▷ 書評:柄谷行人・滝沢文那『私の謎 柄谷行人回想録』(講談社)
批評家と評論家のちがいを説明できる人は、いったいどのくらいいるだろうか?
最近では「文芸評論家」の肩書きで活動している三宅香帆が、その著者『考察する若者たち』で、批評と考察のちがいを論じて、自身は批評をやりたいという趣旨の主張をしていた。
この『考察する若者たち』で語られる「考察と批評の違い」とは、しごく大雑把に言えば「考察は正解があるが、批評には正解がない」というものだ。
どういうことかというと、「考察」が作品を通して探究するのは「作品に込められた、作り手(作者)の意図」で、例えば、作り手が「平和の大切さ」を訴えようとしてその作品を作ったのなら、作品解釈としての「正解」は、「この作品のテーマは、平和の大切さである」ということになる。
作り手の意図を、作品分析を通して導き出せば、それが「正解」であり、正しく考察した、ということになるのだ。
一方、「批評」というのは、「作者の意図」の忖度を目的としたものではなく、その作品そのものがどういうものなのか、というのを分析検討しようとするものだ。
だから、その結果は、作者の主張する「作品に込められた意図」と一致するとは限らない。
例えば、「作者は、この作品で平和の大切さを語ったと主張している。だが、この作品に語られているのは、自分たちの平穏な生活を守るためであれば、敵を絶滅させてもかまわないとする類いのものであり、その意味で、本作のテーマが平和の大切さであり、それを語る作品だとは、とうてい評価し得ない」と言った評価にもなり得るのだ。
つまり、作者の見解と読者としての批評家の見解が一致せず、どちらの見解が作品解釈として正しいかは、それを評価する人によって異なるため、結果として「正解はない(正解はいくつもある)」ということになってしまうのである。
そんなわけで三宅香帆は、「考察」というのは「(唯一の)正解の存在の自明性を疑わない、そんなお約束の範囲内で行われる解釈ゲーム」だから、つまらないとするのだ。
作品というものが、読み手との関係において(つまり、読まれて)初めて成立するものである以上、作者は特権的な存在ではあり得ない。
読まれない作品は、作者の思い込みの中にしか存在せず、存在するのは、紙に印されたインクの染みである。一一といったことだ。
だから、原理的には、「読解」は人の数だけ存在するものであり、それ(読み)に浅深や出来不出来はあっても、確定的な正解不正解というものはない、ということになり、そうした「相対主義」的な立場において、三宅香帆は「批評の方が、自由で面白い」と主張する。
言い換えれば、考察は解読ゲームとしてお手軽すぎる、とするのだ。
私は、こうした「批評と考察」の区別が、間違いだとは思わない。
一一大筋においては、間違いではないと思うのだが、しかしこれは、所詮「言葉の定義」の問題でしかない。
要は、「批評とはこういうもので、考察とはこういうものだから、批評の方が自由度が高く面白い」という、個人的な見解でしかなく、言葉の定義を変えれば、その評価は真逆にもなるものでしかないのだ。
「しかし、三宅香帆の言葉の定義は、恣意的なものではなく、一定の説得力を持っているのだから、定義を真逆にすることは出来ないだろう」という反論もあろう。たしかにそうだ。
先に私自身、
『私は、こうした「批評と考察」の区別が、間違いだとは思わない。大筋においては間違いではないと思う』
と書いているのだから、三宅香帆の定義が、恣意的なものだとは思わないし、一定の説得力を持っているとは思う。
しかし、それでも三宅香帆の「批評と考察の違い」をめぐる議論が、基本的に「批評的ではない」と感じるのは、その定義が、やはり「手前味噌」な結論先行のものでしかなく、自身の趣味嗜好にかかわりなく批評対象そのものを徹底して批判する(=検討に付する)という態度からは、ほど遠いものだからである。
つまり、三宅香帆の「批評」のダメなところは、その「批評観」すら、「批評というのは、自由なものだから、いろいろと面白い解釈を出すことができて楽しい」という自身の偏頗な「趣味嗜好」の投影であり「そうあって欲しいという願望」に歪められたものでしかないということに無自覚でいられる、批評として極めて浅薄な点なのだ。
三宅香帆の言うとおり、作者の意図を「最終的な正解」だと考えて、それを目指すようなものを考察と呼ぶのならは、それはたしかにつまらない。
だが、「作者はこの作品において、何を語ろうとしたのか?」という観点から作品を分析していった結果、その解答が、作者の主張する意図とは異なった場合、その考察者には、作者の主張が自明に正しいものだとしなければならない義理などない。
「作者は、この作品で平和の大切さを描いたと主張するが、結果としての作品はその狙いに届いておらず、あるいは作者の意図を裏切っており、作品そのものとしては、私の理解の方がむしろ正しい」と主張することも可能なのだ。
つまり、「批評」であれ「考察」であり、どれだけ深く突き詰めて考えるかの違いはあっても、その人のやったことを、「批評」だとも「考察」だとも決めつけることは出来ないのだ。
もとより、そんな言葉の「定義」など存在せず、両者は共に「対象を深く検討に付して、その意味や価値を判ずる」という行為であることに、何の違いもないのである。
したがって、三宅香帆の「考察と批評」をめぐる議論は「考察とはこの程度のもの、とします。批評は、それに止まらない行為だということにします。すると、批評の方が、深く自由だということになります」と言っているにすぎないのだ。
そういう「考え方」も「あり」ではあるが、それが現実のすべてではなく、手前味噌に浅いところでの「整理」にすぎない。
だから私は、三宅香帆のこうした「浅い批評」は、「つまらない」と評価するのだ。
で、ここまでやってきたのは、「三宅香帆の批評」なるものを「批判する」批評行為である。
三宅香帆の言うことを鵜呑みにして盲信するのではなく、その主張がどういうものなのかを「検討に付した」のだ。
先に「批判」したと書いたが、この「批判」とは「非難」あるいは「否定的に評価する」という意味ではなく、後の本来の意味における「批判」、つまり「深く検討に付する」ということなのである。
それが重要であり、その結果が問題なのではないのだ。
さて、この程度のことは、一昔前であれば、常識に類する議論でしかなく、誰も「面倒くさいことを言うやつだな」などとは思わなかったし、ましてやこの程度の議論についていけない人が「批評を読んでます(やってまる)」みたいな顔をすることもなかった。
かつて、批評家と呼ばれた人たちは、もっともっと深くて犀利な批評を行っていたから、私が上で書いたようなことは、わかりやすすぎてつまらないと思われる程度のものでしかなかった。
だが、今はそうではない。
文学が死ぬと同時に、ジャンルとしての文芸批評も死んでしまったためだ。
無論、個人としては批評をしている人はいるが、すでにそういうものは「それまでの当たり前の批評」ではなくなって、三宅香帆がやっているようなものが「今の普通の批評」だと考えられるようになっている。
だから、それまで「批評」と呼ばれていたものは、実質的には「死んだ」と言っても過言ではないのである。
したがって、本稿では、かつて「文芸評論家」の肩書きで呼ばれ「批評家」を自称していたにもかかわらず、現在の小説作品とは関わらなくなったが故に、「哲学者」と呼ばれるようになった柄谷行人の言葉を通して、かつて「批評」と呼ばれたものが、どんなものであったのか。今の「批評」とは、どこが本質的にちがうのか、ということを検討してみたい。
同じ「批評」と呼ばれていても、かつてのそれと今のそれでは、ぜんぜん違うのだということ知ってもらい、その上で、その呼称がどうであれ、ふたたび目指されねばならない方向性を示唆したいと思う。
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本稿では、柄谷行人の近著『私の謎 柄谷行人回想録』から柄谷の言葉を紹介し、それに解説を付していく。

なお、本書は、朝日新聞文芸部の記者である滝沢文那が、柄谷に対して行った連続インタビューをまとめたものだ。
内容的には、柄谷のそれまでの人生に沿って、その時々の思いや思い出、あるいは現在の思いを語ってもらうものとなっている。
滝沢文那による質問や合いの手の頭には「一一」の記号が付され、これに対する柄谷行人の言葉には、頭に「柄谷」と付されて区別されている。
(01)『柄谷 (※ 批評ということについて、)僕がそう思っているだけで、世間がそれを受け入れているかどうかは知らない。ただ、僕が批評をやろうと思ったときの批評はもう存在しない。文芸批評というのは、何でもできる気がしたんですよ。何を取り上げてもいい、という。でも批評は、たとえ小説を論じていなかったとしても、小説と不可分のものだったのです。当時は、小説、批評、哲学、政治運動は一つのものだった。
「哲学」とか「文学」とかいった枠組を疑うのが批評なわけだけど、たとえば、吉本隆明(一九二四 – 二〇一二)は批評家ですよ。柳田国男とか花田清輝(一九〇九-七四)、埴谷雄高(一九〇九 – 九七)にしても、(※ 民俗学者や作家であると同時に)そういう意味では批評家だった。僕の場合は途中で文学から〝引退〟したから、そのあとはなりゆき上〝哲学者〟と呼ばれるようになったけど、(※ 昔から)古今東西、いろんなものを読みつつ考えてきた。』(P12〜13)
私が若い頃から読んできた「文芸評論」とか「批評」とかいったものは、こうした人たち、及び、彼らとその「常識」を共にした人たちによる「文芸評論」であり「批評」であった。
だから、そうした「批評」観からすれば、今や、現役の日本人の書き手による「批評」は、書店には存在しない、売っていない、ということになる。その意味において「批評は死んだ」のだ。
もしも、書店に「文芸評論」や「批評」という名で売られている、今の書き手によるそれが並んでいても、それは、かつてそう呼ばれたものとは「似て非なるもの」でしかない。
喩えて言うなら、人類が絶滅した後に、他の惑星から移住してきた異星人が「われわれはもはや地球人であり、地球人類である」と名乗るようなものである。
当然、この主張自体は間違いではなく、ひとつの意見ではあるけれど、しかし彼らは、かつて「地球人」と呼ばれた生物とは、まったくの別物なのだ。
ではなぜ、かつての「文芸評論」なり「批評」なりが死んだのかと言えば、それは柄谷がいうとおり、
『批評は、たとえ小説を論じていなかったとしても、小説と不可分のものだったのです。当時は、小説、批評、哲学、政治運動は一つのものだった。』
からだ。
つまり、小説は単なる「娯楽作品」ではなく、私たちが生きることの全般と深く結びついていたから、それを論じることは、そのまま「人間の営為のすべて」を論じることにもなったのだ。
だが、今の文学は、基本的に「資本主義経済における娯楽商品」だから、「資本主義経済」の規範に準じた範囲内でしか、それを論じることできない。
つまり「哲学的なこと」「政治的なこと」を描いた作品であっても、その本質は「商品としての娯楽作品」であるから、その「商品性」を損ねるような哲学性や政治性を、そこに込めることは許されない。
つまり、哲学っぽいことを語ろうが、政治的なことを語ろうが、とにかく「楽しく読める作品」でなければならない。そうでないと「商品価値が無い」からである。
昨年、少し話題になった「令和人文主義」なるものが、その典型的な実例だと言えるだろう。
それは「骨の髄まで商品化された人文学」なのである。
学問でさえ「商品化」の著しい昨今なのだから、当然、遠の昔に商品化された「娯楽としての小説」などを論じる「今どきの批評・評論」も、当然のことだが「娯楽商品」でなければならない。
読んでも面白く、売れる商品でなければならないし、その存在価値を認められない。
言い換えれば、「読んで面白く、売れる商品」であれば、その小説やその評論、そしてその書き手は「優れた小説(家)」であり「優れた批評(家)」だということになる。
だからこそ、三宅香帆は現在、その容貌まで含めての、人気「批評家」なのだ。
昔の基準での「批評家」ではなくても、今の「資本主義経済」的な価値観からすれば、立派に「批評家」だということになるのである。
(02)『一一デビュー当時の柄谷さんは、埴谷(※ 埴谷雄高)に対しても結構厳しいですよ。
柄谷 もう何を書いたか忘れたよ(笑)。でも、埴谷さんがそれで怒ったという記憶はない。しかし、だいたい、無視されるのが一番つらいんですよ。好き放題に書いていたのは、当時、お互いの間に、文学に対する信頼があったからでしょうね。あの頃、文学というのは、永遠だと思っていた。作家も批評家もそうだったと思う。一千年先を考えた上で、今何を書くかということを考えていたんですね。政治とか科学だけではとらえられない、文学にしか見えないものを見ようとしていたんじゃないかな。』(P107〜108)
かつては、批評家や小説家たちは、お互いに忌憚なく批判することができた。
なぜなら、彼らはそれが仕事であり、これが人間社会の将来に益する意義あるものであり、当為(為すべきこと)であると信じていたからだ。
『あの頃、文学というのは、永遠だと思っていた。作家も批評家もそうだったと思う。一千年先を考えた上で、今何を書くかということを考えていたんですね。』
とは、そういうことだ。
目先の損得ではなく、一千年先に高く評価されるような、不朽の価値ある言葉を語ろうとした。
だが、いまの作家や批評家は、そんなことを毛ほども信じてはいない。
目先のウケねらいであり、嘘半分だと自ら承知の上で、とにかく「売れるもの」を書くのが、作家であり評論家であると思っている。
「ウケてなんぼ」であり、そのためには、5年後の心配などしてはいられず、何がウケるかしか考えられない。
「長く読み継がれる作品」を書こうなどとは、思わず、書けるとも信じてはおらず、日々、ウケねらいの一発芸に勤しんでいるのだ。
(03)『一一『マルクスその可能性の中心』(一九九〇年、講談社学術文庫)の序章で柄谷さんはこう書いています。「マルクスを知るには『資本論』を熟読すればよい。しかし、(※ 多くの)ひとは、史的唯物論とか弁証法的唯物論といった外在的なイデオロギーを通して、ただそれを確認するために「資本論』を(※ そうした色眼鏡を通して)読む。(※ しかし)それでは読んだことにはならない。〝作品〟の外にどんな哲学も作者の意図も前提しないで読むこと(※ 作品とのみ対峙すること)、それが私が作品を読むということの意味である」。』(P111〜112)
ここは、インタビュアーが引用した、柄谷の過去の文章の孫引きである。
ここでは、「読む」とは作品に直に向き合うことであって、自分の読みたいことを、作品の中に読み込むことではない、という基本中の基本が語られている。
だが、今では誰も作品と向き合うことはせず、どのように理屈づけ(装飾的レッテル貼り)をすればその作品の「商品価値」が上がるか、しか考えていない。
書評だの何だのを書く者に求められているのは、「批評っぽい、キャッチコピー」にすぎないからだ。
(04)『一一柄谷さんは、単行本の「あとがき」でも(※ 従来は、かけ離れて無関係だと見られていた)夏目漱石とマルクスを区別せずに論じると直言しています。
柄谷 僕にとってはごく自然なことだったし、特に風変わりというわけでもない。実際、当時のアメリカやヨーロッパでは、従来の(※ 学的な専門)哲学にはおさまりきれないような思想が、文芸批評という形で展開されていたから。
一一書き出しは、「ひとりの思想家について論じるということは、その作品について論じることである」。その作品に書いていない哲学や作者の意図を前提としてはいけないということですね。特に「史的唯物論」を確認するために『資本論』を読むことへの批判から始まります。
柄谷 もともと、「真のマルクス」なんてものはないんですよ。』(P144)
これも、作品と直に向き合うこと以外に「読む」という行為はない、とそう言っているわけだが、今の読み手は、イデオロギー的に「真のマルクス」を読もうとするのではなく、例えば、資本主義経済的に「広く喜ばれる(ウケる)三宅香帆」を読み取ろうとする。だから、基本的には誉めることしかできない。
(05)『一一”読める”というのは、どういうことなんでしょうか。
柄谷 直感的に作品の善し悪しが分かるということです。昔、アメリカの有名な美術評論家でクレメント・グリーンバーグ(一九〇九 – 九四)って人がいて、彼は絵が沢山掛かっているところを通り過ぎただけで、それぞれの絵の評価を決めてしまったらしい。ほとんど瞬時に評価するんですね。小説の批評にも、そういうところがありますね。〝読める〟批評家と、そうでない批評家がいる。
当時、〝読める〟批評家として、平野謙と江藤淳がいたと思う。彼らと僕の小説の評価は、割と一致していたと思います。それを書くときにどう意味づけるかは違いますけどね。平野さんが書いたものは素朴で別に面白くもないんだけど、彼に小説を読む力があったことは確かです。江藤淳にも、それがあった。江藤さんが夏目漱石をきちんと評価してくれたことには感謝してますよ。坂口安吾(一九〇六 – 五五)についても、多くの人が軽視しているときからきちんと褒めていた。ただし、彼がそういうことができたのは、初期だけですけどね。『成熟と喪失』のように一定の理論を作って、それにあわせて評価し始めると、図式に強引にあてはめるようになる。江藤さんは自身のあり方としても「成熟」にこだわったけど、それが決意として意味をもつのは若いときだけですよ。僕は(※ ことさらに)成熟しようとは思わなかった。
それに対して、平野謙は、小説の評価を理論的に裏付けるようなことは言わないし、言えるような顔もしない。でも、党派性を超えて、作品の善し悪しの判断ができていた人だと思います。』(P174)
今でも、昔と同様に「読める人は読める」。
ただし、昔は「正しく読み取った上で.それをどう上手に他者に伝えるか」が批評家の手腕の問われるところだったのだが、今は「正しく読み取る能力はなくとも、買いたいと思わせるキャッチコピーを書く」能力があれば、それでその人は、優れた批評家ということになる。
(06)『柄谷 批評というのは、評価の定まった古典を対象にして行われているような、理論的な文学研究とは違います。
批評の現場では、文学的な方法・理論が先にあって、それを当てはめてうまく説明ができるような作品を褒める、そこから外れるものをけなす、というのはおかしいよ。面白いか、面白くないか、いいか、悪いか。その判断が先にないといけない。僕に関しても、出来上がった理論がまずあって、それにもとづいて判断していると思われていたようです。だけど、僕はそんなものはなしでやってきた。たまたま面白い作品があったから、それについて論じたというだけ。大体僕には、文学(※ という一ジャンル)を論じたいという気持ちすらなかったんですよ。ただ、自分が面白いと思った事柄を考えることが、「文芸批評」なのではないか、と思っていた。』(P176)
なぜ最近は、研究と批評の区別すらつかないのか?
また、「研究は学術的でありありがたいものだが、批評は好き勝手に評価しているだけの、客観的な価値を有しないもの」みたいな考え方が出てくるのだろうか?
それは、商品を売るためなら、作品そのものの価値などどうでも良く、商品に価値を付与するためには、「学問の権威的な保証」というレッテルを貼る方が、手っ取り早いからである。
海のものとも山のものともつかぬ自称「評論家」などよりも、「○○大学教授」という肩書きの方が、素人ウケしやすいからだ。
そこで語られていることの中身はわからなくても、肩書きだけなら、誰でもわかるからである。
(07)『柄谷 (※ 「近代文学の終わり」ということを言ったのは)一つには、近代文学が前提としていたような意味とか内面性を否定するような(※ ポストモダンな)文学が出てきたということですね。僕は別にそのような事態の到来を歓迎したわけではないけど。
一一柄谷さんは、言葉遊び、引用、パロディー、物語といった「(※ 日本における)近代文学が閉め出した全領域が回復しはじめた」と指摘していますね。
柄谷 しかし、実際にそうしたことが起こってみると、(※ 開放感ばかりではなく)失望することも多かった。たとえば、角川文庫の変様に象徴されるように、文庫のあり方が変わったでしょう。
一一メディアミックスの手法などもあって、古典というよりも売れ筋の本、売りたい本が文庫化される流れになったということですね。
柄谷 それ以前は、文庫に入ることが古典と見なされる条件だったから、ある意味で、文庫が文学の永遠性を体現しているようなところがあったんですよ。「文学全集」もそうだった。実はどちらも昭和初期に広まった消費社会の産物なんだけどね。ただ、「近代文学」には、未来に自分の作品がどう読まれるかという意識があった。でも、そういう意識は壊れていった。要は、今売れればいい、ということになったんだから。』(P178)
すでに失われた「近代文学」には『未来に自分の作品がどう読まれるかという意識があった。でも、そういう意識は壊れていった。要は、今売れればいい、ということになった』。一一それが、今の小説であり、それに寄生しているのが、今の書評家などである。
だから彼らは、本気であっても嘘であっても、いずれにしろ誉めることしかしない。
自身の寄生対象を枯らしてしまっては、元も子もないからである。
(08)『一一 一九六〇年代以降、鈴木忠志、唐十郎(一九四〇-二〇二四)、寺山修司(一九三五-八三)などそれまでの新劇に対抗するような形で、前衛的な演劇が次々に登場していました。
柄谷 この頃前衛的と見なされたものは、アングラ演劇も現代詩もよく知らなかった。僕は、政治的にも文学的にも〝前衛〟とは縁遠かった。バカにしていたわけではないんですよ。ただ、積極的な関心はなかった。僕は、自分に分からないものについては、分かったふりや共感したふりをしないと決めていた。』(P183)
今は、嘘でも自身を「何でも知ってる権威」として売り込まなければ商売にならないから、読んでいないのに読んだような顔をしているペテン師ばかりである。

(09)『柄谷 (※ 略) その頃僕がよく使っていた「批評」という言葉がある。自分は、「哲学」とか「文学」じゃなくて、「批評」をやるんだ、と。それは簡単にいえば、批判(※ 非難のことではなく、「これは何なのか?」と対象を検討に付する態度)的である、ということです。既存の(※ 正しいとされている)思考(※ 価値評価)を組み合わせて(※ 別の)新しいものをつくるのではなく、既存の思考を成り立たせているメカニズム(※ そのものを)を(※ 無前提に根本から)解明しようとすべきだ、と考えた。そういう作業がないと、思想は、(※ 既存の)体制を追認して、そこでできる範囲のことに甘んじることになる。既存の思考体系は、どんなにラディカルなものであっても、それを反復しているだけだと、体制に吸収されて、それを支えるものになってしまう。』(P199〜200)
「常識」を疑い、「臆見」を排して、批評対象と向き合ったりすると、駄作は駄作にしか見えなくなって困るから、プロの批評家や書評家などは、目を瞑ってでも「美点を探す」という、超能力を身につけてしまう。
(10)『柄谷 (※ 略)ソシュールは、言葉の意味は差異から生まれるものに過ぎない、と言った。言いかえれば、言語を異なる体系の間での「交換」から考えた。その点で、商品の謎を交換から考えたマルクスとも通じます。僕は、マルクスとソシュールという異なるものを、交換という観点でつなげて考えたんですね。一般には何の共通性もないと思われているものの共通性を見つけてくるというのは、僕の習性なんです(笑)。』(P200)
こういうことは、既成の分類規範を自明視しない「自由な批評精神」がなければ、とうてい不可能なことだ。
だが、現に自由の制限された状況下でなら、それに抵抗するような面倒なことはせずに、注文どおりの型どおりに褒めておけば良い。「ハイル、ヒットラー!」「天皇陛下、万歳!」である。
一一と言うか、変に捻ったことをすると、読解力のない読者がついて来れず、誤解を生むことにもなるから、「余計なことはするな」と資本の意志から叱られるだけ。
だからこそ、積極迎合的に、ありきたりな褒め言葉を並べることにもなるのである。
(11)『柄谷 近代文学一一小説ですね一一が決定的な意味を持った時代は終わった。だけどそれは、文学がなくなるとか、文学にはもう意味がない、ということではないんですよ。才能のある作家は常に出てくるものだとか、文学を読む人は少数であってもいなくなることはないとかいった反論がありましたが、それと近代文学の終わりとは矛盾しないんです。文学の終わりには、いろいろな要素があって、個々の作家だけの問題ではないから。たとえば、テクノロジーの問題があります。リアリズムという意味では、映画やテレビの映像のほうが文章よりも有利ですよ。
小説は書く側にも読む側にも想像力が求められるから、負荷が大きい。その点、視覚や聴覚に訴える映像は楽なんです。』(P265)
そう。総体としての近代文学(ムーブメント)は失われても、優れた書き手や志を持った書き手が生まれてくるというのは、今も昔も変わらない。
ただし、そういう作家は「反時代的」であり、しばしば「反資本主義的」だからこそ、昔のような評価を受けることにはならない。
今の、作家に評価を与えるのは、商品としての娯楽作品しか読んだことのない、脳みそが資本主義に漬け込まれたような人たちだからだ。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には、当時のロシアにイエス・キリストが復活しても、イエスは教会からすら見向きもされず、かえってうとましい存在扱いにされるだろう、という寓話が登場するが、それは今の日本でも同じこと。
今の日本に、ドストエフスキーやプルーストが登場しても、本にしてもらえない公算は十分に高い。
(12)『柄谷 (※ 以前は)政治経済から世相まで、何でもかんでも文学者に意見を仰いだりして、世間では文学者は偉いということになっていたしね。実は、それ以前には文学者は、反社会的でおぞましい存在としてさげすまれていたんですよ。今では忘れられていることですが。
七〇年代の終わりに当時文学が軽いものに変質していった、というのもその通りだと思います。『日本近代文学の起源』を書いていた時期(七八 – 七九年)にやっていた、新聞の文芸時評では、文学の変化を実感しました。』(P268)
それまで、むやみに重いものであらねばならなかった文学が、軽さや楽しさを取り戻したこと自体は、決して悪いことではなかった。
だが、資本主義経済は、その「軽さ」を売りやすい商品に変えて、非効率な重いものを排除していった。
今や、一部の読者がうんうん言いながら読むような重厚難解な作品は、資本主義経済的には、回転率の悪い「失敗作=商品失格」なのである。
(13)『柄谷 (※ 著書名である)『トランスクリティーク」は、僕の造語です。「クリティーク」は、批評ですね。「トランス」は、超越論的(transcendental)、横断的(transversal)からきています。垂直方向と水平方向という、相反するものの間の「移動」と言ってもいい。
一一移動ということでは、柄谷さんは、マルクスがドイツからフランス、イギリスと移動しながら思索を深めていたことに着目されていますね。
柄谷 大事なのは、空間的移動というよりも、思想的な移動です。カントは空間的にはまったくといっていいほど移動しなかったけど、思想的には移動していた。彼は、経験論と合理論の両方を批判しましたが、それらを超えるような(※ 特権的な)地点(※ 高み)に自分を置いてそうしたのではありません。それらの相反する立場を行き来しながらそうしたのです。カントは、両者を折衷・総合(※ アウフヘーベン)したのではなくて、合理論の立場から経験論を、経験論の立場から合理論を批判した(※ 検討に付した)。』(P314〜315)
次から次へと話題作やヒット作を生産するのは「移動」ではなく、拘束されての「強迫」行動でしかない。
そこには、自由な主体性がなく、否応なくそうせざるを得ないという不自由があるだけだからである。
そこでは「批判(検討)」どころか、「考える」ことさえ許されない。
はっと気づいて「私はこのままでいいのだろうか?」などと気づかれては、面倒なだけだからである。
(14)『柄谷 教養主義なんて最悪です。ただの権威主義だから。古典(※ と呼ばれる本)は、権威だからじゃなくて、ずっと人類が受け継いできた共通言語だから大切なんです。昨今は、一読しただけで意図や内容が簡単に分かってしまうような、薄っぺらい本ばかりでしょう。古典は、何度も読んでいるうちにだんだん染みてくる、何十年後にふと腑に落ちる、そういうもので、辛抱がないとつきあえない。だけど、考えるということは、そういう地道な営みからしか出てこない。少なくとも、現実を変える力を持つような思想は出てこない。』(P368)
資本主義経済の原理は、不必要なものまで生産して大量に消費させることである。
昨今の「コスパ・タイパ重視」も、要は「手っ取り早くお手軽に」ということであり、そこでは「自らの頭で考える」という過程が排除されている。だから、大量消費も可能となる。あくまでも「消費」でしかないのだが。
そんなわけで、古典的な書物を、一生かけて読み込むなどということが、推奨されるわけもない。
当然、資本主義に毒された読書家たちは、われ先に「(捏造された)話題の新刊を追う」ことになる。読書も批評、早い者勝ちになってしまっている。
(15)『柄谷 (※ 略)民主主義は、無条件で正しいものと見られてきました。だけど、それは疑わしい。民主主義は、資本主義や国家と一体のシステムです。そこに、それらへの根本的な批判(※ 検討)は(※ 為されたことが)ない。
ソクラテスは、アテネの民主政の批判者でした。(※ 民主主義を盲信してはならない。民主主義を疑って批判的に検討することは、民主主義を否定することではない)』(P388)
資本主義経済の残酷と一体化した民主主義を、なんの疑いもなく受け入れている読書家たちが持て囃す、そんな今どきの「薄っぺらい」小説や評論が、「面白い」ものであるわけがない。
もしも、彼らと私の評価が一致したように見えたとしたら、それは評価が一致したのではなく、彼らが「誤読」しているだけなのだ。
(2026年6月18日)
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