▷ 書評:海猫沢めろん『頑張って生きるのが嫌な人のための本 ゆるく自由に生きるレッスン』(大和書房)
本書はタイトルからもわかるとおり、小説ではなく長篇エッセイである。
テーマは「生きにくさの中をどのようにすれば生きられるのか」といったことで、それを真面目に考え抜いたものだと言えるだろう。
海猫沢めろん自身は、決して生きにくさを感じて生きてきた人ではないようだ。
しかし、そんな彼が本書のようなものを書くことになったのは、年少の友人に自殺されてしまったことからである。
もう少し彼の力になってやることが出来なかったのか一一。
そんな悔いを無駄にしないよう、いまこの時、生きにくさの中にある人たちに対して、自分の能力の及ぶかぎりのことを語ろうとしたのが、本書である。
『 まえがき
これは、自由についての本です。
どうして僕がこんな本を書くことになったのか。
きっかけは友人「K」の死です。
Kは10歳近く年の離れた友人でした。
出会ったときのKはまだ16歳で、人を寄せ付けない尖った雰囲気があり、非常に聡明で、いろいろなことを考えすぎてしまう少年でした。
出会ってから7年後に彼は亡くなりました。
部屋のドアノブにひもをくくりつけて首をつったのです。
その3日後に僕は、彼の好きだった高円寺の名曲喫茶で彼の親族と会い、お話をしました。
Kは小さな骨になっていました。それを見たとき、騙し絵のなかに入ったような奇妙な気分になったことを覚えています。』(P1)
Kの父親から、息子ことを書いてはくれまいかと頼まれ、一度は小説を書こうとしたのだが、うまく書けなかった。
それで、このような本を書くことになったのである。
本書のタイトルは『頑張って生きるのが嫌な人のための本 ゆるく自由に生きるレッスン』というもので、これは亡くなった友人Kが、頑張って生きるのが嫌な人だったということだろうし、それでいて「ゆるく生きる」ことを上手くできなかった人だということなのであろう。
そうした人は決して少なくないだろうから、海猫沢めろん(以下、めろん氏と記す)は、そうした人の一人にでも、参考にしてもらえればと本書を書いたのだ。
しかし、めろん氏本人も「頑張って生きるのは嫌」みたいなのだけれど、「ゆるく生きる」のは得意なようだ。
『 今、僕は文章を書いて生活しています。
けれども、それ以前には会社勤めをしていたし、フリーター的な働き方をしていたときもありました。
土木作業員、ホスト、デザイナーまで、それこそ出来ることならなんでもやりました。
そうしたことを経てきて、いまの文筆業というのが、一番自由だと思っています。
29歳で本を出すまで、いろいろ働いてきましたが、いつも何かしらの不自由さを感じていました。
決して大ベストセラーを出しているわけでもないですから、収入はそこそこです。
けれども、僕の場合、時間的な拘束がどうしても我慢できない性質なのです。
たとえ「朝9時に近所の電柱にタッチして帰ってくるだけのお仕事です」と言われても、つらくなってしまうでしょう。
内容がどうとかではないんです。
毎日、誰かに決められたことを決められたようにこなすというのが、もう苦痛だということです。』(P18〜19)
まあ、誰だって、時間的な拘束の多い生活や仕事は好きではないだろう。
だが、そうした仕事の方が安定していることが多いので、やむなくそうした仕事に就き、そうした生活をしているのではないだろうか。
だが、めろん氏の場合は、どうしてもそういう拘束度の高い生活には馴染めず、不安定でも良いからと、拘束度の低い仕事を転々としてきた果てに、作家という天職にたどり着いたようだ。
しかしこれは、誰にでもできることではないし、私には出来なかった。
では、どうして、めろん氏がこんなことがやれる性格になったのかというと、当人が言うには、次のような事情であった。
『 監獄のような高校時代
僕が自由になりたいと思うようになったのは、昔、不自由だったことへの反動です。
一番不自由さを感じていたのが、高校時代です。
通っていたのは山奥の全寮制高校で、外に出られるのは2ヶ月に1回。1部屋が36人なのでプライバシーもなにもありません。
しかも男子校のうえに、校則やそのほかの規則が異常に厳しい学校でした。朝は陽が昇る前に起きて掃除をして、ひたすら体を動かし続けます。
当時は日本中で家庭内暴力や校内暴力や非行が問題になりはじめた頃で、この学校には、そういった荒れた生徒たちを鍛え直す施設のような側面がありました。
要は、学校に閉じ込められていたわけです。
娯楽もほとんど禁止されているから、ただ本を読むくらいしかやることがなかった。
そういった経験からどうしても不自由さはずっと感じていました。
その反動でしょう、今も「自由に生きたい」とこだわっているのは。
すごく貧乏だった人が、お金持ちにあこがれるみたいなものと一緒かもしれません。
このときは身体的な拘束で不自由でした。
ところがある意味ではそれよりもっと不自由な時期がありました。
それはサラリーマン時代です。
高校時代と比べると身体的には圧倒的に自由です。
バイトしていた頃より薄給でしたが、一人暮らしを始め、食べるものも自由だし、休みの日もある。
けれど、どこか、心が満たされないのです。
むしろ毎日、「ああ‥‥‥このまま人生が終わっていくのか」「本当にやりたいことはこれじゃない」「いつまでこれを続ければいいのだろう」「自分はなにをやっているのだろう」と鬱々としているばかりでした。
そのうち本当にうつ病になり、病院へ通うようになりました。
幸い一年くらい過ぎたころから徐々に回復し、会社を辞める頃にはずいぶんと良くなっていました。
しかしその一年は本当に苦しみました。』(P19〜20)
監獄のような場所で高校時代を送ったので、その反動で、自由を求めるようになったのかも知れない、とのことだが、一一そうではないと、私は思う。
めろん氏はもともと自由じゃないとダメな人だったのだ。
だから、私生活ではけっこう自由だったはずのサラリーマン時代にも苦しんだのであろう。
どうしてそう思うのかと言うと、それは私の場合は、ほとんど真逆なパターンだからである。
私は、学生の頃、かなり自由な方だったと思う。
具体的に言うと、アニメーターか漫画家になりたいと密かに思い、勉強もせずにノートに絵を描いてばかりいた、言うなればアニメ『ルック・バック』みたいな生活をしていたから、しっかり大学受験に失敗した、そんな高校時代だったのである。
しかし、大学にも行けず、行く気もなく、かといってアニメーターにも漫画家にもなれなかったプー太郎(無職)時の私は、さすがにどうしようと焦ったのだが、その時たまたま父が警察官募集の話を見つけて持ってきた。
「文系で運動嫌いの俺が、警察官になんかなれるわけない」とは思ったものの、試験も受けずに断れる立場ではなかったので、落ちるつもりで受験したところ、運良く合格して、そのまま定年退職するまでの40年間、警察でお世話になることになったのである。
つまり、私の場合は、学生時代は自由だったけれど、そのあとは「監獄のような警察学校」で1年過ごし、そのあとはずっと「お堅い仕事」である警察官をやってきたのだ。
ほかの仕事の経験と言えば、警察学校に入校するまでの半年間、近所の冷凍食品の加工工場で、ベルトコンベアの前の流れ作業をしただけ。他のアルバイトなどは一切したことのない、じつに手堅い、幅の狭い生き方をしてきたのである。
で、そんな私にとって、「監獄のような警察学校生活」が苦痛であったかというと、そうでもなかった。
もちろん、自由な時間が少ないのはうれしくはないが、それはそれなりに環境に順応できたのだ。
規則にがんじがらめの生活なので、1週間も持たずに学校を去っていく者もいたけれど、私は、規則どおり時間割どおりの生活というのが、それほど苦痛でもなかった。
私が腹を立てるのは、そこではなかったのだ。
だいたい私が腹を立てるのは、人に言うわりには、自分はそれをやれてないやつで、「お前ら、それを言うだけのこと、やってるんか?」ということだったのだ。一一つまり、今とまったく変わらなかったのである。
また、警察官としての生活も、それは生活費を稼ぐための「仮の姿」と割り切っていたから、大して苦痛ではなかった。
と言うか、検挙のノルマも多少はあるとは言え、一般のサラリーマンに比べれば大したことないだろうと、そう考えていた。「このくらい耐えられないようでは、営利企業のサラリーマンなんて務まらない」だろうから、この仕事にしがみついておこうと、そう考えていたのである。
まあ、実際のところ、そうした厳しさというのも、それは企業によりけりなのだろうが。
そんなわけで、私は、めろん氏のような、保証のない不安定な生活など、とうてい選ぶことのできない、安全第一主義で生きてきた人間である。
たしかに私生活においては、結婚もせず子供も作らず、好き勝手に生きてきたとは言えるのだけれども、しかしそれはリスクヘッジでもあるし、趣味的な生活を支えるだけの堅実な「公生活」に裏打ちされた、自由な「私生活」であったにすぎない。
当然「飲む・打つ・買う(酒・博打・女遊び)」には興味がなく、もっぱら「本」に淫した趣味人として生きてきたのだ。我ながら、迷いなく徹底的である。
だから、そんな私は、自分が「頑張って生きてきた」とはすこしも思わないし、かなり「ゆるく自由に生きてきた」と思っている。
さすがに、失恋だの仕事上での失敗だので、落ち込んだことくらいはあるけれども、鬱になったことはないし、自殺したいなどと考えたこともない。
基本、呑気に生きてきた人間だと自分で思っているし、そう思えるところが、我ながら偉いとも思っている。また、そう思えるところが非凡だとも思って、自己満足してもいる。一一いかにも幸せな人間だ。
だから、そんな私が本書を読んでも、あまり意味はないのだが、しかし、めろん氏のKと同様、私の周囲に悩んでいる人がいたなら、私にも励ましてあげたいと思う気持ちはあるので、本書を読むのも無駄ではあるまいと、そう考えたのである。
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本書の内容は、目次の章題を見れば、おおよそのところはわかるはずだ。
1章 力を抜いて「平凡な自由」を考える
2章 人とのつながりという「檻」から自由になる
3章 「働きたくない」と思うほど、不自由になる
4章 「後ろ向き」でも生きる強さを
5章 「信じる自由」とは何か?
6章 「彼」は今、自由か?
めろん氏は、いろいろ書いているけれど、基本的なスタンスは、「自由」ということについて、常識的なイメージに捉われるのではなく、「自由」というものをもっと「ゆるく」考えるべきだというものである。
言うなれば、「自由に捉われるのではなく、自由から自由になれ」とでもいったところだろうか。
当然のことながら、「完全なる自由」みたいなものは、いくら求めても手に入るものではない。
なぜなら、他人や社会からの完全なる無拘束状態になどなったら、それはそれで、とても不便でもあれば寂しいものに決まっているからだ。
だから、実のところ「自由」とは、適当に「ゆるい自由」こそが、最も理想的な自由なんだから、必死になって理想の自由を求めたりすべきではない、ということになるのだ。
では、どうすればいいのかというと、世間で言うところの「自由」なるものをあまり真にうけないで、自分の身の丈にあった自由を求める、というようなことになるだろう。
例えば、一一「完全な自由」ではなく「平凡な自由」。「人とのつながり」は「檻」かも知れない。「働かないで済めば、楽に決まっている」というわけでもない。「前向き」だけでは融通が利かず不自由。「信じる自由」などはなく、人は否応なく何かを信じ、何かを信じられないものである。
おおむね、そんなことだ。
当たり前と言えば当たり前の話なのだが、しかし、そんな当たり前に、案外気づかないのも、人の当たり前であり、不幸のもとなのである。
だから、こういう逆説的な考え方が出来るようになっておいて損はない。
そもそも、真正面からしか物事が見られないとか考えられないという状態が、不自由なのである。
だから、物事というのは、いろんな角度から見て、いろんな側面から考えられるようになっておいた方がいい。
人が生きて生活をしている以上、不自由さというのは決してなくならないのだが、それを完全に無くそうとすれば、余計にそれに拘束されて、その不自由に苦しむことになるだろう。
だから、不自由が客観的には無くならなくても、それを不自由だと感じないような、発想の転換と言うか、気持ちの切り替えというのが必要だろうし、それは決して「誤魔化し」だとは言えないのではないだろうか。
そうした「誤魔化し」を、頭ごなしに自身に禁じるような生き方は、きっと不自由だし生きづらいだろう。
例えば「これは戦略的な、一時的撤退だ」と考えれば、現実逃避も悪くない。
「いったんは撤退して、体制を整えた上で反撃だ」と考えれば、自分は逃げた、負けたとは考えないだろうし、事実それは逃げたことにも負けたことにもならないのではないだろうか。
今ここで意地になる人より、「最後に笑うのはこっちだ」と思う人の方が、絶対に強いと私は思う。
私は、昔から論争が好きだし得意なのだが、論争に負ける人間というのは、だいたい意地になって、方向転換すらできなくなる人である。
例えば、うっかり何か間違ったことを言って、そこを相手に突っ込まれた時に、「お前だって、間違えることはあるだろ!」とか言う人は、ダメである。
だが、意地になっているから、つい強気を装って、そんなふうに言い返してしまう。
しかし、そう応じてしまうと、それは自分が「明白な誤りも認められない狭量な人間」だと、自ら認めることになってしまい、かえって相手の批判に説得力を与えてしまう。
だから、そういうミスをした場合には、「あっ、すみません。勘違いしました」と認めて、さっさと話題を移せばいい。そんな勘違いや言い間違いなど、そもそも「論点」ではないからだ。
それで相手が「それ見ろ、お前はそんないい加減な人間なんだ」などと言えば、「それじゃああなたは、決して間違えない人間なんですね? それはすごいですねえ」と返せば、それでもう、こちらの勝ちなのである。
「あなたはこれまで、一度も間違えたことがないと、そう言うんですね? それはすごいな。神様ですね。超人ですね」と、そう詰めれば、相手はぐうの音も出なくなるのである。
つまり、意地になったら負けなのだ。
硬直したら負けであり、状況に合わせて前後左右どちらへでも変化できる者が強いし、それが自由ということなのである。
言うなれば、自由とは「不自由あっての自由」とでも言うべきものなのだと私は思う。
で、私の考えばかり書いていたのでは、めろん氏の本の書評にはならないので、なるほどと思ったり、逆に自分とはぜんぜん違うと思ったりした言葉を、いくつか紹介しておきたい。
(1)『 前向きな面と後ろ向きな面、どちらが本当のその人の姿なのか、それを問うのはあまり意味がないことです。その両方、まるごとその人なのです。
片方の自分だけが本物だと思ってしまうことが不自由のはじまりです。
だから、どちらの自分も、気にせず出してしまえばいいのです。
裏表がない人というのは、そういうタイプの人で、他人にとっては案外つき合いやすいのです。』(P67)
まさに私のことではないか。
人間への憎悪を語るのも、人間への愛を語るのも私。
よく言うように、愛憎とは表裏一体であり、どっちかだけってことの方が、むしろ嘘っぽい。
ああ言ったりこう言ったりするのは、それはそれで嘘なんかじゃないし、だからそう開き直れば良い。
また、それは開き直りでもなんでもなく、あるがままの自己開示であり、それこそが自由なのだ。
一一まあ、少し屁理屈っぽいけれど、理屈と屁理屈は、じつのところ紙一重である、と言うよりも、むしろ一体なものなのである。
要は、それを使う局面によって変わるものでしかないのである。
(2)『 世の中の人の多くは、真面目にやる、ということを、遊びを排除することだと思っていますが、それは間違いなんです。
真面目に遊ぶことが一番楽しいんですよ。』(P113)
これも私のことだ。
私はしばしば「好きなことしかできない」と言うけれど、しかし好きなことなら、人がしないような努力もできる。その努力は遊びだからだ。
たとえば現に私は、笠井潔を批判するために哲学・思想の本を読むようになったし、北村紗衣を批判するためにフェミニズムの本を読むようになった。
で、そうした動機があって読んでいると、下手な娯楽小説を読むよりも、よっぽど面白いということが、現にあるのだ。
一冊丸ごと簡単に理解できる娯楽小説よりも、ほとんど理解できない哲学書の中に、ハッと盲を開かれるような一文に出会った時、確実に私は強くなったと実感できるし、それが何とも楽しいのだ。
私に言わせれば、そんな経験をしたことのない読書好きとは、暇つぶしをしているだけの、不幸な人だとしか思えないほどなのである。
(3)『 カフカの文学は、他の誰とも比べようがない独特のものですが、ドストエフスキーとはまたちがった「こじらせ感」を持った作風です。
ドストエフスキーがままならぬ現実に逆ギレしながら格闘しているのに対して、カフカは現実がつらすぎて完全に別世界ヘトリップしているような、奇妙な幻視感があるのです。』(P124)
現実逃避するのなら、痛みを感じなくなるほど、カフカのように徹底的に逃避すべきだろう。
だが、私の場合は、ドストエフスキータイプで、苦しい時は嘆くのではなく、逆ギレするのである。
「よくも俺をこんな目に遭わせやがったな。ぜったい目にもの見せてやるから、今に見てろ」と激怒していれば、自分の痛みなど忘れてしまうものである。
つまり、怒っちゃダメなのではなく、中途半端に怒ってはダメなのだ。怒るのなら、手をつけられないくらいに怒るべし。
私はつい先日も、生活ゴミの不法投棄の常習犯を路上で怒鳴り上げて、近所の人がみんな出てきた。
そこまでやると、犯人も面が割れてしまって、二度と同じことはやらないし、近所の人も、私に一目置くであろう。「あの人を怒らせるとヤバい」と。一一思う壺である。
(4)『世の中を見るとやりたいことなんて、一生見つからない人のほうが多いんです。』(P137)
事実そうなのだろうが、私はこれがわからない。
私は昔からやりたいことばかりが多くて、どれを諦めるかの連続だったからだ。
読書や文章書きばかりではなく、プラモ作りもお絵描きもしたかった。
しかし、それをするには、人生はあまりに短すぎる。今でも、散歩する時間すら惜しい。
やりたいことが見つからない人って、どういう人なのか、教えてほしいくらいである。
(5)『 どんな生き方であっても、誰かを救う可能性はあるのですから。
前向きな癒しの言葉が多い昨今ですが、癒しではなく、痛みが人を救うこともあります。
傷ついている人に寄り添えるのは、同じ傷を持っている人だけなのです。
今、傷ついて絶望している人こそ、いつか誰かを救えるのです。
あなたの存在は無意味ではないことを忘れないでください。』(P188)
私は、あまり傷ついたという記憶がない。子供の頃、近所の悪童によく泣かされたとか、好きな女の子にフラれたくらいしか思い浮かばない。
こんな私でも誰かを救えるのだろうかとは思うのだが、救えるものなら誰でも救いたいという気はあるから、評論なんてものを書いているのだと思う。
まあ、救えるかどうかは別にして、救おうという気持ちがあれば、時に人を傷つけてもいいんじゃないかとさえ思う。
それで傷ついた人が、その傷によって痛みを知り、別の人を救えるようになってくれれば、私が間接的な救ったようなものだし。
一一とか、こんなふざけたことを書けるのも、私が十分に幸せで自由なせいなのだろう。
なんだか、自分だけ自由になり幸せになって申し訳ないような気もするので、ここでひとこと謝罪しておこう。
イーロン・マスクよ、こっちが幸せになって申し訳ないな。
まあ貴方は、せいぜい働いて、火星の夢でも見ながら死ぬと良い。
一一こんな調子でもいいよね、めろんさん?
(2026年10月5日)
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