▷ 書評:アラン『わが思想の歩み』(光文社新訳文庫)
アランを読むのは、これが初めてだ。
これまでそれなりにさまざまな哲学書や哲学入門書を読んだきたけれど、そこにアランの名を見ることはほとんどなかった。
ではなぜアランの名を知っているのかというと、それはたぶん、アランには『幸福論』などのポピュラーな著書があるからで、私が若い頃には、人生論的な読み物として、同書の紹介されることが多かったからであろう。
だが、だからこそよくは見かけて、なんとなく著者名だけは憶えていても、どのような思想を語ったのかも知らなかったし、他の哲学者の著書やその入門書を読んでも、アランへの言及はないに等しかったから、これまでアランの思想に興味を持つことはなかったのだ。
私が、アランと聞いて唯一思い出せたのは、じつのところ『幸福論』ではない。シモーヌ・ヴェイユである。
『幸福論』なんて平凡なタイトルでは、読んで感銘を受けないかぎり、記憶には残らない。
したがって今回、アランを読んでみようと思ったのは、もっぱらアランが「シモーヌ・ヴェイユの恩師」であるという一点においてのみ。
その点では多少気になりながら、しかし、『幸福論』なんていう、いかにも人生論的な本を読む気にはなれなかったのだが、今回またまた書店の棚に本書『わが思想の歩み』を見つけて、「これなら、アランという人の全体像がつかめそうだ」と、そう考えたのである。

つまり、アランの思想を詳しく知りたいわけではないけれど、おおよそのところは知っておきたかったのだ。そうすれば、私の好きな思想家であるヴェイユが、アランのどういうところに惹かれたのかを知ることができると、そう考えたからである。
こういうことは、やはり当人の著者を読まないかぎり、Wikipediaなどでの概説を読んでも、ピンと来るものではないからだ。
で、アランについては、ほとんど何の予備知識もなく本書を一読して、どう感じたのか。
率直な感想は「よく分からない」「何かすっきりしない」といったところだろう。
つまり、よく分からない、つかみどころがないといった不満が残ったのだ。
アランの思想が「難解」だというのではない。
言っていること自体は、わりとわかりやすいのだ。だからこそ、その言葉が箴言として、人生論的に読まれたりもするし、ポピュラーにもなり得たのだろう。
だが、アランの個々の言葉はわかりやすくても、全体としての「アランの思想」とは、どういうものなのかというと、それはいささかぼんやりとしてきて、つかみどころがない。
アランの個々の言葉はきっぱりとしたものなのだが、総体的に見ると、なにやら矛盾したというか、相反したことをきっぱりと語っているから、「いったい、この人はどう考えているんだ?」という感じになって、全体としては隔靴掻痒な印象を受けるのである。

例えば、アランの『幸福論』や『宗教論』の元となった著書『語録(プロポ)』には、次のような言葉がある。
『信仰のないところに精神はない。外部に支えを求める精神は弱い精神である。』
これは、普通に読めば、矛盾した言葉だ。
そのあたりを少し解説すると、まずは前半の『信仰のないところに精神はない。』だが、ここで言う「信仰」とは、「宗教」のことではなく、言うならば「信念」のことである。
人は、何か「信じるもの=精神の背骨となるようなもの」を持っていなければ、確たる精神など持てる(築ける)わけがない、という意味だ。
これをさらに平たく言い換えれば、「土台(信念=信仰)がしっかりしていなければ、その上に堅牢な建物(思想)は築けない」ということだ。
一方、後半の『外部に支えを求める精神は弱い精神である。』というのは、例えば「宗教」のような「絶対真理を標榜する権威」的なものを(自分の外の)他に求め、それに依存しようとするような考え方は、他人任せの自立できない弱い精神でしかない」という意味である。
以上のとおり、前半と後半のそれぞれは、論理的に正しく、理解も納得もできるものなのだが、この二つを直接につないでしまうと、「矛盾」ということになってしまう。
なぜなら、「何かを信じなければ、精神と呼べるようなものは、築けないし存在し得ない」という前半と、「何かにすがり、それを盲信しようとするのは、弱き精神である」という後半では、普通に読んで「何かを信じろというのか信じるなというのか、一体どうしろと言うんだ⁈」ということになるからである。
アランの物言いというのは、万事この調子なのだ。
だから、個々の言葉はわかりやすくても、全体としては相反する矛盾したことを言っているようにしか見えず、その点でわかりにくい(呑み込みにくい)のである。
上の言葉をもう少し簡単にした言葉として、アランは「私は信仰を持たない(無宗教・無神論者)である」と、きっぱり主張する。
しかし、その一方「信仰は大切だ」とも言う。
これでは普通、読者は「どっちなんだよ⁈」と言いたくなるはずである。
だが、こうしたアランの、わかりにくい思想とは何なのかと考えてゆき、私はやっとアランの思想というものが、大筋で理解できた。
アランの思想とは、要は「凝り固まるな、自由であれ。単一の固定的な真理なんてものは存在しないのだから」ということだったのである。
つまり、ひとつの思想、ひとつの信念に凝り固まるのではなく、目の前のもっともらしい「意見=世界解釈」を常に疑い、水の流れのように自由であれ。何物にも縛られるな、思考の自由を放棄するな、という思想なのである。
だから、「アランの思想といえば、これ」みたいな、独自かつ固定的な思想(イデオロギー)は存在し得ないのだ。
アランの思想とは「イデオロギーに堕することなく、常に自由に思考せよ」という「考え方」であって、考えた結果として得られた「成果(結果)」のことではなかったのである。

こうして、アランの思想を、いちおうのところ理解することは出来た。
私が本書を読んで、隔靴掻痒の印象を受けたのは、「考え方」は語られていても、「思考の結果」が語られていないように見えたためなのである。
普通、私たちが哲学書を読むときは「あっ、そういうことだったのか! そこまでは考えていなかったよ。なるほどなあ」という感動を求めている。
哲学者の徹した思考によって、今まで見えていなかった視野が開け、世界の新しい見方が可能となる、そんな「知の喜び」を私たちは哲学(書)に求めているのだ。
だから私は、アランにも同じことを期待した。「なるほど、そうか!」と言わせてくれることを期待したのだ。
だが、アランはそういう話はしてくれない。
そうではなく一一
「あまり人の話を鵜呑みにしてはいけないよ。自分の頭で考えなさい。あの偉大な思想家の考えだって、あやしいところがあるはずだし、実際、真逆な意見を持つ優れた思想家もいる。君はたまたま今回、あの思想家の本を読んだから、それですっかり彼の思想に感心してしまって、まるでそれが真理でもあるかのように思ったようだが、絶対真理なんてものは、人間の願望の中にしかないんだ。だから、彼の思想に学ぶのは良い。けれども、それを信仰したりしないことだ。信者になってはならない。信者になれば、そこで君の思想(思考)は、ゲームセットなんだよ」
と、だいたいこういう面倒くさいことを言うのが、アランという思想家だったのである。
こうしたアランの教えを、喩え話的に説明にするなら、こんな具合だ。
「前にばかり進むな、しかし後にばかり退くな。右にばかり進むな。左にばかりも進むな。しかし、勇気を持って、方向性を定め、突き進んでみろ。そして、そこで何かを掴めたと思ったら、それを徹底的に疑え。どこにも、固定的な真理なんてものは無いんだけれど、だからと言って諦めるな。意志と信念を持って、真理を求め続けるところにこそ、真理は宿るのだ」
だから、アランの思想について、他の思想家が語ることは滅多に無い。
アランの思想とは、成果を求めることではなく、思想(思考)を正しく生きるためにあったから、そうした「姿勢の思想」とでも呼ぶべきものを認める(受け入れる)としても、その思想の上に「新しい思想」を築くことは出来ない。アランの思想の上に、屋上屋根を架すようなことは出来なかった。
アランの「姿勢としての思想」を認めるとしても、それを、「新しい知」を見つけ築くための素材や道具として利用することは出来なかった。だから、他の思想家がアランの思想に言及するような機会は、おのずと少なかったのである。
これは本書を読んだ後に、アランのWikipediaを読んで知ったことだが、フランス文学者の桑原武夫は『アランの一生は優れた「教師」の一生であったと言えよう』と評したそうだ。
この桑原の言葉は、アランの思想を知らずに読めば、単純に「アランは優れた教師であり、多くの逸材を育てた人だ」というふうに理解してしまうだろう。
実際アランは、ヴェイユだけではなく、多くに影響を与え、多くの逸材を育てた人で、日本人だと、かの小林秀雄にも影響を与えているそうなのだが、言われてみれば、それもなるほどという感じである。
小林秀雄は戦前の「左翼思想・プロレタリア文学流行の時代」に、これを徹底的に批判した人だが、小林秀雄には、そうした人たちが『外部に支えを求める(略)弱い精神』の持ち主であり、「マルクス教の盲信者」としか思えなかったということなのである。
では、シモーヌ・ヴェイユの場合は、どうだったのか?
ヴェイユは、アランの『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである』といった言葉から、意志と実践ということを学んだのだろう。
と言うのも、私がヴェイユを読んだ感触から言えば、彼女は本来、そういうタイプではなく、もっと抽象的であり、しかしまたこだわり思い悩むタイプだからだ。つまり、アランとは真逆に近いところがあったのだ。
だからこそヴェイユは、アランの思想を通して自分の弱点を見出し、自身の偏向を超克するために、師の思想と対決しようとしたのではないだろうか。
アランは後年、ヴェイユの極端とも言える行動や政治観や社会観を擁護したけれども、学生時代のヴェイユのことを「火星人」と呼んだりもしたそうだ。
つまり、極めて鋭い知性と廉潔な精神の持ち主であることは間違いないものの、その思想はいささか極端に走って、バランスの良くないものだと映っていたのであろう。
生意気で可愛い生徒だが、心配させられる困った弟子でもあったのではないだろうか。

その後のヴェイユは、アランに学びながらも、やはりその素質を伸ばしてゆく。つまり、キリスト教神秘主義思想などに深く傾倒してその影響を受けたりした。
そして、親しくした司祭からカトリックの洗礼を受けるように勧められて、それに何度も心がゆらぎながら、しかし、彼女は生涯、洗礼を受けることはなかった。
一一これはたぶん、彼女の心に、アランの教えが生き続けていたからであろう。
「信じたいけれど、信じたいものを信じてはならないのだ」という、いかにもヴェイユらしいストイックな考え方が、アランの教えを土台として、彼女の心にしっかりと根を張っていたからではないだろうか。
ヴェイユは「根をもつこと」の重要性を語ったけれど、アランの思想は、そんなヴェイユの心に、深いところで根を張っていたのである。

ともあれ、アラン言っていることは、批評的に物を考える人間にとっては、ある意味で「当たり前の話」だし、その意味では、面白くもおかしくもない。
だが、それが実践できるのか言えば、それはまた話が別であり、決して容易なことでないのは明らかだ。
まただからこそ、アランの思想の価値も、そこ(実践的なところ)にあると言っても過言ではないだろう。
アランは「優れた教師」だった。
しかしそれは、「正解をおしえてくれる教師」ということではなく、「そればかりやっててはダメだ。あれもこれもやりなさい」と言い、その一方で「覚悟を決めて、ひとつのことに打ち込む勇気を持ちなさい」とも言う、そんな注文の多い教師だ。
普通の生徒であれば「どっちなんだよ!」と腹を立ててしまうところだが、アランの答えは「両方だ。全部だよ。どっちかだけ、どれかだけじゃダメなんだよ」とそう言って、若者たちの前に立ちはだかる、そんな「巨大な教師」だったのではないだろうか。
だからこそ、そんな教師に挑んだ若者たちは、大きく成長していったのであろう。

(2026年6月22日)
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