ上で、同じく大阪在住)であり、その有栖川(本名U氏)が作家デビューしたので、大阪例会において内輪の読書会が開かれた、その際のことである。
今も昔も、よかれ悪しかれ過剰なまでに潔癖な私としては、身内褒めだのおべんちゃらだのだけはしたくなかったので、ご当人がおろうと、自分の感じたことをそのまま正直に言葉にしたのである。
それに、当時の私は、とにかくまだまだミステリの初心者でしかなかった。
だから、私が言うところの「チマチマした推理」の価値や魅力というものが、まだよくわかってはいなかったのだ。
今なら、自分の「好み」とは別に、そうしたタイプの魅力も、ある程度は(頭では)理解しているから、もう少しマシな評価のしようもあるのだが、当時の私には、まだそれは無理だったため、自分の気持ちに正直であろうとするならば、どうにも褒めようがなかったのである。
でまあ、年上である有栖川さんは、私がその頃、SRの会の会誌『SRマンスリー』誌上で派手にくり広げていた内部批判の文章なんかも読んでいたから、私の言葉にカチンと来るところも当然あっただろうに、それでも私のことを「今どき珍しい、面白いやつだ」という感じで、鷹揚に接して下さったのである。
そんなわけで、私が『月光ゲーム Yの悲劇’88』が楽しめなかった理由は、ハッキリしている。
それは、同作のサブタイトルが「Yの悲劇’88」ということからもわかるとおりで、同作がエラリー・クイーンの『Yの悲劇』を踏まえたその「1988年版」のダイイングメッセージもののミステリであり、有栖川自身も、エラリー・クイーンに多大な影響を受けた作家だから、私が言うところの「チマチマした」推理、言い換えれば「緻密で犀利な推理」が好きでもあれば、それを得意にもした作家でもあったからだ。
だから、私はその後も、必ずしも有栖川有栖の良い読者ではなかったし、私が唯一、とても高く評価した初期作品(第二作)『孤島パズル』は、もしかすると、有栖川有栖の作品としては、例外的な異色作品だったのかも知れない。

そんなわけで、「三つ子の魂百まで」なのである。
そんな私だからこそ、本作『猫鳴く森で謎解きを』を「とてもよく出来た作品だ」と高く評価するし、本作はもっと広く読まれ、高く評価されて然るべき作品だと考えて、このレビューを書いてもいる。
本稿の冒頭に、
『今年のベスト5に入って然るべき「本格ミステリ」の佳作である。』
と書いたその心は「本格ミステリ読者を名乗るのなら、本作を読むべきだし、高く評価して然るべきだ」ということであり、そんなプレッシャーを掛けさえするつもりで書いたものだったのだ。
だが、では本作が、私個人の「偏愛ミステリ」になるのかと言えば、無論、そうはならない。
やはり、私の評価は「とてもよく出来ている」ではあっても、「大好きな作品」ということではなかったからである。
だがまた、自身の「素直な感想」と、「客観的な評価」とが、必ずしも一致しない作品ではあったとしても、そのバランスを取るのが、批評家の責務でもあろう。
そしてそのためには、ある程度はいろいろな作品を読む必要があるし、それをしておれば、自分の「趣味」ではない作品であっても、その魅力を、ある程度までは正しく理解できるようにもなるのである。
好き嫌いは、もちろん大切だが、それを口にするだけならば、馬鹿でもできる。
一方、訳もわからず何でもかんでも褒めたり、世評の高いものは「ひとまず右に倣えで、無難に褒めておく」というのも、批評としても、あるいは人としても、不誠実だとの誹りを免れ得まい。
そのような意味で本作は、ミステリファンであるあなた(の批評眼)を、試す作品だとも言えるのだ。
(2026年7月29日)
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