▷ 映画評:実相寺昭雄監督 『帝都物語』(1988年)
荒俣宏の原作小説も、この映画化作品も、私にとっては特別な愛着のある作品である。
だがまたそのどちらも、作品としての欠点を抱えていて、決して満足できるような作品にはなっていない。
言い換えれば、そうした明らかな欠点を抱えていながらも、他には代え難い独自の魅力を放った作品であり、だからこそ『帝都物語』は、原作であれ映画であれ、今も熱心なファンを持つ、特別な作品なのである。
一一まずは、そのあたりから紹介しよう。

荒俣宏による原作小説『帝都物語』は、当時としてはまったく新しい、他に類を見ない作品であり、そうした魅力によって大ベストセラーにもなった。
その「特殊な魅力」とは、おおむね次のようなものである。
『平将門の怨霊により帝都(※ 東京)破壊を目論む魔人・加藤保憲とその野望を阻止すべく立ち向う人々との攻防を描いた作品。明治末期から昭和73年まで約100年に亘る壮大な物語であり、史実や実在の人物が物語に絡んでいるのが特徴。著者の荒俣宏がこれまでに蓄積した博物学や神秘学の知識を総動員しており、風水を本格的に扱ったおそらくは日本最初の小説と目される。陰陽道、風水、奇門遁甲などの用語を定着させた作品でもある。』
(Wikipedia「帝都物語」)
上の記事の前半は、外伝を除く本編全12巻(初版ノベルス版では全10巻、文庫版では加筆改変されて全12巻となった)の、壮大な物語の紹介であり、後半の部分が、本作の新しかった部分の紹介である。
つまりこののち、本作をひとつの契機として、博物学や神秘学、あるいは、その下位ジャンルであるなどのブームが巻き起こり、ために風水や陰陽道といったそれまでは一般には馴染みの薄かった言葉も、決して耳慣れない言葉ではなくなったのだ。





しかしこの当時、日本ではまだオカルト(神秘主義)と言えば、洋物のイメージしかなかった。
本邦においてその種のものは、おばけ・幽霊・妖怪・怪異といった、仏教や神道に偏った、日本の生活に根ざしたイメージのものでしかなく、宗教・神秘主義的な、つまり学問的でハイブロウなイメージは無いに等しかったのだ。
だが、『帝都物語』という作品は、それまでは「子供向け」のものと考えられ、軽く見られがちであった「おばけ・幽霊・妖怪」的なもの、あるいは「超能力」的なものの境界を打ち破り、そこに学的かつハードなリアリティを与えたのである。


『帝都物語』とは、あり得ないはずの「霊的な世界」にリアリティを与えて、「あり得るかも知れない世界」、少なくても「かつてはあり得たかも知れない世界」といったリアリティを、接する者に与えた。
『帝都物語』は、それまでの日本人が持たなかった「壮大なる暗い夢」を垣間見させてくれた作品だったのだ。
だが、私が『リアリティを、接する者に与えた』と書いて、「リアリティを、読む者に与えた」と書かなかったのは、自覚的なものである。
つまり、『帝都物語』は、その内容や設定だけで、すでに上のような「濃厚な夢想」を惹起する潜在力のきわめて高い作品だったのだが、いざ小説作品として読んでみると、その可能性が十分に表現し得ているとは言い難かった。


率直に言えば、荒俣宏は、小説家としては二流だった。前例のない素晴らしいアイデアをせっかく手にしながら、それを小説としては十全に表現しきれなかったのだ。
その内容や設定から、読者の中であらかじめ醸成されていたイメージに、荒俣の小説は遠く及ばなかったのである。
『帝都物語』という特異な夢を発芽させる「種」を提供しながら、ついに荒俣宏当人の手では、それを十全に発芽させ育て上げることは叶わず、この原作小説を読む読者に隔靴掻痒の苛立ちや不満を感じさせたのだ。
「この内容なら、もっと面白くなって然るべきなのに、どうしてこの程度なんだ」といったものにしか出来なかった。
結局のところ、荒俣当人は大変ユニークな、博学の「怪人」と呼んでいい人だったのだが、残念ながら「小説家」ではあり得なかった。
その「特別な世界」を匂い立たせるほどの文体を、ついに持ち得なかったのである。

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本作映画版は、そうした原作小説の第4巻までを映画化した作品であり、『帝都物語』という作品の核となる部分、全編のなかで最も斬新な魅力を放っていた部分を映像化した作品だと言えるだろう。
だからこそ、原作に一抹の物足りなさを感じていたファンもこの映像化には大いに期待したし、なにより本作の監督に、伝説の人となっていた実相寺昭雄が就任したことによって、その期待はいや増して高まったのである。






実相寺昭雄と言えば、まず、円谷プロダクションの制作した、特撮TVドラマ『ウルトラセブン』での、個性的な「絵作り」で知られ、同じ円谷プロ制作のTVシリーズ『怪奇大作戦』においては、たった2話の参加にもかかわらず、その独特な作品世界の構築に、大きく寄与した人として知られている。
特に『ウルトラセブン』における、ずば抜けた画面構成(構図)センスは天才的なもので、のちの庵野秀明によるTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)などに、直接的な影響を与え、その画面構成をそのまま真似なぞったオマージュシーンが、大いに話題にもなった。
つまり、実相寺昭雄とは、特撮ドラマの映像世界において独自の世界観を示した、唯一無二の存在だったのだ。




だから、その伝説の人・実相寺昭雄が10年ぶりにメガフォンを取り、しかもそれが『帝都物語』だというのだから、特撮ファンの期待は並々ならぬものだったのである。
だが、結果としては、本作映画版もまた、『帝都物語』という夢想を、十分に映像化し得た作品とはならなかった。
本作において、その世界観を代表する「呪法(呪術)」は、その独自の魅力をまったく表現し得ずに終わったのだ。
例えば、陰陽師である加藤保憲や平井保昌が「式神をうつ(使い魔を放つ)」シーンなどの表現は、原作が持つ妖しい魅力に比して、あまりにも「ちゃち」と言うしかないものだった。
この当時の日本の特撮技術としては、致し方なかったのかも知れない。
まだ、CG(コンピュータ・グラフィック)が、少なくとも日本では実用化されていない時代の作品だったのだから、悪の魔人・加藤保憲(嶋田久作)の放つ、「小鬼」のイメージで表現された式神は、ワイヤーワークの遠隔操作で動かすマペット(人形)か、コマ撮りによる人形アニメーションで表現されざるを得なかった。


これが、いわゆる「怪獣」なのであれば、それでもよかったのかも知れない。
あるいは、実態を持たない「妖怪」などであっても、多重露出の合成による半透明表現にすれば、それに馴れた日本人の目にも、さほど違和感はなかったかも知れない。
だが、「式神」を「人形」で表現したのは、端的に失敗だった。
なぜなら「式神」とは、本作中でも語られるとおりで、実体のない幻覚なのだ。だからそれは、「怪獣」でもなければ「妖怪」でも「おばけ」でもない。
式神とは、術者によって放たれた「呪い」が、人に見せている「脳内現象」であり、その被術者には「物的にリアルなもの」に感じられたとしても、客観的には存在しないものなのだから、第三者には「見えないもの」だし、それ自体は物理的な力を有しないのである。
ところが、本作の場合、小鬼に「見えている」、加藤保憲の式神の描写は、その術中にある者(被術者)の「立場」から、リアルかつ客観的に存在するもののように、いささか単純に描かれている。
つまり、そのカメラワークは、当事者の一人称視点ではなく、普通に客観視点であるために、式神は、単なる(物理的な)怪物の一種にしか見えず、そこに表現されていて然るべき、加藤保憲の「呪法」の表現には、なり得ていなかった。
さらに言えば、そうした「呪いとしての幻覚」である式神の(心理的な)影響を受けずに地下鉄の掘削作業を進めるため起用されたロボット學天則が、式神の攻撃を受けて、物理的に作動しなくなるという描写などは、本作での式神の設定からして、あり得ない表現なのだ。なにしろこのシーンでは、學天則のそばには、式神の影響を受ける人間はいなかったのだから。


加藤保憲であれ誰のものであれ、呪法とは、あくまでも「人の心」に干渉する「心理操作」であり、平たく言えば、催眠術に近いものなのだ。
だからこそ、その術を差し向けられた者(被術者)は、自分がその場その状況において、イメージしやすい「怖しいイメージ」を、おのずと見てしまう。
したがって、ロボット學天則の登場以前、東京地下鉄道の工事関係者たちが、小鬼の姿をした式神の襲撃を受けるシーンは、そういう外見のものであるかのように描かれてはいるけれども、実のところ、その場にいる人たちは、それぞれ多少なりとも異なった外見の「小鬼」を見ているはずなのだ。


したがって、『帝都物語』の固有の魅力を表現するためには、単に「グロテスクな怪物」を描くのではなく、「グロテスクな怪物を見せられている」という状況、つまり「呪法」というものの不気味さを描かなければならなかったのだが、それがまったく不十分なものに終わってしまっていたのである。
小鬼の式神を使役する加藤保憲は、さながら「カプセル怪獣を使役するモロボシ・ダン」の怪人版のようにしか見えなかったのである。
だが、理屈であり理想としてはそうなのだが、当時の映像技術でそうした「呪法」のリアリティを表現しろと言うのは、やはり要求が勝ちすぎているのであろう。
たしかに、実相寺の「呪法」理解の不十分さは否定できないのだが、しかし、それを正しく理解できていたとしても、そのイメージの表現は、当時の日本の特撮技術では、ほとんど不可能と言ってよいものだったのだ。
ちなみに、それが多少なりとも可能かもしれないCG技術を、世界で初めて使ったアメリカ映画『トロン』は、1982年の作品である。
その後、CG映画の魅力を確立した映画監督ジェームズ・キャメロンが、CGの驚きの魅力を世界に見せつけたのが、1989年の『アビス』であり、その成果を決定的なものにしたのが、1991年の『ターミネーター2』であった。
つまり、それ以前のキャメロン作品『ターミネーター』や『エイリアン2』では、CGは基本、使われていないのだ。
このように、1982年の『トロン』のあと、ハリウッドにおいてさえ、すぐに3DCGの技術が一般化したというわけではなかった。
当初それは、ハリウッドにおいてさえ、金がかかる割には、あまり役に立たない(実用的ではない)技術だと、少なくとも1980年代の後半までは、そう考えられていた。
だから、ましてや1988年の日本映画である『帝都物語』においては、それはほとんど役に立たない、目新しいだけの映像技術でしかなかったのである。
なお、「ほとんど役に立たない技術だった」と書いたのは、本作『帝都物語』でも、一部には使われてはいたけれど、それはあまりにもちゃちであり、むしろ使わない方が良かった、その程度のものだった、というほどの意味である。
加藤保憲と敵対する、陰陽師・平井保昌が、加藤保憲の居場所を探索すべく、呪符を記した紙を式神として打ち放ち、それが夜の暗闇を飛び去っていくシーンなのだが、これがまったく「空飛ぶ呪符(紙)」には見えなかったのだ。


一一以上、私がここまで長々と、当時の「特撮技術」のことを書いてきたのは、特撮技術そのものを語りたかったわけでもなければ、ましてやその限界を語りたかったわけでもない。
あくまでも、『帝都物語』の特異な世界をリアルに描くには、当時としては、まだまだ多くの技術的な困難があったという事実を伝えたかったのである。
「呪術的な世界」「呪術的な空間」というのは、「主観的なリアル」ではあっても「客観的には存在しないもの」であり、「幻覚」と言うよりも「感情的(心理操作的)に歪曲誤認させられた世界認知」とでも呼ぶべきものなのだ。
だから、そんな「微妙なもの」を表現するには、そうしたものへの理解も必要だし、その映像化には、それ相応の物理的技術も必要だった。
だが、本作には、そのどちらもが欠けていたのである。
だから本作は、当時としては、もとより傑作に仕上げることのきわめて困難な作品だったのであり、結果的にも、残念なものとなった作品だったのだ。
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だがそれでもなお、本作は多くの人の印象に残る、カルトな人気を誇る作品となった。
一一そうなり得た理由とは、何なのか?
それは、主演をつとめた「嶋田久作の存在感」である。
『帝都物語』とは、まさに嶋田久作あっての『帝都物語』であり、『帝都物語』とは、すなわち、嶋田久作演ずるところの加藤保憲の世界だった。
一一本作映画版は無論、原作小説においてさえ、そうなったのだ。


Wikipediaなどでも紹介されているとおり、映画版『帝都物語』のキャスティングにおいて、当初、加藤保憲役に、嶋田久作の名は挙がらなかった。
というのも、当時の嶋田久作は一部舞台に出演したりはしていたものの、本職の俳優ではなかったからだ。当時の彼は、一介の植木職人だったのである。
映画版『帝都物語』の加藤保憲役が、嶋田久作に決まるまでの経緯を、Wikipediaは次のように紹介している。
『キャスティング
加藤保憲役のキャスティングは難航した。一瀬(※ プロデューサー・一瀬隆重)と林(脚本・林海象)は当初から嶋田久作で構想していたが、配給の東宝は「主演は有名な人で」と難色を示した。そこで坂本龍一などを候補に挙げた末、小林薫が内定。その後、小林側から監督に会いたいと要望があり、一瀬と実相寺が二人で東京全日空ホテルで小林と対面した。その際、小林は実相寺に「加藤はなぜ東京を壊そうとするのか」「加藤の精神的なバックボーンは何か」等と質問責めに遭わせたため、実相寺は思わず「そんなもんないですよ」「ゴジラみたいなものですから」と言ってしまい、後日、小林の事務所から断りの連絡があった。その間に助演で勝新太郎、平幹二朗、石田純一、原田美枝子、坂東玉三郎と豪華キャストが次々決まり、東宝から「もう加藤は誰でもいい」と承諾を得たという。
嶋田久作の抜擢は、劇団東京グランギニョルで『ガラチア/帝都物語』の舞台に出ていたなど、複合的な要因であるが、嶋田は役者に特別執着はなく、オファーされた当時は元の庭師の仕事に戻っていた。一瀬が嶋田に正式にオファーした時の嶋田の返事は「(植木屋の)親方に相談させて下さい」だった。親方から「役者をやった方がいいよ」と言われ、正式にオファーを受けた。嶋田自身は「実はもともと別の方が決まっていたんですが、頓挫したんです。荒俣宏先生は伊藤雄之助さんのイメージで加藤保憲を書いたそうで、似た顔の男がいる(笑)そんな感じの抜擢でしょう」と話している。』
(Wikipedia「帝都物語」の映画版「キャスティング」の項目から)
『東京グランギニョルの演劇『ガラチア帝都物語』に出演したことがきっかけで加藤役に抜擢された嶋田久作はこれが映画デビュー作であったが、その強烈なキャラクターも評判となった。』
(Wikipedia「帝都物語」の映画版の概要説明から)
一瀬隆重と林海象が、加藤保憲役に嶋田久作を考えていたのは、無論、劇団「東京グランギニョル」の舞台『ガラチア帝都物語』で、加藤保憲役の嶋田久作を見ていたからである。
しかし、この時の嶋田久作は、やはり本職の役者ではなかった。
「東京グランギニョル」とは、次ような劇団だった。
『東京グランギニョル(とうきょうグランギニョル)は、かつて存在した日本の劇団である。
概要
1983年、元状況劇場の鏨汽鏡(たがね・ききょう)と飴屋法水(あめや・のりみず)が結成した。劇団名の由来はフランスのグラン・ギニョール劇場に由来する。鏨汽鏡が作、飴屋法水が演出・音響・美術を担当した。
舞台は廃墟風の舞台装置や反復する暴力的な音響の中で上演され、学生服姿の少年達が登場する、耽美的で退廃的、どことなく屈折した珍妙な雰囲気で、マニアックな評判を得る。大量の血飛沫が飛ぶシーンが頻繁に登場したが、冷たく硬質に、時に乾いてシュールなギャグ然とした、あるいは甘く少女趣味風な設定で、グロテスクさを回避する演出は特異であった。
主に舞台未経験者を俳優として起用した。嶋田久作はこの劇団から俳優業をスタートし、ポスター画を手がけた漫画家の丸尾末広(まるお・すえひろ)、ミュージシャンの越美晴なども客演した。当時は常識だった劇団員によるチケットノルマや客席の招待席を廃止し、ぴあ誌上の紹介欄に舞台写真の掲載を拒否するなど、さまざまな点で他の集団と一線を画していた。』
(Wikipedia「東京グランギニョル」)
つまり、唐十郎が率いて一世を風靡した前衛演劇集団、紅テントで知られる「状況劇場」の出身である鏨汽鏡と飴屋法水の二人の設立したのが「東京グランギニョル」で、前記のとおりでその劇風は「耽美・退廃・微妙にグロテスク」といった、たぶん状況劇場よりは次世代的に垢抜けのした、若者向けの劇風だったようである。
このあたりの雰囲気は、ポスター画を手がけた漫画家の丸尾末広の画風を思い浮かべれば、そう間違ってはいないだろうし、さらに言えば、丸尾をもう少し耽美に寄せ、当時すでに流行していた「少年愛」趣味寄りにして、若い女性からのウケの狙った感じだったのではないだろうか。
なお、「いま、危険な愛にめざめて一一」のキャッチフレーズで知られた耽美系雑誌『JUNE』の創刊は、1978年である。
しかしながら、「東京グランギニョル」は、3年間(1964〜66年)に4作品を上演して解散した、短命劇団だった。
そして、嶋田久作の出演したのが、その2作目である『ガラチア帝都物語』であり、加藤保憲役であった。
当然、この時の嶋田久作も『舞台未経験者』としてその舞台に立ち、そのあとは元の植木職人に復帰していたのである。


ともあれ、Wikipediaにあるとおり、一瀬や林は当初から加藤保憲役には嶋田久作をと考えていたものの、会社側の意向のせいで紆余曲折を余儀なくされた。
だが、最後は結局、嶋田久作に決まったのである。
しかしまた、それ以前に、坂本龍一や小林薫の名が上がっていたのも、決して故なきことではなかった。
というのも、荒俣宏の原作においても、嶋田久作が加藤保憲を演じる以前の加藤保憲は、特段「異貌の怪人」というわけではなかったのだ。その面貌に際立った特徴など、なかったのである。
原作(角川ノベルス)の装丁画を担当した前記の丸尾末広が、当初その「軍人姿の魔人」加藤保憲を描いた際には、じつは加藤は「白面耽美な貴公子」風だったのだ。

だから、そうした初期イメージから、映画『戦場のメリークリスマス』(1983年・大島渚監督)で美しき軍人を演じた、いかにも耽美な坂本龍一が連想されたのは、ごく自然なことだったのである。

しかし、その坂本の出演は実現せず、美形の軍人として手堅い印象の強い小林薫に話が行ったのも、ごく自然な流れだったのだろう。

つまり、原作小説においてさえも、当初の加藤保憲は、ごく当たり前に「イケメンの魔人」だったのだ。そうでしかなかった、のである。
一一ところが、嶋田久作の登場を経て、原作小説の方でも、加藤保憲の容貌は、嶋田久作を意識したものへと、まさに変貌していったのである。
すなわち、これが私が言うところの、
『『帝都物語』とは、まさに嶋田久作あっての『帝都物語』であり、『帝都物語』とは、すなわち、嶋田久作演ずるところの加藤保憲の世界だった。』
という言葉の意味なのだ。
だから、もしも嶋田久作という人がいなければ、『帝都物語』という作品は、映画版は無論、原作の方さえ、時を経て忘れ去られてしまっていたのではないかと、そう私は考える。

(そんなわけで、「原作者・荒俣宏は、加藤保憲に(顔の長い俳優)伊藤雄之助のイメージを持っていたらしい」という嶋田久作の証言は、嶋田の謙遜的なジョークか、荒俣の嶋田に対するリップサービスか何かであり、事実ではなかった可能性は十分にある。)
当時の嶋田久作は、たしかに芝居が下手だった。Wikipediaにも紹介されているとおり、監督の実相寺昭雄が、嶋田の演技のまずさにイライラしていたというのも、まず間違いなく事実であろう。
例えば、加藤保憲が、護法童子(仏教系の守護鬼神であり、仏者や修験者が使役した使い魔の一種)を召喚するシーンで、嶋田が「ゴホードージッ!」と叫ぶのだが、これがそうとは聞き取れない。


(「植槻八幡神社 春日赤童子像」の写本と、
本作に登場する、H・R・ギーガーデザインの護法童子)
実際には「ゴホードー!」くらいにしか聞き取れず、かなり思案した末に「護法童子!」と叫んでいただけなのがわかったほどだし、総じて嶋田のセリフは、発音が悪くて聞き取りにくいものだったのだ。




そんなわけで、ハマり役である『帝都物語』の加藤保憲役であってさえ、演技としては、特に光ったものがあったわけではなかった。
しかしそれでも、嶋田久作は、嶋田久作であるが故に、唯一無二の加藤保憲となったのだ。
仮に本作が、実相寺昭雄の凡作あるいは失敗作だと評価されるとしても、本作『帝都物語』の名は、嶋田久作の演じた加藤保憲の存在によって、現に記憶され続けてきたのであり、これからもきっとそうなのだ。





「俺をもっと憎め。それが俺の力となるのだ」)

映画としての出来うんぬんなどではなく、「嶋田久作が演じた加藤保憲」という魔人を生んだという一点において、本作は、日本の映画史に、その特異な存在感を刻むことになった。
それはまさに、「呪い」に類する力に他ならず、本作中で加藤保憲が「われを崇めよ」と言った、その言葉どおりになってしまったのである。






(2026年4月10日)
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