深木章子 『欺瞞の殺意』: 紳士淑女のための本格ミステリ

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▷ 書評:深木章子『欺瞞の殺意』(角川文庫)


最近、どこかの紹介記事を読んで、これは面白そうだと、読んでみる気になった。
その記事そのものは、誰がどこに書いたものなのか、すでに記憶にないからここで紹介することは出来ない。

下に示した書影にもあるとおり、本作は2021年度版の『このミステリーがすごい!』と『本格ミステリ・ベスト10』とで、第7位にランクインした作品である。


だが、私はこの2つのランキング結果を知らないまま本作を読んだ。
読んでから、このレビューを書くために画像を検索したら、前記の帯のついた書影画像を見つけたという順序である。

じつのところ、読む前に本作が『このミステリーがすごい!』と『本格ミステリ・ベスト10』で、ともに第7位の作品だと知っていたら、読んだかどうかは疑わしい。

というのも、私は日頃から「年間ベスト3」に入るような作品でないと読む価値がないと、そう公言しているからだ。

例えばそのせいで、もう読まないつもりでいた、笠井潔の「矢吹駆シリーズ」最新作『夜と霧の誘拐』を、昨年読んで後悔した。

読むつもりはなかったのだが、友人から『夜と霧の誘拐』が『このミステリーがすごい!』「週刊文春ミステリーベスト10」で、ともに第2位にランクインしたと聞かされ、それならさすがに今回は良かったのかもしれないと、そう思い直して読んでみたところ、やっぱり、良くも悪くも「近年の矢吹駆シリーズ」という出来の作品だったからだ。
つまり、「よく作り込まれて入るけれど、無駄に長すぎ、冗漫にすぎる。この本を読むのなら、他の本を3冊読んだほうが良かった」と、そう感じたのだ。


そんなわけで「年間ベスト7位」くらいなら、普通は読まなかったのだが、ランキング結果を知らずに読んで、それでどうだったかと言うと、読んで損をしたとは、ぜんぜん思わなかった。

しかし、第7位という微妙な順位になったというのも、わからないではない作品ではあった。
また、それにしても、第5位くらいでも良かったのではないかとも思ったのである。

本作の魅力とは、古典的な本格ミステリの形式にピタリと収まっており、しかも非常によく出来た作品であるという点にあろう。
英米の古典ミステリか、よく出来た戦前日本の探偵小説でも読んでいるような読み心地の作品だった。

その意味で、「ラノベ」ブームを経た後の、今日あたりまえの「まんが・アニメ的リアリズム」的な軽っぽさのない、言うなれば「品格のある本格ミステリ」に仕上がっており、古いミステリファンとしては、好感を禁じ得ない作品なのである。

だが、裏を返せば、本作はいささか「古めかしい」作品だという事実も否めない。
単なる舞台設定の問題だけではないはずだ。

私のような高齢の古いミステリファンなら、半ば懐かしさすら感じさせる作品なのだが、これを今どきの若いミステリファンが読んで喜ぶかと言えば、正直なところ、そこまで期待するのは酷だろうとも思うのだ。

今の日本の「派手な本格ミステリ」に慣れたミステリ読者には、古典的な本格ミステリは、ハッキリ言って退屈だろう。
いくら「伏線の張り方が見事」だとか言っても、それは書き手目線でありマニア目線であって、普通のミステリファンは、そこまでは気にせずに、ただ「あっと言わせてくれる」ことを作品に期待するし、そうした期待自体は間違いではないのだ。

ミステリマニア出身の書き手(ミステリ作家)は、当然のことながら、読者をただ驚かせば良いとは考えない。
与えるべきヒントを与えた上で、それでも読者の思考の裏をかくことて「あっと言わせたい」と、そう考える。だからこそ、伏線の張り方や語り方に細心の注意を払うのだ。
暗がりからいきなり「わっ!」と言って飛び出していき、それで驚かせるようなこととは、訳が違うのである。

また、ミステリを読み慣れ、ちょっとやそっとでは驚かなくなったミステリマニアは、なかなか驚かされはしない反面、読み慣れているだけに、作家のテクニックを堪能するなどの楽しみ方ができるようになっている。
まさにかつての本格ミステリが理想としたような、作者と読者が盤面を挟み、差し向かいでゲームを争うような読み方だ。

しかしそうした読者は、むしろ非凡な作者の巧緻に敗れることこそが喜びなのであり、簡単に犯人やトリックが見抜けてしまうような作品を喜んだりはしない。
「この私を騙せるか?」と作者に挑戦し、自分を見事に負かしてくれるような、好敵手たる優れた作者の存在に期待し、そんな存在への賞賛を惜しまないのである。

だが、この種の鑑賞をするためには、経験と知識とセンスが必要だ。

例えば、寿司屋に行って、ネタの切り口の見事さに気づくような客は、よほどの食通だろう。彼は、ネタの切り方一つで、ネタの味が微妙に変わるということを知っており、その微妙な差異を味わえる舌を持っている。
いろんなところでいろんな職人の作った寿司を食べて、それを比較できるだけの経験と知識を持っているから、そういう細かい違いにも気づくし、味わい分けることも出来るのだ。

だが、ろくに寿司を食べたことのない者は、ネタの切り方どころか、そもそもネタの良し悪しもわからなければ、ネタの名前すら知らないかも知れない。
この赤い魚と白い魚を食べ比べたら、赤い魚の方が美味しかったから、もうこの赤い魚だけ食べようと、そんな感じなのが「初心者」というものなのである。

これは、本格ミステリでも同じことで、初心者というのは、とにかく「驚かせてくれれば良い」となりがちで、伏線の張り方が「アンフェア」だとか、そもそも伏線が張られていないなんて「細かいこと」はわからない。
だから、極端に言えば、とにかく「とんでもない真相」「とんでもない犯人」だったら、わかりやすくて楽しい、ということにもなりがちなのだ。

したがって、同じ(完成度の)作品であっても、読者の「習熟度」によって、おのずと評価が変わってしまう。


無論、どんなミステリマニアだって、最初は初心者だったのだから、初心者的な読み方を軽んじたり馬鹿にしたりするのは間違いだ。

初心者には初心者の楽しみ方があり、ベテランにはベテランの楽しみ方があると、そう考えるのが客観的であり、フェアな評価というものであろう。

そんなわけで、本作『欺瞞の殺意』は、完全に、ミステリマニア向け、つまり、ミステリのベテラン読者向けの作品なのだ。

非常に凝った作品であり、完然として無駄や緩みのない、完成美を誇る作品である。

(初版単行本)

ただし、すでに書いたとおり、いささか生真面目にすぎて、遊びが少なく、読者サービスに欠ける作品だとも言えよう。

作者が目指しているのは、より良く出来た作品であり、完成度の高い作品であって、広く読者を楽しませる作品ではないのだ。

初めから、本格ミステリを読み慣れた読者を想定して、そうした読者を感心させ、唸らせる作品というのを目指した結果、ミステリの初心者読者に対するサービスやくすぐりというのを、ほとんど排除してしまっている。

だから、とてもよく出来た作品ではあるけれども、言うなれば「華が無い」。「真面目すぎる」のだ。

本格ミステリに真剣に取り組むその姿勢に賞賛を惜しむつもりはさらさらないが、しかし、本格ミステリの魅力のひとつである「遊び心」を、いささか欠くうらみのあることは否定できない。

作者の、「遊びは単なる遊びではなく、真剣さの中に宿る遊び心でなければならない」といった感じの気真面目さを、私は高く高く評価したい。

それでも、例えば、シャーロック・ホームズをはじめとした「名探偵」たちの醸しだしていた「ユーモア」というものも、やはり本格ミステリには必要なのではないか。
そんなことを、真面目一点張りの本作を読みながら感じたのである。


本作が、ベストテンの第7位に甘んじなければならなかったのも、それは上位の作品よりも、本格ミステリとして劣っていたからではなく、エンタメ小説の一種であるミステリとして、いささかユーモアを欠き、華を欠いていたからではないかと、私にはそう感じられたのだ。

なお、本書の内容については、「ある毒殺事件をめぐる、往復書簡体の多重推理もの」だと、そのように紹介すれば十分だろう。
三転四転する謎解きの後に、さらにメタレベルの仕掛けが施されている、凝りに凝った、ミステリマニアのための渋すぎる本格ミステリ。

この作品もまた、ほとんど「お子様は、お呼びではない」と、そんな作品なのである。


(2026年9月16日)


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