▷ 書評:ジョナサン・ローゼンバウム編『オーソン・ウェルズ その半生を語る』(キネマ旬報社)
本書は、オーソン・ウェルズの半生について、年下の友人である映画監督ピーター・ボグダノヴィッチが、ウェルズから長期にわたって聞き書き(対話やインタビュー)を行いながらも、その書籍化が頓挫して長らく棚上げになっていたものを、ウェルズの死後、ウェルズの最後の妻であった女優パオラ・モリの要請を受けて、旧知の友人であった映画評論家のジョナサン・ローゼンバウムが、モリとボグダノヴィッチから記録の提供を受けてまとめたものである。
したがって、本書の冒頭にはローゼンバウムの「はじめに」があり、その次にボグダノヴィッチの「イントロダクション」があって、最後はローゼンバウムの「編集ノート」で締められるというかたちになっている(「訳者あとがき」などは除く)。
本書の本文部分を構成するのは、ボグダノヴィッチによるウェルズへのインタビューで、これはおおむねウェルズの経歴に沿った順でなされているのだが、本書(翻訳版)は菊判二段組で、索引などを除く本文だけでも500ページを超える大冊だから、かなりの読みでがある。
よって、私がここで本書の内容を要約的に紹介しても、あまり意味はないだろうから、いくつかの点にしぼって紹介しておきたい。

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オーソン・ウェルズは、まず何よりも『市民ケーン』での鮮烈な監督デビューで記憶されることになった人で、同時にそれは、一般的にも、私個人のイメージとしても、「天才肌の反逆児」というものだったのではないだろうか。
なにしろこの作品は、当時マスコミの絶対権力者であった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルとしてケーンという人物を造形しながら、これを決して好人物には描かなかったのである。
そのため『市民ケーン』は、ハーストからの政治的な圧力によって、ろくに劇場上映もできなかったし、アカデミー賞を取り損ねた。
それでも作品としては高く評価されたのだが、ウェルズその人は、興行的に難しい作品を撮る映画監督として、その後の映画人生で苦闘を強いられ続けることになる。
本書編者のローゼンバウムは、こうしたウェルズの苦闘の人生を、「はじめに」において、次のようにに語っている。
『 悲しいことだが、一九八五年秋のオーソン・ウェルズの死に対するアメリカの反響は、他の諸外国でのそれとは比べ物にならない鈍感なものだった。アメリカ以外の諸国の追悼記事では、半世紀に及んだウェルズの多彩な業績を称賛していたのに対し、彼の故国のそれは、もっぱら彼の体重と過去の失敗一一それがいかにも重大な相関関係があるかのように一一を話題にしただけだった。成功、歴史、現実、こういった観念を定義するにも、時宜に則した商品価値があるかどうかだけを尺度にしてしまう文化においては、ウェルズの業績といえども、輝かしいデビュー以来四十余年ぱっとしなかった、と簡単に片付けられたのである。
消費者の利益を勘案して下される市場と企業の決定はつねに正しいと盲信する人々なら、これも当然の報いだと思うだろう。しかし、ウェルズの業績をもっと詳しく調べてみると、晩年に至るほど彼は人目を引かない映画作家になっている。ここが論議の的となるべきところだ。アメリカ映画作家の中で世界的に最高の尊敬をかち得た監督が、最後の三十年間一本もアメリカン・メジャーの映画を作っていない一一何というパラドックスであろう。なぜこういうことになったのか?』(P17)
つまり『最後の三十年間』、ウェルズは主に、外国資本に伝手を求めて映画を撮っていたのである。
それにしても、ローゼンバウムによるこうした問いへの回答は、決して難しいものではない。なぜなら、我が国の現状もまた、それと大差のないものだからである。
つまり「ウケれば(売れれば)傑作」というのが、今の日本の映画界の現実なのだし、ローゼンバウムの批判するハリウッドの体質も同様のものだったのだから、反骨かつ芸術家肌の個性派だったオーソン・ウェルズが、ハリウッドメジャーから冷遇されたのも、いわば当然のことだったのだ。
もちろん、今の日本の映画評論家や映画監督は、オーソン・ウェルズのことを褒め称えるだろう。
だがそれは、ウェルズがアメリカの映画監督であり、すでに伝説的な人物だからに他ならない。つまり、今日明日の自分たちの「儲け」には関わりのない「過去の人」だからだ。
例えば仮に、オーソン・ウェルズの生まれ変わりのような人が今の日本に生まれてきたとしたら、かつてのハリウッドと同様、きっと最初のうちは「天才児あらわる!」と営業的に大騒ぎで持て囃しはしても、やがて彼が金儲けのためのコントロールに服さない人物だと分かれば、その芸術的な才能など顧みられることもなく、「生意気なやつ」として業界から干されるであろうことは、容易に想像できる。
業界の空気を読まない異端児の排除は、日本文化の伝統なのだ。
「撮りたい映画ではなく、ウケる映画を撮れ」「本音はいらない。映画業界が盛り上がるように、お互いの作品を褒めあえ。そうすれば、客が集まって、お互いのためにもなるのだ」とそんなことが、当たり前に要求されるし、例えば私のように「駄作は駄作としか評価しようがない」などと身も蓋もないことを言っていては映画評論家になどならないのはもとより、映画監督ならば映画を撮らせてももらえなくなるだろう。
映画とは、作るのにとにかく金のかかる「高価な商品」なのだから、映画製作は、金集めの苦手な正直者には、基本的に向いていない世界なのである。
そして、そんな日本映画界の現状を少しでも理解しておれば、当時のハリウッドの、オーソン・ウェルズに対する冷たい態度も、容易に理解できるはずなのだ。
そのあり余る才能のゆえに、作りたい映画を作りたいように作りたいと願ったウェルズという天才児は、現実に屈従を強いられていた多くのハリウッド人からすれば、鼻持ちならない生意気なやつと映っても、致し方のない存在だったのである。
本書を読んだ日本人の多くは、「ハリウッドとは、アメリカとは、なんと狭量なのか。芸術作品に理解が無いのだろうか」と、冷飯を食わされたウェルズに同情するかもしれない。
しかし大概の場合それは、自身の狭量さに自覚のない、メジャー好きな日本人の、頭の悪い思い違いにすぎない。
徒党を組んでイジメをする者の多くは、たいがいの場合、その自覚を持たないものなのだ。
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次に本書で注目すべきは、ボグダノヴィッチとの対話の中で、自身の過去の発言について質問されたところ、ウェルズが「他人の悪口は言いたくない」と、かつて語ったのであろう本音の評価を、頑なに封印している様子である。
ボグダノヴィッチはこの点を追求しているのだが、ウェルズは「結局、映画監督同士で批判しあっても、得るところは少ないからだ。お互いに傷つけあっても、何の良いところもない」というような趣旨の説明をして、過去の発言について口をつぐむのだが、こうしたことからも、ウェルズがいかに嫌がらせめいた目に遭わされ、傷つけられていたのかが窺えよう。
現在の私たちとしては、ウェルズのかつての忌憚のない言葉や、ボグダノヴィッチの対話の中で思わず語られた批判の言葉などを是非とも読ませてもらいたいところだし、本書の編者であるローゼンバウムも、そのように希望した。
しかし、ウェルズから直接話を聞いたボグダノヴィッチとしては、ウェルズの意向を尊重するということで、残念ながら本書では、ウェルズの才気あふれる毒舌を読むことはできない。
だがだからこそ、本書からは「上手な世渡りのできなかった天才児の悲哀」といったものが、否応なく感じられるのである。
オーソン・ウェルズには、ややもすると「強そう」とか「偉そう」といった印象があるかもしれない。
だが、本書からも感じられるのは、そうした表面的な印象とは真逆の、オーソン・ウェルズが好んで描いた「敗れさる古き者の悲哀」といったものだ。
したがって、孤独な死を迎える権力者ケーン、没落するアンバーソン家、王子に捨てられるフォルスタッフといったキャラクターたちは、やはり最初から、そのままオーソン・ウェルズの分身だったのではないだろうか。
「古き良きアメリカという幻想」の終焉を、追悼の念を込めて描いた映画『ラスト・ショー』を撮ったボグダノヴィッチが、年齢差を超えて、ウェルズの親友となり得たのは、ボグダノヴィッチに、ウェルズと同様の「去り行く者の孤影」に対する、繊細な感受性があったからなのではないか。
オーソン・ウェルズという人は、資本主義経済の中では、やはりうまくは生きられない人だったのだ。
芸術的な天才ではあったけれど、見かけによらず繊細な、孤独の人だったのではないだろうか。
そのことは前記の三作品『市民ケーン』『偉大なるアンバーソン家の人々』『フォルスタッフ』などに明らかであり、よく見れば、そうした感情こそが、ウェルズ作品の基調的な部分だったというのがわかるはずだ。
精神の貴族は、資本主義経済の世の中において、おのずと没落するしかなかったのであろう。
最後に、ボグダノヴィッチとウェルズの次のやりとりを紹介しておこう。
ウェルズの反時代的な「貴族性」が、ここでは冗談めかしながらも、率直に語られていよう。
PB (※ あなたの作品『変身』が)芸術的に優れた映画だということに異議はありませんが、(※ しかし私個人の好みとして、あまり)見たいと思う(※ タイプの)映画ではないのです。
OW 見たい映画しか見ないと言ったわたしの言葉を楯にとって、わたしをやるやり込めるつもりかね。それならわたしは、見てもらうために映画を作るが、好きになって貰うために作りはしないのだ、そういおう。これこそわが全仕事の核心を衝くパラドックスだ。〔笑い〕
(P315、※は引用者補足)
(2026年3月17日)
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