▷ 映画評:アラン・レネ監督『夜と霧』(1956年/フランス映画)
アラン・レネの作品は、6年前に『去年マリエンバードで』(1961年)を見て以来だ。しかし、その時は2回目の鑑賞であった。
最初に見たのは、ミステリ作家・竹本健治氏のお宅へ遊びに行ったときのことだ。
もう30年ほど前のことだが、その頃の私は、毎年夏になると、夏季休暇を利用して上京し、竹本氏のお宅など、関東方面の友人知人のお宅にお邪魔して歩いたものだった。
竹本氏には本当に甘えっぱなしで、ご迷惑をおかけしたと思う。この場を借りて、改めて感謝とお詫びを申し上げておきたい。
さて、『去年マリエンバードで』だが、竹本健治氏宅にお邪魔したあるとき、この映画のビデオがテレビで流されていた。
エッジのきいたモノクロ映像の映画で、西欧の城館と思しき建物の内部がドリー(移動)ショットで滑らかに映し出され、人物は影絵のごとく存在感が希薄で、音声は男性によるフランス語のナレーションだけが印象に残った。
映像だけで十分に「幻想的」と評して良い作品だったのだが、これにフランス語ナレーションによる甘くて重い独特の味わいが加わることによって、まるで「彼岸の世界」でも描いているかのような、不思議な雰囲気を湛えた作品であった。

一方その頃の私は、映画といえば日本のアニメかハリウッドのエンタメ映画しか知らず、フランス映画など見たことがなかったので「こういう実験的な芸術映画もあるんだな」と感心した。
また、実験映画というと、意味不明な難解な作品で、頭を使って理解しようとしないかぎり、面白くもおかしくもない変な映画と、そんな印象が私にはあったのだが、『去年マリエンバードで』は、そうした野暮な作品では、全然なかった。
「さすがはフランス映画」と、フランス映画を見たことのない私を感心させるほどに、美的センスの際立ったエレガントな作品で、物語らしい物語はないものの、とても惹きつけられるものがあったのである。
それで、竹本健治氏に「これは、どういう映画なんですか?」というような質問をしたはずで、竹本氏がどのような説明をしてくれたのか、それはもはや記憶にはないのだが、ただ、竹本氏が小説執筆の際に、この映画を「環境映画」的に流したままにしている、というようなお話だったことに、「なるほどな」と感心させられたことだけは、ハッキリと記憶している。
ストーリーらしいストーリーがないし、とにかく映像が素晴らしい。また、ちょっと眠気を誘うようなナレーションの作品だから、画面に正対して大真面目に見るというよりも、たしかに、そこに流れているというような鑑賞の仕方がピッタリのような作品に思えたし、竹本氏の得意とする、幻想ミステリの作風にも合致していて、『去年マリエンバードで』を流しながら書けば、そうした気分も醸成しやすいのではないかと、そう思ったのだ。
で、それから何年も後に、私はずっと気になっていた『去年マリエンバードで』のDVDを購入したと思うのだが、もともと「ながら」作業のできない私は、趣味の読書を優先したため、そのDVDを鑑賞することができず、長らく放置してきた。
だが、どういうきっかけだったか、2020年になって、やっと同作を観賞することになったのである。
そしてその2年後、ジャン=リュック・ゴダールが亡くなり、その追悼上映会が行われているのをたまたま見かけて、名前だけは知っていたゴダールの映画を見てみたところ、これがまったく理解できなかった。
しかし、そこから私はゴダールに興味を持ち、さらに映画全般に対しても興味を持つようになって、ゴダールの映画を見たり、ゴダール関連の本を読んだりしているうちに、『去年マリエンバードで』のアラン・レネが、「ヌーヴェル・ヴァーグのセーヌ左岸派」と呼ばれる人だということも知ったのである。
映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に寄って映画批評を書き始めた若者たちの中から、ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどが映画監督としてデビューしてゆき、戦後フランス映画の新しい潮流を作っていった。それが「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」と呼ばれるものなのだが、その一派とは別のところから、戦後に出てきた映画監督たちを「ヌーヴェル・ヴァーグのセーヌ左岸派」と呼んだのだそうだ。
ゴダールらの寄った『カイエ・デュ・シネマ』が、セーヌ川の右岸にあったから、それと区別する意味合いであったようだ。
そんなわけで、私はその後、ゴダールやトリュフォーなどのセーヌ右岸派、つまりカイエ派を中心に、そのあたりのすこし古いフランス映画を見てきたので、気にはなっていたものの、アラン・レネを見る機会を長らく逸してきた。
だが、今回ようやく、レネの初期短編ドキュメンタリー映画『夜と霧』を見ることができた。
これも数年前にDVDを買ってはあったものなのだが、主にアウシュヴィッツ強制収容所を扱ったドキュメンタリー映画であり、そのあたりのことは「だいたい知っている」という意識があったので、どうしても後回しにしてしまっていたのだ。
『夜と霧』と言えば、日本人ならばと言うべきか、読書家ならばと言うべきなのか、ともかくも、この短編映画よりも、ヴィクトール・フランクルの同題著書の方が有名だろう。

私もそちらは以前に読んでいたのだが、『夜と霧』というタイトルは、本作映画の方が先である。
ただし、この「夜と霧」というタイトルは、どちらも同じところから採られたものであった。
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本作、映画『夜と霧』は、次のような作品である。
『『夜と霧』(よるときり、仏: Nuit et brouillard)は、第二次世界大戦中、ナチがアウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所でユダヤ人を虐殺した事実(ホロコースト)を告発した1956年公開のドキュメンタリー映画、記録映画。』
『題名は1941年12月7日に出されたヒトラーの総統命令「夜と霧」に由来する。全32分という短い作品だが、撮影当時の映像のカラーフィルムと、戦時中のモノクロのニュースフィルム・写真が交互に往還するコラージュの手法でナチズムを告発した斬新な表現は、当時、世界に衝撃を与え論争が巻き起こった。日本の初公開時には残虐シーンが過激であるとされて数分のカットをほどこし上映された。監督をつとめたのは、本作で世界的に注目を浴びたアラン・レネ、音楽を担当したハンス・アイスラーはナチに抵抗した作曲家で、敢えて流麗なサウンドをつけている。』
(Wikipedia「夜と霧(映画)」)
上のとおり、「夜と霧」というのは、ユダヤ人の扱いに関する、ヒトラーによる法的命令に付けられた名称なのだ。
「大地と血」「鉄と」なんとか、「森と」なんとかといった具合の、いかにもナチス・ドイツらしい審美的な命名なのだが、要は、秘密司令などではなく、ヒトラーによる公式の「総統司令」の名称だったわけだ。下世話に言えば「第一次ユダヤ人抹殺司令」みたいなものだったのである。

本作『夜と霧』は30分強の短編作品であり、記録映像的には、今となっては特に目新しいものはない。
ブルドーザーで押し運ばれる死体の山、殺されたユダヤ人から奪った、眼鏡の山、女性の頭髪の山、骸骨のように痩せ細った生者と死者、などなど。

私が今回「これは見たことがないのではないか」と思ったのは、「ナチスは、殺したユダヤ人の遺品や頭髪・金歯ばかりか、すべてを有効利用しようとして、死体の脂肪から石鹸まで作ろうとしたと、そんな趣旨のナレーションが流れるシーンに登場する、ユダヤ人男性の首切り死体の並べられたシーンだった。
死体の映像にはかなり耐性のある私でも、首のない死体というのには、独特の異様さがあって、曰く言いがたいものを覚えた。
しかも、それが一体だけではなく、十数体がきちんと並べらて置かれているところが、かえって異様だ。
しかも、その並べられた死体が、左斜め手前からのドリーショットで、右手から左手へと映され、それが途切れた左端に、そららの死体のものなのだろう、生首だけが大きなカゴに、盛られるように放り込まれていたのである。
その虐殺行為には似合わない、いかにも「整然」とした様子は、まるで鶏の屠殺・精肉工場のような、とでも評すべきもので、生首の映像が気持ち悪いとかいうことのない私でも、この律儀に整理された「資源」扱いが、なんとも異様に映った。
ブルドーザーでまとめて処理される死体の山や、焚き木のように積まれた痩せさらばえた死体の山の方が、かえって「まとも」に見えたほどだったのだ。
これはきっと、人間の尊厳に対するいささかの配慮もない、遺体の「ゴミ扱い」ももちろん酷いことなのだが、首なし死体と生首を盛ったカゴの異様さは、そうしたものとは違ったところから来るものだったためであろう。
戦争になれば、死体の山というのはどこにでも出現するものだし、私たちもそうした悲惨な現実の存在については、ある程度は承知している。
だが、そうした人間の死体を「資源」としか見ず、その有効利用のために「まずは、不要な首を切り落として、別にまとめておきましょう。死体の扱いは丁寧に。整理整頓に努めましょう」みたいな、冷静でお行儀の良さすら感じさせられたところに、この映像の異様さがあったのだと思う。
たぶん、首を切り落とされた死体は、次の処理工程として、魚でも捌くように「腹を割いて、腐りやすい内臓を取り出しましょう」ということになったのではないかと、そんなことを容易に予想させるところが恐ろしい。
「戦争の狂気」という言葉は、もはや完全に陳腐化し、怠惰な決まり文句と化したのだけれど、その狂気とは、「人が人を殺しても、なんとも思わなくなる」というような、これもまた陳腐化した決まり文句などでは伝わらないものだというのを、この映像は、私に教えてくれたのだと思う。
戦争の狂気とは、たぶん「殺人」の日常化なのだ。「殺人」が「殺人」ではなく、もはや「作業」になってしまう。
だからこそ、戦争の必要に駆られて「殺す」だけではなく、魚でも捌くように、人間の死体を捌くこともできるようになるのである。
当然、その先では、人間の死体をオモチャのように扱うようなことも平気になるだろう。ただ、ナマモノで腐るから、オモチャにはしにくいだけなのである。

Wikipediaでは、本作『夜と霧』が日本での初公開時には、一部残酷シーンをカットしたとあるけれども、当然のことながら、私が昔テレビで見たのは、さらにそこにカットを加えたものなのであろう。
つまり、この映画は、到底そのままでは、テレビ放送などされることのないものなのだろうが、しかしだからこそ、今の大人世代も含め、子供だって中学生くらいにもなれば、これくらいのものは、むしろ見ておくべきだし、見せるべきだと私は考える。
それでトラウマになる者も出てくるだろうが、それはそれで仕方がないとも思うのだ。そもそも「戦争」とは、そういうものだからである。
戦争の悲惨さを伝えなければならないと、いくら力説したところで、その思い出を語ったところで、物語化された「語りもの」の歴史では、とうてい伝わらないものがある。
つまり、見なければ伝わらないものがあるし、さらに言えば、直接さわらなければ伝わらないものもある。
無論、触ることまでは出来ないにしても、見るくらいのことはしておく方が良いように、私には思えるのだ。
整然と並べられた首なし死体と、その横にまとめてカゴに入れられていた生首の映像は、伝えなければならないとされる「戦争の悲惨さ」とは、どこか次元の違ったもののように、私には感じられた。
なぜ、そのように感じられたのかと考えてみると「戦争の悲惨さを伝える」という言い方には、どこか「物語化」的なものを感じるからだろう。
そこからは、本来存在していた、いわく言い難いノイズのようなもの、臭気のようなものが洗い流されていて、「伝えるべき尊厳の物語」的な、いかにも「戦後的なもの」が感じられる。
本作『夜と霧』は戦後10年してから作られ、私たちに、こうした悲惨な戦争の「記憶の継承が可能なのか(だが、継承しなければならない)」と、そんなことを語った作品なのだが、そうした「メッセージ性」とは別に、この作品には、アラン・レネら制作者すら意識できなかった、しかし今では失われた、重要な何かが、まだ少しは残されていると、私にはそう感じられたのである。
だから、この映画を見てほしいと思うのだ。
人間は死ねばゴミや資源になるという現実がここにはあり、そのことを知った人がどうなるのか。
それは、実際のところ人それぞれだろうから、私にはどうとも断じかねるが、ただ、戦後を生き、新たな戦前を生きている者には、彼らの無念の死を、無駄にしてはならない義務があるように思う。
そして、彼らの死を無駄にしないとは、彼らのために涙を流すことではなく、私たちもまた、彼らを殺す立場にもなれば、彼らのように処理される立場にもなりうるということを、少しは実感を伴って、知ることなのではないかと、そう思うのだ。
いずれにしろ、議論のための議論を含めて、他人事扱いが、最もタチの悪い態度だというのは、論をまたないのである。

(2026年10月11日)
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