▷ 書評:ダーニエル・パウル・シュレーバー『シュレーバー回想録 ある精神病患者の手記』(平凡社)
著者のダーニエル・パウル・シュレーバー(1842〜1911)は、18世紀半ばから19世紀初頭を生きた人である。
ニーチェの2つ上の同時代人であり、フロイトより14歳年上。
本書は、今でいう統合失調症を患って精神病院に入れられたシュレーバーが、8年に及ぶ入院生活の後半に自ら記した「回想録」で、その入院生活と自分の体験した「神秘体験」をつづり、その意味するところを自ら分析的に語った著作である。
私が、最初に本書を買ったのは、すでに20 年以上も前のことだ。昔から「精神病」というものの不思議に惹かれていた私は、何かの本の中で紹介されていた本書に興味を持ち、その際に贖ったはずなのだ。
ところが本書は、菊判(B5版)で500ページを超える大冊だったので、例によって、なかなか手をつけかねているうちに、積読の山に埋もれさせてしまった。
それを今回読むきっかけとなったのは、昨年だったろうか、歪んだ人たちの歪んだ世界を描く小説家・吉村萬壱が、本書を「愛読書」だと語るエッセイを読んだためである。
「なるほど、吉村萬壱が好きそうな本だな」とそう感じて、本書への興味が再燃したのだ。

本書の著者であるダーニエル・パウル・シュレーバーは、51才の若さで、ドレースデン控訴院民事部部長に就任した、極めて優秀な人物である。
本書付録の「シュレーバー年譜」によれば、
『ドレースデン控訴院はザクセン王国の最高裁判所。この裁判所において部長は控訴院長に次ぐ地位であり、五一歳の若さでの就任は、やはり異例と言える出世である。』(P496)
ということになる。
つまり、若くして最高裁のナンバー2になった人なのだ。当然、知性や教養に優れて相当有能な人であり、人望もあった。
また、そんな自身に揺るがぬ自負を持った人でもあった。
『私は若い頃から、宗教的に熱狂するといったこととはおよそ無縁の人間であった。過去において私と幾分なりとも親しくなった人ならば誰であれ、私については、落ち着きがあり、情熱には溺れず、明晰な考え方をする、ほとんど醒めた性格の人間であるということ、そして私の個人的な資質は、思いのままに働く想像力を創造的に活動させるよりは、むしろ冷静で理性的な批判といった方向にあるということを証言してくれるにちがいない。私はときとして身内の者たちの集まるちょっとした機会に即興詩を作ったりしたことはあるが、決して人が詩人と呼ぶところの者ではなかった。』(P80)
ところが、そんな誇り高き彼が、キャリアの頂点に達したところで、狂を発したのである。
当人も当該「回想録」に書いているとおり、彼の職場は、周囲が年長の有力者ばかりということで、それがかなりのプレッシャーになったようだが、そうしたストレスが発狂の原因であったか否か、正確なところは不明である。
ともあれ、家柄もよく、父親は誰もが知る著名な著述家であり、当人も知性や教養に優れて、社会をリードするエリート男性であった。
ところが、そんな彼が「神の光線が私の神経に接続し、私の身体を脱男性化(女性化)して、人類のこれからあるべき姿に作り替えようとしている」という趣旨のことを訴えるようになる。曰く、
『人類を更新するという世界秩序に適った最終目的を目指した脱男性化』(P141)
もとより時代も時代であるから、彼自身は、男性の女性に対する優位を確信して止まない、良くも悪くもきわめて男性的な人であった。
『 男性の至福は女性の至福よりも高次のものであった。女性の至福はおもに絶えざる官能的快楽のうちにあったように思われる。』(P31)
この言葉からもわかるとおり、今から100年以上も前に生きた彼にとっては、男性は理性的であり克己的で倫理的、女性は官能的(動物的)で受動的な存在だと、そのように考えていた。
無論、彼だけがそうだったのではなく、男性中心の西欧社会全体が、おおむねこのように考えていた時代だったのである。
だから、そんな彼が、理由はどうあれ、自身の身体が「脱男性化(女性化)」しているという妄想を持つのは、端的に言って少々変態(倒錯)的である。
要は、性として優れた男性から、劣った女性になるというのだから、彼の常識としては、屈辱的な事態ということになるはずだ。
しかし、その反面、この女性化は、彼に快楽を与えもしたと言う。
理性的には屈辱的な事態ではあれ、なにしろ女性とは官能的な生き物なのだから、女性化すれば否応なく官能に優った存在とならざるを得ない、ということなのであろう。
『あるとき朝方まだベッドで横になっていたときのことであったが(まだ半分眠っていたのか、もう目覚めていたのかは、もはや覚えていない)、私はあることを感じたことがあった。後で完全な覚醒状態でそれを思い返してみたとき、私はきわめて奇妙な具合に動揺してしまったのである。それは、性交を受け入れる側である女になってみることもやはり元来なかなか素敵なことにちがいないという考えであった。一一このような考えは私の気質にはまったく無縁のものであったのだ。いうまでもないと思うが、意識が完全に目覚めていたなら、私はこんな考えを憤然と退けたであろう。』(P54)
『ちなみにちょうどこの頃、私に対してなされた奇蹟の結果、私の両足の間に一つの物ができた。しかしこれは正常な形の男根にはほとんど似ていなかった。』(P77)
『(※ 私に対する神の)脱男性化の企てに関して言うと、私の身体をしだいに官能神経(女性神経)で満たしていくと、逆の効果しか生まれないことが間もなくわかってきた。つまり私の身体が官能神経で満たされていくと、私の身体からは「魂の官能的愉悦」と呼ばれるものが発生するため、これがむしろ引力を高めてしまうのである。そのため、私の頭のなかに「蠍」を入れるということがその頃幾度も幾度も繰り返された。それは小さな蟹か蜘蛛のような形をしたもので、私の頭のなかで何らかの破壊活動を行う任務を担っていた。』
(P108〜109)
『もっとも厭うべきことと思われたのは、女体への変容という目論見が成就した後に、私の身体が何らかの形で性的に濫用されるのではないかという観念であった。特にこの目的をもって、私を施設の看護士たちに引き渡そうということさえ、ある期間話題にのぼっていたのであるからなおさらである。』(P114)
『脱男性化がもうさし迫っているというので、神の光線が私を「ミス・シュレーバー」と呼んで嘲弄することも許されると思ったこともまれではなかった。当時頻繁に用いられ、うんざりするほど繰り返された(※ 神の)常套句が幾つかあったが、そのなかには「つまりあなたを放縦な淫蕩に身を任せている者として描き出してやろうと思うのだ」[第十六章二二五ページ参照]」等々というものがあった。私自身も長らく、とりわけ他人が私の身体を性的に濫用するということが話題になっていた間は、脱男性化という危機を当然自分を脅かす汚辱として感じてきたのである。
それ故、私の身体にすでに群れをなして侵入していた女性神経あるいは官能神経も、一年以上もの間、私の挙動や気質に何の影響も及ぼしえなかったのである。私は自分の男としての名誉心を傾注し、同時に、私が(※ その頃から)ほとんど没入しきっていた宗教的(※ 神秘的)観念の神聖さをもって、それらの神経の興奮をすべて抑制したのだ。実際私がそもそも女性神経の存在を意識したのは、何かのおりに光線が作為的に女性神経を運動させたときだけであった。その際、光線が意図したのは、女性神経を興奮させて臆病な気持を惹起し、そのようにして私を女々しくおどおどと震える人間として「描き出す」ことであった。他方私の意志力をもってしても、とりわけベッドに横になっているときに、体内に官能的快感が頭をもたげるのを妨げることはできなかった。この官能的快感はいわゆる「魂の官能的愉悦」として光線に対してより強い引力を及ぼしたのである一一魂が「魂の官能的愉悦」という表現を用いたのであるが、それはこの愉悦が魂を満足させるものであるからだ。しかし人間には本来的な性的興奮を呼び起こすことはなく、一般的な身体的快感としてしか感じられないのである(第七章末尾近く[一〇八ページ]を参照)。』
(P141〜142)
『 世界秩序に適った状況をなおも想い起こさせたのは、とりわけ私の身体において執行されるべき脱男性化と何らかのかかわりをもつように思われる奇蹟であった。そのなかにはとりわけ私の生殖器の様々な変化が含まれていた。このような変化はまれには(とりわけベッドに横になっているとき)私の男根が体内に引き入れられるという、はっきりとした徴候として現れることもあったが、しかし頻繁に現れた変化は、主として不純な光線が関与したときに生じるほとんど完全な溶解状態に近い男根の軟弱化であった。さらには幾本かの髭、とりわけ口髭を引き抜くという奇蹟、そしてまた体格全体の変化(身長を低くすること)が一一これはたぶん脊椎が縮小することで生じる変化だったのだろうが、しかしひょっとするとまた大腿骨の骨素が収縮したのかもしれない一一私の脱男性化とかかわりをもつように思われた奇蹟の一部をなしていた。』(P162)
もちろん、シュレーバーの妄想は、こうした「脱男性化(女性化)」に限ったものではなかったのだが、これが彼の妄想の中核にあったというのは間違いのないところであろう。
ともあれ、最初に本書に興味を持った時から、私はシュレーバーの妄想が、このようにかなり変態チックに面白いものだというのは知っていた。だからこそ後年、吉村萬壱が本書を愛読書に上げているのを知った際には「なるほど」と納得がいったのだ。吉村作品の主人公は、しばしば変態チックな変身願望を抱えていることを、吉村の愛読者である私は、よく知っていたからである。
そんなわけで、ぜんぜん高尚な意図などはなく、興味本位で本書を読んでみたのだが、その期待は、良い意味で裏切られることになった。
上に引用したように、シュレーバーはおおいに真面目くさって、自己正当化としか思えないような硬い語り口で、自身の変態チックな妄想を語ってくれた。
つまり、その点はまさに期待とおりではあったのだが、しかしまたそれは事前に知っていたところでもあって、そんな私の予備知識を良い意味で裏切るような、想像を絶してユニークな妄想が語られることも、また無かったのである。
これまでの記事で、折に触れて何度かご紹介しているとおり、40年間交番のおまわりさんを勤め上げた私は、日常業務の中で、こうした妄想にとらわれている人に、何度となく遭遇してきた。
そして、そんな経験からしても、シュレーバーのような「神学的な理屈づけ」こそなされていないものの、悪意ある「光線」攻撃や「囁き声」というのは、統合失調症の被害妄想としては、きわめてありふれたものであったし、女性化妄想というのも、公然と語られることが少ないだけで、結構あることなのかも知れないと、そう感じたのである。
だから、シュレーバーの「脱男性化(女性化)」妄想は、それなりにユニークではあるものの、それを事前情報として知っていた私の場合、実際に本書を読んでみると、あらためて驚かされるほど珍奇な妄想は語られておらず、言うなればすべては「想定の範囲内」であって、彼の「回想録」自体には、いささか物足りない、ちょっと退屈な印象さえ覚えたのである。
ところがだ、私が事前には知らなかったし、さほど興味がない部分において、本書は予想だにしなかった面白さを見せてくれた。
一一じつは、本書に収録されているのは、表題ともなっている、シュレーバー自身の手になる「回想録」だけではなく、その後には、彼の主治医だった精神科医による「精神鑑定書」が収録されており、そのほかに、その病を理由に地方裁判所から「禁治産者宣告」を受けたシュレーバーが、それを不服として控訴した際に提出した「控訴理由書」や、ドレースデン控訴院の「判決文」などが付録されているのである。
つまり、本書は、シュレーバー自身が最初に刊行した、初版の『回想録』とは別物なのだ。
単にシュレーバーの「妄想手記」だけの本ではなく、彼がその病のせいで、自分の判断で自己の財産を自由にはできない禁治産者宣告を受けたことに対する、法的な「言論闘争」の経緯までも、一次資料を収録するかたちで紹介しており、そこが抜群に面白いのだ。
すでに書いたとおり、シュレーバーは頭脳明晰かつ、きわめて誇り高い優秀な裁判官(判事)であった。
だから、彼は自分の妄想を、その非凡な知性において神学の高みにまで理論化して正当化したのだが、しかしそれだけでは、世間は納得してくれないし、そうした確信的な行為こそが狂人である証拠だとみなされて、彼は世間的な事務を真っ当に行えない人物(知的弱者)に認定されてしまった。
ところが、誇り高い彼にすれば、彼が確信するに至った「神の意図」を、裁判官も含めた世間一般の凡庸な人たちが理解できないのはやむを得ないと(上から目線で)認めはしても、しかし知性において衆に抜きん出た彼が、無知な人たちから、自分のことを自ら適切に行うこともできないような人物として、子供と同等の「保護対象者」扱いにされたというのは、どうにも我慢のならないことであったのだ。
彼の察知した「神の意図」について、愚かな人々を納得させることはできなくても、それ以外の世間一般のことは無論、まして専門であった「法務」については、そんじょそこらの裁判官などに劣るところではないという自負を持っていたから、彼は自身に対する「禁治産者宣告」を解除させるべく控訴し、自ら執筆した「控訴理由書」によって、地裁判事の判断のいかに誤っていたかということを、縷々論駁してみせたのである。

したがって、シュレーバーについての「精神鑑定書」とは、この禁治産者裁判において裁判所が、シュレーバーの入院していたゾンネンシュタイン病院の主治医で枢密医学顧問官であるヴェーバー博士に、前後三度にわたって提出されたものなのだ。
なぜ、三度も提出したのかというと、その事情は次のようなものである。
最初の鑑定書は、「禁治産者宣告」に関する地裁判決の参考資料として提出されたもので、その頃までの、シュレーバーの初期の病状が記されたものであった。
すでに紹介したよう、彼には入院初期から「脱男性化」妄想に代表されるあれやこれやの狂人らしい妄想があり、それがその言動にも露骨に表れていたのだ。
ところが、彼の病態は時間の経過とともに、徐々に変化していった。
軽癒していったのではない。わかりやすい激越な表れ方から、徐々にその狂気妄想が彼の中で居場所を得て固着し、一見したところは、おとなしく常識的に振る舞えるようになっていったのである。
無論これは、彼の中から狂気が消えたということではない。病状が安定期に移って、彼が、狂気との「共存」の仕方を身につけていったということなのだ。
その「妄想的確信」には何の変わりもなかったけれど、少なくとも、人前ではそれを出さないよう、自身をコントロールできるようになっていったのである。
そんなわけで、シュレーバーは「危なっかしすぎて、外には出せない狂人」から「限定的にではあれ、外に出しても問題を起こすことのなく病院に帰ってこれる狂人」に変わっていった。
まただからこそシュレーバー自身も、自分のことは自分でやれるという確信を強めるようになったため、「禁治産者宣告」の解除を求めて、控訴したのだ。
そしてこの控訴の際に書かれたのが、彼自身の手になる「控訴理由書」である。
シュレーバーはそこで、該博な法的知識を縦横に駆使しつつ、論理的に地裁判断の不当性を批判し、さらに前回の精神鑑定書は、もはや今の自分には該当しないとして、次のように、禁治産者宣告の解除を訴えたのだ。
「地裁の判断は、私を禁治産者とすることで、私の利益を守るだけではなく、妻をはじめとした周囲の利益まで守ろうとしている。これは、私が無茶をして破産でもすれば、妻や家族が被害を被るおそれがあるという判断なのだが、しかし、禁治産者認定とは、あくまでも当人の利益を守るためのものであって、周囲の利益は関係ない。それを認定の根拠としてはならない。無論、私は一家の主として、妻や家族に対する責任を有するし、それを完全に果たすつもりではあるが、そうした責務を裁判所に強制される謂れはない」
そこで控訴審は、主治医であるヴェーバー博士に、新たな「精神鑑定書」を書くように指示した。
そしてウェーバー博士は、前回の鑑定書提出以降の、シュレーバーとの公私にわたるつきあいや、そこで確認できた彼の行動、そしてすでにこの時、シュレーバーが公刊を意図して書き始めていた「回想録」などをもとに、新たな鑑定書を書いて提出した。
この二度めの鑑定書は、シュレーバーの世事における事務能力を否定するものではないかったが、またそれに保証を与えるものでもなかった。彼の病自体は、未だ治癒されてはいなかったからである。
そのためシュレーバーは、このかなり好意的と言っても良さそうな鑑定書さえ、不十分なものであるとして批判をくわえた。
そこで控訴院はウェーバー博士に、シュレーバーの反論を踏まえての判断を求めて、三たび鑑定書の提出を求めた。
やむなくウェーバー博士は、シュレーバーの「控訴理由書」や「回想録」、そして鑑定書への反論など、すべてに考慮した新たな「精神鑑定書」を書き、シュレーバーの現状についての、詳細な報告をした。
そしてその結論としては「シュレーバーか精神を病んだままであることは明白だが、しかし彼の知性が今もなお並外れたものであることに疑いはなく、その知性は神妄想における世界観的な部分を除けば、妄想とは独立に常識的な判断を下せるものになっていると言える」という趣旨のものになっていた。
もちろん「100パーセント完全に大丈夫、何の心配もないとは言えないが、そんなきわめて低い可能性だけで、シュレーバーの自由と権力を剥奪し続けるのは、いかがなものか。しかしそのあたりについては、裁判所の判断すべきところである」という趣旨のものになっていたのである。
そして、こうした入念な経緯を経た上で、控訴院は次のような「判決」を下した。
判決主文は、次のとおりである。
『 原告(※ シュレーバー)の控訴に基づき、ドレースデン地方裁判所民事第七部の一九〇一年四月一三日の判決を変更し、ドレースデン区裁判所の一九〇〇年三月一三日の禁治産宜告の決定は、これを取り消す。
控訴審を含む訴訟費用は国庫より支払われる。』(P448)
つまり、シュレーバーは、統合失調症による妄想を抱えたまま、それでもそれ以外の部分においては、人並みはずれた知能を保ち続け、それを駆使することで、自分の権利と名誉を見事に回復して見せたのである。
そして彼は、8年に及んだ入院生活からも解放されて、家庭へと帰っていった。
たしかに彼は、おかしな妄想を抱えたままであり、その点で妻を悩ませはしただろうが、しかし「おかしな考え」や「おかしな思想」や「おかしな信仰的な確信」を持った人なら、世の中にいくらでも存在して、たいがいは「普通の人としての生活」を送っているし、少々その「思い込み」の度が過ぎたとしても、犯罪に至らない限りは「変人」あるいは「困った人」ということで済まされているのだから、統合失調症による「世界観的な妄想」や「脱男性化(女性化)」妄想を抱えたままだとは言え、犯罪的な行動に及ぶわけではないシュレーバーから、その権利を奪い、病院に閉じ込めておくというような人権侵害は、もはや不可能だったのである。

一一そんなわけで、私が本書を読んで「面白い」と思ったのは、あらかじめ知っていたシュレーバーの「脱男性化(女性化)」妄想そのものよりも、むしろ、妄想を抱えたままの彼が、世俗の(法的)論理を駆使して、自らの権利を守り切ったという部分なのだ。
彼はまさに、自身自負するとおりの「誇り高き男」であり、それを見事に自己証明して見せたのである。
○ ○ ○
だが、やはり最も興味深いのは、こんな「自他ともに認める男らしい男」である彼が、「女性化」妄想に囚われたという事実の方であろう。
誰もが推測することだろうが、結局のところ彼は、心のどこかで男性であること、男らしい立派な男であることに、疲れて果てていたのではないだろうか。
誰よりも賢く責任感のある、男らしい男であると、心からそう自負していた反面、心のどこかで、そうした「重荷」をすべて下ろしてて「楽になりたい」という願望を、自分でも気づかないまま抱えていたのではなかったか。
そして、自分では意識できなかったそうした「無理」が頂点に達した時、彼の心の一部が破綻して、「理屈や責任や理性の命ずるところに生きるのではなく、女性のように官能の命ずるままに生きたい」と、そんな願望が表面化し、あのような妄想として具現化したのではないだろうか。
ただ、ある意味では、最後までその「知性と意志」において、男らしく戦い「勝ち続けた」人であるはずのシュレーバーを、私が傷ましく思うのは、彼が発狂してさえ、自分を縛るものから完全には自由になれず、「私は女性になりたいんだ」「男らしさなんてクソ喰らえだ。享楽主義万歳だ!」と叫ぶことができなかった点である。
結局のところ彼は、狂ってまでも、世間的な「男性的価値観」に縛られ続け、それから逃れることができなかった。
そのおかげで、禁治産者裁判で勝つことができ、理性の上では「勝った」はずなのだが、しかしこの「理性の勝利」は、彼自身の秘められた「自由への意志」の「敗北」を意味するものでもあったはずだ。
シュレーバーは狂者となってさえ、裁判において、その卓越した理知によって勝利した。
だが、彼は、その深い「願望(本音)」を解放することがついに出来ず、結局は「世の価値観」に縛られて続けなければならなかった。
つまり彼は、そんな時代の子であり、そんな社会の「被害者」であり、本質的には「弱い人」だったのではなかったろうか。
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■一九〇二年(パウル・シュレーバー六〇歳)
七月一四日、ドレースデン控訴院の判決により、パウル・シュレーバーの禁治産告が取り消される。
一二月二〇日、パウル・シュレーバー、ゾンネンシュタインを退院。その後、しばらくライプツィヒの母のもとで暮らす。
■一九〇三年(パウル・シュレーバー六一歳)
パウル・シュレーバー、ドレースデンの妻ザビーネの元へ戻る。ザビーネはこの間にある少女(当時一三歳)を引き取って世話していた。後にシュレーバー夫妻はこの少女を正式な養女にした。この人は少なくとも一九七〇年代の後半まで存命であったが、本人の強い希望で名前などは明かされていない。パウル・シュレーバーは彼女とチェスをして遊んだり、学校の宿題を見てやったということである。
退院後、パウル・シュレーバーはザクセンの法曹界で職を得ようとしたが、果たせず、年金生活を送った。
この年、ライプツィヒの出版社オスヴァルト・ムッツェから『ある神経病患者の回想録』を出版。発売されるや、ほとんどすべてシュレーバー家の親戚が買い占め、焼却してしまったようである。そのため世に出たのはわずかな部数に限られた。
■一九〇七年(パウル・シュレーバー六五歳)
五月、母パウリーネ死去(九二歳)。
一一月一四日、妻ザビーネ、本中の発作で倒れる。それ自体重症の卒中ではなかったが、このことでパウル・シュレーバーは非常に興奮し、眠れなくなり、再び「声」を聞くようになった。
一一月二七日、パウル・シュレーバー、ライプツィヒ近郊の精神病院デーゼンに入院。病歴簿によれば、激しい幻覚に襲われ、妄想観念にとらえられていたということで、自分には胃がない、奇蹟のせいで腸を失ってしまったなどと口走っていたようである。これ以降も幻覚は消えず、大声をあげたり、窓から飛び降りようとするような挙動に及ぶこともあった。この時期のパウル・シュレーバーによるメモが数枚残っているが、書きなぐるような筆跡でほとんど判読できない。
■一九一一年
パウル・シュレーバー、春先から肉体的に衰弱し始める。病歴簿には「三月」の項に「口峡炎。全身状態、きわめて不調」、「発熱。扁桃腺、赤みを帯びて肥大」とある。四月に入り、心肺の機能が低下。四月十四日、「呼吸困難、心衰弱により」デーゼンの病院内で死去。六八歳であった。
ロ フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』 』
(P498〜499)
本書を読み、私が結論として言いたいこととは、一一犯罪に至らない範囲であるならば「変態で何が悪い」「変人で何が悪い」「多少、家族や他人に迷惑をかけるくらいのことが、なぜ許されない」といったようなことだ。

誰にも迷惑をかけず、誰からも尊敬されるような人間であることは、もちろん好ましいことである。
しかし、だからといって、世間が「そういう人間であるべきだ」「そうであらねばならぬ」といった空気の圧力をかけてきたのなら、むしろそれに抗える、自由な個人であらねばならないのではないか。
立派な人になること、立派な人生を歩むことが、喜びとならないような生き方は、やはりどこかで歪んでいるのではないか。
例えば、他人に評価されずとも、自分が「この生き方が正しいし美しい」と思えるような生き方をすることこそが、真にその人の幸福を保証するのではないだろうか。
傍目にはそう映らなくても、本人が心の底から信じ誇れる生き方こそが、その人を幸福にするのではないだろうか。
私たちは、誰よりも強く男らしかったシュレーバーに学ぶべきことが、たしかにあるはずなのだ。
(2026年3月5日)
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